第29話 城塞都市の廊下イベント
「ようこそ、地獄の縁へ」――そんな皮肉の一つでも言いたくなる。
目の前に広がる辺境伯の領都は、都市というよりは、巨大な要塞だった。
王都の貴族が愛でる、細工の細かい石像やら、空に突き刺さる優美な尖塔やら――そんな洒落た代物は、ここには一切ない。
あるのは、分厚くて、無骨で、愛想の欠片もない灰色の石壁。
美観? 知らん。防御力が正義だ――と言わんばかりの圧だな。
「さて……どこから入るんだ、こりゃ」
俺は御者台から、そびえ立つ城壁を見上げる。
「ここからなら東門が近い。向かおう」
バロックが、動きに無駄がない年季を感じる手綱捌きで、馬車の向きを変える。
「バロック、メルキドに来たことあるんだな」
「あぁ。騎士団長をしていた頃に、しばらく駐屯していた。……懐かしいな。あまり変わっていない」
皺だらけの厳つい横顔が、城壁へと向けられる。
騎士団長時代ってことは……三十年近く前か。
…単身赴任中に奥さんに浮気されたのかな…戦場あるある、ってやつだ。
まぁ、他人事みたいに言ってるが、笑えない話が混じってるのは、俺も同じか。
《アルト。城塞都市メルキドの情報を提示しますか?》
(…あぁ、頼むよアビス)
網膜に映し出される情報を見ながら、俺はぼんやりと城壁を見ていた。
過去も、裏切りも、後悔も、全部まとめて呑み込んで、ただ「来るなら来い」と言っているみたいに見えた。
※
人口一万足らずを飲み込んだこの城塞都市は、辺境伯爵領という外敵に対する「防波堤」の中核だ。
二重に巡らされた城壁と、その間に設けられたキリングゾーン。
城門は、獲物を待つ怪物の口のように暗く開いており、そこをくぐる者に熱した油や石の洗礼を浴びせる準備はいつでも整っている。
中央にそびえる主塔の高さ四十メートル。地平線の彼方から迫り来る敵を常時監視するために、それは立っている。
壁の厚さは五メートルから七メートルに達する塔は、もはや建物というより、巨大な岩礁をくり抜いて無理やり仕立て直したようなものだ。
投石機や大砲の直撃すら、この頑固な石の塊にはただのノックに過ぎないのだろう。
城内に足を踏み入れれば、鍛冶場から漂う鉄と炭の匂いが鼻をつく。
地下数階にわたる食糧庫には、数年分の塩漬け肉と穀物が詰め込まれ、毒を入れられないよう、城の最深部に隠された深井戸も備わっている。
籠城戦の準備はいつでも万全だ。
俺たちは、この無骨極まりない軍事拠点に腰を据えて、辺境伯爵領に発生した六つの魔王ダンジョンを踏破しなければならない。
六つ。
少なくとも、楽ではない。
王家のご意向という名の強制力はあるが、まずは筋を通す。
カインズ・フォン・バルツァー辺境伯爵への挨拶だ。
通された「軍議の間」は、想像通り飾り気がなかった。
王宮みたいな豪奢なシャンデリアも、沈み込む絨毯もない。
あるのは、長年の酷使で角が丸くなった巨大な樫のテーブルと、その上に広げられた領地地図。
実用性一点張り。装飾に割く予算があるなら、矢を一本でも多く買う――そんな空気だ。
俺たちの足音が石壁に無駄に響いて反響する。
歓迎の拍手はないが、視線はある。
部屋にいる全員が、俺たちを「戦力」として査定している。
部屋の奥で、地図を覗き込んでいた男が、ゆっくり顔を上げた。
カインズ・フォン・バルツァー辺境伯爵。この城塞都市の主だ。
髪は、使い込まれた剣の刃みたいな、鈍い鋼色。瞳は、余計な感情を削ぎ落とした、乾いた光をしている。
ああ、これは損得で物を見る目だ。
俺たちがこの領地に、どれだけの“益”をもたらすか。それだけを測っている。
でも――。
その視線には、敵意はなかった。
ただ、冷徹に、現実を見ている。
……バロックと似た目だ。戦場を生き抜いてきた人間の目。
「……辺境伯閣下、お初にお目にかかります。私はグラム=ハルバード。ゼビウス王国国王、アルタイプ四世陛下より、魔王討伐の命を受け参上しました」
……おお。グラムが、やたらと流暢に喋ってる。
(あいつ、こんな長い挨拶できるんだな)
《アルト。個体名グラムは先ほどから左掌を複数回視認しています。記載物を参照している可能性が高いです》
(ですよねー)
勇者、まさかのカンニング疑惑。まぁ、噛まないだけ上出来か。
やたらキラキラしているグラムの口上を聞き終え、カインズ閣下は、ほんのわずかに眉を動かした。
歓迎、というより――「何でお前が」という顔だ。
「グラム=ハルバード。貴殿が勇者とはな。この度はご苦労。同行の諸君も大義である」
低く、よく通る声だ。
「各人に部屋を用意してある。魔王討伐の間は、我が城に逗留されよ。詳細は明朝、この軍議の間で説明する。今日は旅の疲れを癒すがよい。……ジェンキンス、案内せよ」
手短だな。無駄がない。貴族的な社交辞令など、この男にとっては時間の無駄でしかないらしい。
俺は内心で小さく息を吐いた。歓迎ムードは薄いが、敵意もない。まぁ上々だろう。
俺は、後ろの方で、人知れず口角を上げた。
俺たちが部屋を出ようとした、その時だった。背後から、思い出したようにバルツァー閣下の声が飛んできた。
「久しいな、グランデル殿。まさか貴殿が来てくれるとはな。よければ今晩、食事を共にどうだ? 妻のマリアンヌも喜ぶだろう」
足を止めたバロックが、静かに振り返る。
「あぁ、なるほど。旧知の仲か」と納得しかけたところで――
「恐縮です、閣下。それでは、ここに居る賢者ヴェルクレインも、ご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか。私一人より、彼もいた方が色々と得られましょう」
……ん?
……今、誰の名前出した?
俺は思わず自分の胸元を指差した。
(……えっ、俺?)
突然の巻き込み事故である。
いや待て。貴族の晩餐? 辺境伯夫妻? 社交イベント?
完全に専門外なんだが。
バロックは涼しい顔をしている。絶対わざとだろ、この爺さん。
俺が視線で抗議すると、ほんの僅かに口元が動いた。
——今、笑ったな。やられた。
バルツァー閣下の視線が、改めてこちらへ向く。
品定め第二ラウンド開始。
……逃げ場、なし。
俺は内心でため息をつきながら、観念して一歩前に出た。
※
俺は、アルコールのせいで、ややふわつく足取りで自室へ続く廊下を歩いていた。
辺境伯の城だけあって、廊下には魔法灯が等間隔に灯っている為、転ぶような事はないが光量は控えめだ。
最前線の城だし、夜な夜な鎧の亡霊が巡回してても不思議じゃない程度の雰囲気がある。
そんな益体もないことを考えながら、さっきの会食を反芻する。
正直、最初は「引退騎士団長と現役辺境伯の懐古トーク」に付き合わされるのかと思っていた。
ところがどっこい。
蓋を開ければ、メインは勇者パーティの査定と情報収集だ。
そりゃそうだ。
大貴族が、ただの思い出話のために豪勢な夕食を用意するわけがない。
バロックも分かった上で、俺を同席させたんだろう。
目的が見えたあとは、むしろ楽だった。
魔王ダンジョン周辺の地形、補給路の現状、王国――というより辺境伯家と敵対している蛮族の動向。
軍議では建前が混じる話も、酒席なら少し本音が出る。
……巻き込まれた割に、収穫は上々。俺としては有益だった。
ついでに、面白い話も聞けた。
昔、バルツァー閣下の三男が、武闘大会でグラムに負けたらしい。
負けた三男坊ラスウェルは、武者修行と称して出奔して、今や金級冒険者として名を上げているとか。
息子が自力で名声を築き、親としては内心わりと誇らしかったところに――満を持して、グラムが「勇者」として登場しちゃった訳で。
息子を負かした男が、今度は国の看板背負って自分の領地にやって来たもんだから……ちょっとムカついたらしい。
グラム、あちこちで地味にヘイト稼いでるな。
ざまぁ――とまでは言わんが、世の中バランスは取れているらしい。
俺は小さく笑った。くくく、俺の歪んだ怒りを思い知るがいいわ。
廊下の先、自室の扉が見えてくる。
酒の酔いが、ほんの少しだけ心地いい。
頭の回転が鈍って、余計なことを考えずに済むくらいには。
今夜くらいは、多少マシな気分で眠れるかもしれない。
……そう思っていたんだが。
《警告。アルト。部屋前に不審な人影を確認》
俺は足を止めた。
扉の前に、白い影がうずくまっている。
薄暗い廊下。白い服。蹲る人影。
——幽霊?
一瞬、本気で背筋が冷えた。
「……あっ、アルト。お帰りなさい」
……幽霊じゃなかった。
元嫁だった。ある意味、もっと厄介だ。
リーネは扉を背にして、膝を抱えて座っている。
「……お前、こんな所で何やってんの?」
「えっ……えーと。今日は、あんまり話せなかったから……おやすみを言いに来て……み、ました。ごめんなさい」
ごめんなさい、の使い方が軽くなってないか?
いや、軽くはないな。
むしろ毎回、全力で重い。
俺、確かに言ったよ?
“今度こそ二人でやろう”って。
“向き合おう”って。
そんで、昨日は抱きしめて、そのまま寝ましたよ⁉︎
でも、もれなくフラッシュバックも付いてきたよ?
まだリハビリ中なんだよ、こっちは。
それなのに、いきなり廊下待機イベントか。
ぐいぐい来るなー、元嫁。
俺はどんな顔をすれば正解なのか分からず、とりあえず一度ため息をついてから扉を開けた。
「こんな寒い廊下で待ってないで、中に入ってればよかっただろ」
「いや……アルトに招いてもらってないなら、勝手に入るのは……ダメだと思って」
……律儀か。いや、計算か?
白い顔に、少し震えている肩。
髪、湿ってるな。風呂上がりでちゃんと乾かしてないだろ、こいつ。
俺は横にどいて、無言で中に入れる。
「お前、髪まだ濡れてるじゃん、確信犯だな?」
「ごめんなさい……我ながら、クズいと思ってます……」
自己評価が正確すぎる。
反省してる顔で、距離は詰めてくる。
高等技術だぞ、それ。
「あーもう……」
文句を言いながら、結局いつものように温風魔法を起動する。
ふわりと暖気が広がり、リーネの髪を乾かしていく。
ついでに湯を沸かして茶を淹れる。
「髪乾いたら、茶飲んで落ち着け。そしたら部屋まで送る。いいな?」
「うん……ありがとう、アルト」
湯気の向こうで、申し訳なさそうに目を細める。
愛している、という感情を隠しきれていない目だ。
……分かるから困る。
俺はカップを手にしたまま、もう一度小さく息を吐いた。湯気が、視界をやわらかく歪ませる。
「……アルト」
「なんだ」
「今日の会食、どうだった?」
話題を選んだな……俺達の事ではない、無難な会話。
俺は肩をすくめた。
「ただの昔話かと思ったら、がっつり情報収集だったな。バロックのやつ、最初から俺を巻き込む気満々だった」
「ふふ……バロックさんらしいね」
「……ああ。あの爺さん、顔に出ないだけで腹黒いからな」
リーネが小さく笑う。
その笑い方は、昔と変わらない。
……変わらない、か。
ふと、さっき廊下で考えていたことを思い出す。
「そういえば」
「うん?」
「この城、夜に幽霊が出るって噂あるらしいぞ」
「……えっ」
みるみるうちに、リーネの顔色が変わる。
「う、うそ……」
「最前線の城だしな。戦死者も多いだろうし。鎧の音が廊下で――」
「や、やめてっ」
こいつ、昔からそっち方面は壊滅的にダメだったよな。
夜中に物音がして、俺の部屋に突撃してきたこともあったっけ。
こういう所も、変わってないんだな。
俺はあっさり肩をすくめる。
「はい、嘘です」
「……もーっ!」
むくれた顔で、リーネがそっぽを向く。
「ホントにびっくりしたんだから……」
耳までうっすら赤い。
怖いのと、からかわれたのと、たぶん半々。
俺は少しだけ口元を緩めた。
「悪い悪い。廊下が薄暗かったから、つい」
「アルトが言うと、妙に本当っぽいの……」
「俺の信用度の問題か?」
「そう」
即答かよ。
沈黙が落ちる。
でも、昨日までの重い沈黙とは違う。
湯気の向こうで、互いの呼吸が混ざるだけの、穏やかな空白。
……悪くない。
こういう時間なら、まだ続けられるかもしれない。
俺は冷めかけた茶を一口飲みながら、そう思った。
“今度こそ二人でやろう””向き合おう”
言うのは簡単。
やるのは、まあまあ地獄。
それでも。
こうして部屋に入れて、茶を出して、送る気でいるあたり。
……俺も大概、チョロい。
《アルト。「大概」ではなく、「相当」チョロいです。もう少し、真面目にやってください》
(俺は、真面目にやってるよ、アビス)
俺は、残ったお茶を飲み干した。




