第24話 誰と寝るの?
晩秋の雨というのは、嫌がらせのために降っているとしか思えない。
肌を刺すような冷気を含んだ飛沫は、容赦なく外套を濡らし、体温をじわじわと奪っていく。
俺は眼鏡に付着した水滴を指先で弾き飛ばし、深くフードを被り直した。
《警告:深部体温の微減を確認。魔力による自己保温調整を推奨します》
(……そうだな。出立早々に、体調不良でダウンとか困るからな)
脳内で響くアビスの無機質な声に、俺は内心で短く応えた。
「うおー、冷てぇ! でもよ、これも魔王討伐への試練だと思えば燃えてくるぜ! みんなシャキッとしようぜ!」
前方で馬を駆るグラムが、雨を全身で浴びながら叫んだ。
……音量最大だな、ツマミは無いのかね。ミュートにしてやりたい。
こちらは雨具の中で粛々と現実を処理しているというのに、あいつはびしょ濡れ状態で精神論を展開している。
冷たい、の一言で済む話を、なぜ「試練」まで昇華する必要があるのか。
雨だぞ。ただの。
空が泣いてるとか、神の試練だとか、訳が分からん。濡れれば体温は下がるし、体力も削れるだけだ。
《アルト。個体名グラムの情動値は高揚状態を維持しています。外的ストレスを高揚で相殺していると推測されます》
(便利な脳内構造だよ。羨ましくはないな)
グラムは雨粒を弾きながら、無駄に爽やかな笑顔をこちらへ向けた。
全身キラキラしている。物理的にも比喩的にも。
あれは何だ。勇者専用エフェクトか。
雨すら「演出」に変えるの、ずるくないか?
「アルトー! こういう逆境、嫌いじゃないだろ?」
振り返りざまに言ってくる。
嫌いだよ。
好き好んで濡れたい人間がいるか。
「好きな訳ないだろ。逆境なんてない方がいい」
「ははっ、相変わらずつれないな!」
お前みたいにノリと勢いだけで生きてたら、毎日楽しいだろうな。
ただ、ああいう単純な熱量があるからこそ、人はついていくのだろうとも思う。
理屈は人を納得させる。
熱は人を動かす。
俺はそのどちらも知っているが、後者はあまり得意じゃない。
だからまあ――俺はひがんでいるんだろう。
「転ぶなよ、グラム。滑ったら笑うからな」
「ははっ! 任せろ!」
笑い声が、雨音を突き抜ける。
……本当に転べばいいのに、と一瞬思ったのは内緒だ。
俺がこいつをどうにも好きになれない理由は――一行の最後尾で、ひと言も発さずに馬を進めている、人物と関係がある。
リーネだ。
銀色の髪は雨に濡れて張り付き、その紫色の瞳は地面の一点を見つめたまま動かない。
彼女は、馬上で小さく身体を丸めていた。
寒いのか。
それとも――。俺は視線を逸らした。
俺は、昨夜、彼女がどれほど凄惨な顔で絶望していたか、思い出していた。
《個体名リーネ。情動反応が低下しています。中程度の抑うつ状態と推測されます。何か情報を共有して、意識を逸らしますか?》
(……そうだな。業務連絡するか)
俺は足を止め、アビスから送られてきたデータを脳内で整理した。
「……見えてきたぞ。あれが今日の宿営地、ルッカ村だ」
俺の言葉に、一同の視線が前方の霞んだ影の向こうへと向く。
《ルッカ村。戸数二十二、登録住民八十五名。……問題があります。宿屋が一軒のみ。部屋数は極めて限定的です》
アビスの淡々とした補足に、俺はわずかに嫌な予感を感じた。
いかんな。なんでも、悪い方向に考えるようになってる。
村の入り口に辿り着くと、そこには雨に煙る質素な木造の家々が並んでいた。麦の収穫を終えた後の、少し寂れた、だが手入れの行き届いた村の風景だ。
村の唯一の宿屋『麦の穂亭』の看板が見えた頃には、辺りは大分暗くなり、荒野の寒さはさらに厳しさを増していた。
「おっ、あったあった! よーし、今日はここでパーッといこうぜ! 温かい飯と酒だ!」
グラムが勢いよく宿の扉を開ける。
だが、そこには期待していた「安らぎ」ではなく、新たな「地獄」が待ち受けていた。
店主らしき老婆が困り果てた顔で差し出したのは、たった「三つ」の鍵だった。
「ごめんよ、旅の方。雨で足止めされた商人さんたちがいてね。空いてる部屋は三つしかないんだよ」
三つの部屋。
男が三人に、女が三人の、計六名。
グラム、バロック、アルト。
リーネ、フィオナ、ミリア。
《アルト。組み合わせパターンを計算しますか?》
(計算しても、どうにもならないだろ?これ)
六名で三部屋。単純に考えれば二人ずつだが、一部屋は必ず男女混合になる。
「はいっ! それじゃあ、私、アルト様と同じ部屋になりたいです!」
沈黙を切り裂いたのは、ミリアの無邪気な宣言だった。
彼女はキラキラした瞳で俺を見上げ、俺の黒衣の裾を掴む。
昨夜の魔法談義の続きをしたいのだろう。その純粋な好意は、今の俺には眩しすぎて直視できない。
「……ミリア。部屋割りはもっと慎重に――」
「えっ、でもアルト様と魔法のお話しをもっとしたいんです!ダメですか?」
俺の戸惑いを余所に、視界の端でリーネの肩が目に見えて震えた。
彼女の紫色の瞳には、絶望の二文字がはっきりと刻まれている。元嫁が、自分の「元席」に座ろうとする少女を見て傷つく。
メロドラマとしても、単純過ぎるかな。
「ミリアさん、ダメですよ」
救いの手を差し伸べたのは、フィオナだった。彼女はミリアの肩に手を置き、諭すように語りかける。
「貴女も年頃の女の子なんですから。男性と同室になるということが、どういう意味を持つのか、もっと自覚しなくてはダメです。……ね?」
「あ……」
フィオナの言葉に、ミリアの顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。彼女は弾かれたように俺の手を離し、自身の未熟さを恥じるように俯く。
「ご、ごめんなさい……! 昨晩のお話が楽しくて、つい。そうですよね、はしたなかったです。慎みます……」
微笑ましい光景だ。
だがこのパーティには、その安らぎを完璧に粉砕する、天性の「バカ」が居た。
「なんだよ、そんなに気にしなくてもいいじゃんか。部屋が足りないなら仕方ないだろ?」
グラムが鎧をガチャつかせながら、能天気に笑った。
こいつは、いつだってそうだ。空気が読めないどころではない。
ただ無邪気に、悪意無く、全てをぶち壊す。
「その点、俺とリーネなら問題ないぜ。俺たち、前は何度も一緒に寝てたしな。今さら部屋が一緒になったところで、気にするような仲でもないだろ?」
――。
宿屋のロビーが、物理的に凍りついた。
事情を知らない老婆の店主が「おや」と首を傾げ、フィオナが信じられないものを見るような目でグラムを凝視した。
バロックは無言で顔を覆い、ミリアは何が起きたのか分からず硬直している。
そして、リーネ。
彼女の顔から血の気が一気に引き、その後、怒濤のような怒りがその貌を真っ赤に塗り替えた。
「ふざけないで……! あんた、自分が何を言ってるか分かってるの!? 二度と、あんたとなんか――!」
リーネの激昂。だが、グラムは「そんな怒んなよー」とキラキラ笑っている。
そこには一切の悪意も、ましてや俺から妻を寝取ったという自覚すらも、塵ほども存在しなかった。
「やだなリーネ、俺だってわきまえてるって! 今は魔王討伐の遠征中だぜ? ただ一緒に寝るだけさ、変なことなんてしないよ。……気まずいのは最初だけだって」
――ぶちっ。
俺の脳内で、何かが切れた音がした。
視界がどろりとした赤に染まる。
心臓は、壊れた警報機のように激しい鼓動を刻み、全身の魔力回路が逆流する。
どす黒い殺意が、火山の噴火のごとく噴き上がった。
――こいつを、殺す。今、ここで。
一ミクロンの塵も残さず、この世から消し去ってやる。
俺の指先が、無意識に極大消滅呪文の構築を開始し――。
《警告:構築中の術式は、詠唱者の生命維持に深刻な影響を及ぼします。契約者保護条項に基づき、緊急プロトコル:『強制鎮静』を実行します。
なお、当該呪文による対象殺害の実行を希望する場合は、鎮静完了後、合理的な必要性を再検討した上で、再度申請してください》
瞬間、脳の深部に氷の針を打ち込まれたような衝撃が走った。アビスの感情制御だ。
真っ赤に沸騰していた視界が、一瞬にして冷え切った白黒の世界へと反転する。
煮え滾る怒りも、肺を焼く憎しみも、限界を突破した殺意さえも、巨大な真空に吸い込まれるように「無」へと変換されていく。
俺の顔から、人間らしい温度が完全に消失した。
顔を真っ赤に染め、屈辱と自己嫌悪のあまり言葉にならない奇声を上げたリーネが、半狂乱のままグラムに切り付けようと、剣の柄に手をかけた。
その細い手首を、俺は強制鎮静による機械じみた正確さで掴み、強引に静止させる。
「……アルト?」
震える声が、俺の名を呼んだ。
怒りに燃えていた彼女の瞳が、俺の無機質な貌を見て、一瞬で戸惑いに支配される。
アビスの処理によって人形のごとく冷え切った俺の視線は、今の彼女には異様な恐怖として映っているに違いない。
「離して……アルト。お願い。こいつだけは……っ!」
ハイライトの消えた瞳に涙を溜め、歯ぎしりをしながら声を絞り出すリーネ。
彼女の手首を固定したまま、俺は依然として「なんで怒ってるの?」と言わんばかりの顔をしているグラムを、温度のない瞳で見据えた。
「グラム、お前の提案は受け入れられないな」
「えっ、そうか? いい考えだと思ったんだけどな…」
「……お前の言う『親密度』や『経験』が部屋割りの基準だと言うのなら、元夫である俺が、彼女と同室になるのが最も自然であり、合理的だ」
俺の口から出た無感情な宣告に、その場にいた全員が、まるで物理的な衝撃を受けたかのように息を呑んだ。
掴んでいたリーネの手首が、ビクリと激しく跳ねる。
「リーネ。……俺と一緒の部屋でもいいか?」
感情を一切排し、確認作業として事務的に問いかける。
リーネは目を見開き、信じられないものを見るような眼差しで俺を凝視した。
羞恥、混乱、自己嫌悪——それらがぐちゃぐちゃに混ざり合った視線。
人形の様な俺の顔を見て、リーネの視線は悲痛な色に染まる。
しかし、やがて彼女の瞳の中に、消え入りそうな、「喜び」が滲み出す。
「……いいの? 本当に……アルト、私と……?」
縋るような、震える声での問いかけ。
それに対し、俺はアビスによって凍りついた思考を、そのまま言葉として出力した。
「お前がグラムと泊まるよりはマシだ」
「ア、アルトがいいなら、私は喜んで……」
リーネは感極まったようにそう漏らすと、溢れそうになる涙を隠すように深く俯いた。
彼女が安堵しているのか、それとも別の情動に振り回されているのかをアビスが分析しようとしたが、俺はその思考をシャットダウンした。
「あ、なるほど。アルト、頭いいな! 確かにそれならリーネも、アルトと一緒の方が安心だよな」
グラムはポンと手を叩き、実にあっさりと、そして無邪気に頷いた。
こいつの脳内には「デリカシー」という概念が保存される領域が存在しないのだろう。悪意がないからこそ、タチが悪い。
「じゃあリーネ、俺とはまた、今度な……ッゲフッ?!」
これ以上ないほどの爽やかな笑顔で親指を立てたグラムの側頭部を、バロックの岩のような拳が容赦なく殴り飛ばした。
「お前は、少し黙っていろ」
鈍い音と共に白目を剥いて崩れ落ちた勇者を、バロックはゴミ袋でも扱うかのような手懐さで肩に担ぎ上げる。
そして、俺に向かって、深い皺をさらに深く刻みながら、お茶目に片目を瞑ってみせた。
「むっ、こりゃあいかん。フィオナ殿、至急、治療を頼めますかな?」
バロックの台詞が棒読みすぎる。
「ええ、もちろんです。首が取れても二分以内なら、何の問題もなく『修理』して差し上げますわ。
とりあえず、グラムさんを部屋へお連れしましょう。バロックさん、搬送をお願いしても?」
「承知した」
ニコニコと笑うフィオナだが、その双眸は超越者のように感情がない。
「ミリアさん、申し訳ありませんが、グラムさんの頭がぶれないように支えてくださる? 一緒に部屋に行きましょう」
「は、はい……」
ミリアは震える手で、グラムの頭を抱えた。
(なんで、こんなことに……)
さっきまで楽しかった魔法の話が、今は遠い昔のように感じる。
大人の世界って怖い。
「それではアルトさん、リーネさん。また夕食の時に」
バロックとフィオナ、そして何が起きたのか理解が追いつかず半泣きでグラムの頭を抱えるミリアが、ピクピクと跳ね続ける勇者を連れて、足早にと消えていった。
静寂が戻ったロビー。
俺たちの前には、カビ臭い宿屋の空気と、真っ青な顔でブルブル震える、宿屋の老婆だけが残された。
……なんか、申し訳ございません。
「……行くか」
俺は老婆から受け取った真鍮の鍵を一本、淡々と指に引っ掛けた。
それから俺は、リーネの手を引きながら、ギシギシと鳴る階段を上り始めた。
手首を掴んだままだと、歩きにくい。
そう判断して、掌に持ち替えた。
《アルト。手首ではなく掌を選択し、かつ指を絡める保持方法は、心理学的に『深い愛着と独占欲』の表れですが、心情を解析しますか?》
(……うるさい。手首よりも安定すると思っただけだ)




