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サレ賢者の俺TSUREEE! 間男勇者と元嫁シタ剣士パーティが地獄過ぎて笑う  作者: 黄昏一刻
一章:変わった二人変わらない二人(全12話)
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第21話 契約の終わり、旅の始まり

 王都の下町。

 湿った路地の匂いと、安っぽい洗濯石鹸の香りが混じる、安普請の長屋の前に俺は立っていた。

 

 元廃人の仮住まいとしては、上等だと思う。

 魔王討伐パーティの訓練が始まるまで、俺はここでエリスと暮らしていた。


 ギィ、と建付けの悪い扉を開ける。

 この音を聞くと、妙に「帰ってきた」という気分になるのが癪だ。


「あら? おかえりなさい。まだ訓練期間じゃなかったっけ?」


 台所から振り返ったエリスが、いつもの調子で微笑む。

 夕飯の支度の最中らしい。

 エプロン姿で木べらを持ったまま、軽く化粧をしている。この後、マリアを寝かせて酒場に出るのだろう。


 灯りの下の彼女は、相変わらず線が細い。

 強く見せようとしているのに、どこか儚い。……困る。


 俺は、屋台で買ってきたマリアの好きな串焼きを掲げた。


「今日は休暇をもらえてね。一緒に夕飯を食べようと思って」

「あら、そうなの? ありがとう。マリアが喜ぶわ。入って待ってて」


 自然だ。

 自然すぎる。


 俺がいなくなる可能性を、まだ計算に入れていない顔だ。

 あるいは――入れていて、知らないふりをしているのか。

 


 


 三人での夕飯は、いつも通り穏やかで美味しかった。

 …相変わらず、焦げた部分の処理は俺の担当だったが。

 

「アルト、またくるー?」


 マリアが、眠そうな目でこちらを見る。

 俺は、少しだけ躊躇してから、頭を撫でた。


「……どうだろうな。しばらく忙しくなるから」

「さみしい」

「そうか」


 マリアの小さな手が、俺の指を掴む。

 温かい。

 こんな小さな手が、誰かを信じて掴んでくる。……エリスの気持ちが判るな。


「でもな、マリア。お前のお母さんは、世界一頑張ってるんだぞ」

「うん、しってる」

「だから、お前もお母さんを助けてやれよ」

「うん!」


 マリアが、にこりと笑った。

 その笑顔を見て、胸の穴がまた、少しだけ軋んだ。


「おやすみ、マリア」

「おやすみー」




 

 マリアを寝かしつけたあと、エリスがワイン片手に戻ってくる。


「……それで、どうしたの? 急に酒場を休めなんて言い出して?」


 向かいに腰を下ろし、手慣れた動作で自分のグラスに注ぐ。

 少しだけ量が多いな。無意識だろう。

 俺は息を整えた。

 ……いかん、緊張してきた。


「今日、正式に魔王討伐パーティメンバーに選定された。二週間後に出立する」


 エリスはグラスを口に運んだまま、一瞬だけ止まった。

 ほんの一瞬。

 それから、ゆっくりと一口ワインを飲み込み。


「……そう」


 と、短い吐息のように返事をした。


「それじゃあ、私はお役ごめんかしら? 賢者の学院との契約は条件がよかったから、残念ね。ありがたかったんだけど」


 にっこり笑う。

 片頬にエクボ、八重歯が少しだけ覗く。

 エリスの完璧な営業用スマイルだな。


 だけど、両眉がわずかに下がっている。

 彼女が強がるときの癖だ。

 一年近くの同居生活で、それくらいは分かるようになっていた。


 そして厄介なことに。

 その笑顔が、もう他人事ではないと自覚している自分がいる。


 感情を削って、廃人半歩手前まで行った男の癖に、大事な人くらいはできるらしい。


《チョロすぎです。アルト》

(お前……もう少し空気読めよ、アビス)

《事実の指摘です》


 ……ぐうの音も出ないのが腹立たしい。


 俺は懐から重い革袋を取り出し、テーブルに置いた。金貨同士が擦れ合う、品のない音が部屋に響く。


「これは?」

「魔王討伐パーティメンバーへの準備金だ。それなりに入っている」


 エリスが怪訝そうに袋を見る。

 俺は視線を逸らし、窓の外の濁った夜空を眺めた。

 まともに目を見ると、たぶん言い訳が増える。我ながら、ヘタレ過ぎる。


「世話になった礼だ。エリス。これで足りるだろ?こいつでお前の借金を返してくれ」

「……あんた、何言って――」

「借金が無ければ」


 遮る。冷静に。事務的に。


「借金が無ければ、もう俺みたいな“訳あり物件”に身を売る必要はないだろ。

 マリアを連れて、自分の店でも持てよ。お前、料理は焦がすけど味は悪くない」


 沈黙が落ちる。


 エリスは、しばらく革袋を見つめていた。

 その視線は、金貨の重さを量っているというより――俺の言葉の意味を、噛み砕こうとしているように見えた。


「……あんたさ」


 低い声だった。

 さっきまでの営業用の笑顔は、もうどこにもない。


「それ、どういうつもりで渡してるの?」

「どうって……世話になった礼と、これからの――」

「礼?」


 遮られた。

 ぴしゃり、という音が似合う声だった。


 エリスは俯いたまま、革袋の口をきつく握る。

 細い指が震えている。怒っているのか、泣きそうなのか、一瞬わからなかった。


「助かるわよ。そりゃ助かる。借金が消えたら、どれだけ楽になるかくらい、私が一番わかってる」

「……ああ」

「マリアに、もっとまともな暮らしをさせてあげられる。夜の仕事だって減らせる。こんなの、ありがたいに決まってる」


 そこまで言って、彼女は顔を上げた。

 目が、少し赤い。


「でもさ、だから悔しいのよ」


 胸の奥で、何かが止まった気がした。


「助かるって分かるから、受け取るしかないのが悔しいの。ありがとうって言わなきゃいけないくらい、今の私は追い詰められてる。そんなの、悔しいに決まってるでしょ」


 ……そうだ。

 分かっていたはずなのに。

 俺はたぶん、“救う側”みたいな顔をしてしまっていた。


「エリス、俺は別に――」

「それに」


 また遮られる。

 今度は、声が少しだけ掠れていた。


「あんた、勝手に区切ろうとしてるでしょ」


 図星だった。


「これ渡して、礼を言って、綺麗に終わらせて。はい、おしまいって。そういう顔してる」

「……」

「ふざけんじゃないわよ」


 怒鳴ったわけじゃない。

 でも、その一言は怒鳴り声より痛かった。


「何よ、それ。あんた、勝手に死ぬかもしれない場所に行くって決めて、勝手に金だけ置いて、勝手に“これで安心だろ”って顔して。こっちの気持ちはどうでもいいの?」


 革袋を握りしめる指先に、力がこもる。


「私はね、助かるの。ものすごく助かる。感謝もする。……でも、それとこれとは別なの」

「……ああ」

「勝手に区切るな」


 その言葉は、泣く寸前の声で、なのに妙に真っ直ぐだった。


「終わり方くらい、私にも選ばせなさいよ。あんたに助けられて、はい綺麗にサヨナラなんて、そんな都合よく割り切れるわけないでしょ」


 胸が痛い。

 たぶん、正しく痛い。


 俺は視線を逸らしたまま、ゆっくり息を吐く。


「……悪い」


 それしか出てこなかった。


「うん。最低」


 即答だった。

 だが、そのあとエリスは少しだけ笑った。泣きそうな顔のままで。


「でも、そういう不器用なとこ込みで、あんたなんでしょうね」


 ぽつり、と。

 今度は彼女の涙が、革袋の上に落ちた。


「……ありがと」


 掠れた声だった。


「悔しいけど、ありがたい。腹立つけど、救われる。だから受け取る」

 

 彼女は涙を拭い、俺を見た。


「でも勘違いしないで。これは手切れ金じゃないから」

「……手厳しいな」

「当たり前でしょ」


 鼻を鳴らしてから、エリスは少しだけ口元を歪めた。


「これは、あんたがちゃんと生きて帰ってきて、私とマリアが立て直した生活を見に来るための見物料。勝手に美談にして終わらせたら、承知しないから」


 エリスの湿った声が、部屋の中に滲む。


「あんたの言った通りにしてやるわよ。借金返して、新しいお店でも初めて……マリアと世界一幸せな親子になってやる」


 泣き笑いの顔。

 エクボが歪んで、八重歯が震えている。

 俺は、ただ頷いた。


 胸の穴は、相変わらず空いたままだ。

 だが今そこに、何か流れ込んでいる。

 温かくて、少しだけ苦しい何かだ。


 たぶん、これは。

 ……まぁ、いいか…

 

「今晩はもう少し付き合ってよ。もう最後なんでしょ?」


 俺のグラスにワインを注ぎながら、エリスが笑った。

 今の彼女の眉は下がっていない。いつも見ていた笑顔だった。




 

 俺とエリスは、長いこと話した。

 別れ話のはずなのに、なぜか思い出話に脱線するあたり、俺たちらしい。

 未練がましいのは自覚している。だが今さら格好はつけない。


「最初あんたが来たときさ。幽霊かと思ったわよ」


 エリスがワインを揺らしながら笑う。

 否定できないな…

 あの頃の俺は、食事も会話も指示待ちで、ただの置物だった。


「だから、こんなの世話しなきゃならないのかって、あんたの師匠からの契約金に、介護料を上乗せしてもらってたの」

「……は?」


 さらっと爆弾を投げるな。


「だって割に合わなかったもの。夜中に急に起きて壁見つめてるし、話しかけても三秒遅れだし」


《事実です》

(そっとしといてくれ…アビス。俺のHPはもうゼロだよ……)


 知らなかった。いや、考えれば分かることだ。

 俺は“療養”という名目で転がり込んだが、まともな生活機能は停止していた。

 それでも彼女は、俺を追い出さなかった。


「マリアが熱出したとき、覚えてる?」


 ああ、と頷く。


 あの日だけは、身体が勝手に動いた。

 山に入って薬草を採って、解熱剤を煎じた。手順は正確だった。感情は伴っていなかったが。


「その時ね、ああ、あんた、生きてるんだって思ったの」


 エリスが、少しだけ目を伏せる。

 ——初めて人間に見えた、と。


 あの時の俺は、ただ“やるべきこと”をやっただけだ。

 だが彼女にとっては、違ったたらしい。


 大したものだ。

 俺は自分が壊れていると思っていたが、彼女はそれでも、俺自身を見ていた。


 話題は、自然と魔王討伐の話に移っていた。


「……で? その元嫁と間男が同じパーティって、本気で言ってる?」

「ああ。世界が狭いのか、俺の運が底値更新中なのか。どっちにしろ笑うしかないよな」


 自分で言って、ちょっと乾いた笑いが漏れる。


 エリスは本気で怒った。


「信じられない! 何それ、嫌がらせ? 王国ってそんなに人材不足なの?」

「優秀な人材ほど因縁持ちなんだろ。ドラマ性重視だ」

「いらないわよそんな演出!」


 俺の代わりに怒ってくれる人間がいる。

 それが、こんなに眩しいとは思わなかった。


「やめときなさいよ、そんな修羅場確定パーティ」

「辞退できる立場ならな。それに、そのおかげでお前の借金が返せる」

「えっ、それじゃあ、あのお金は……」

「迷惑料込みだと思う。精神的慰謝料の前払い」


 自嘲気味に笑う。

 エリスは少しだけ考えて、それから肩を竦めた。


「……そっかぁ。じゃあしょうがないか。私とマリアの為に、修羅場ってきてね」

「ひでぇ」


 顔を見合わせて、笑う。

 妙に軽い笑いだった。

 重い話を誤魔化すための、最後の共犯みたいな笑い。


 笑いが途切れると、沈黙が落ちる。

 視線が合う。


 離れ難い――

 その言葉を、どちらも口にしないだけだ。


 この部屋を出れば、俺は魔王討伐へ向かう。

 彼女はマリアと生きていく。


 交わらない未来だ。

 醒めた頭では、理解している。


「……ほんと、行くのね」


 その声は、強がりを半分も含んでいなかった。


「……あぁ、そろそろ行くよ」


 立ち上がる。交わらないと理解しているのに、足が少しだけ重くなる。

 玄関へ向かう途中。


「アルト」


 呼ばれて振り向いた瞬間、エリスが両手で俺の顔を引き寄せた。


 唇が重なる。

 短くない。

 

 かといって、未来を約束する長さでもない。

 

 互いに確かめるみたいに、少しだけ強く。

 離れたあと、エリスが笑う。


「契約終了のサービスね。業務外だけど、オマケ」

「高いオプションだな」


 声が、少し掠れた。


「今まで、本当にありがとう、エリス」


 彼女はいつもの笑顔を作る。

 エクボと八重歯。完璧な営業スマイル。

 でも、目が少し赤い。


「私のこと、忘れないでね」

「忘れられるほど器用じゃない」


 一生、とは言わない。言えば、帰ってくる理由にしてしまいそうだから。


 二歩下がる。

 距離ができる。


「じゃあな。マリアと仲良くやれよ。いい男でも、見つけろ」

「言ったでしょ? 男はもうこりごりなの。あんたが最後でいいわ」


 軽口の形をしているのに、中身はずいぶん重い。

 それじゃあ、と踵を返す。


 背中に視線を感じる。

 振り返れば、たぶん決心が鈍る。


「アルト! 生きて帰ってきなさいよ!」


 強い声。

 命令形。

 ああ、エリスは最後まで強いふりをするなぁ。


 俺は振り返らず、片手を上げた。


 胸の穴は、相変わらず空いたままだ。

 けれど今は。

 少しだけ温かい何かで、少しだけ埋まった気がした。


 俺は歩き始めた。

 前へ。

 魔王討伐へ向かうために。


 勇者。戦士。聖女。精霊使い。

 共に行く面々の顔を、順に思い浮かべる。


 最後に、ひとり。


 一度、手放したはずの名前が、胸の奥で静かに軋んだ。

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