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サレ賢者の俺TSUREEE! 間男勇者と元嫁シタ剣士パーティが地獄過ぎて笑う  作者: 黄昏一刻
一章:変わった二人変わらない二人(全12話)
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第20話 風通しのいい胸

 窓の外では、王都の喧騒が遠い波音みたいに揺れている。

 俺は、賢者の学院の片隅、古びた紙と触媒の匂いが壁にまで染みついた、ヴィクター師匠の研究室、通称『極北のアルカード研』を訪ねていた。


「この度、正式に魔王討伐軍パーティの一員として、任命を受けました」

「……そうか」


 羊皮紙から目も上げずに、師匠は返事をしてきた。声の温度は常に氷点下だ。

 教え子が魔王討伐に行くというのに、感慨ゼロ。

 さすが極北。


 だが俺は、この人には二つ、でかい借りがある。


 一つは、《深淵叡智端末アビス=レイザル》との契約。


 妻に浮気され、離婚して、人生の土台ごとひっくり返った俺に――

「そんなに辛いなら、感情を削るか?」と、さらっと禁忌との契約を提案した人だ。

 感情を代償とした悪魔との契約。普通なら止める側だろうに。


 もう一つは――

 俺の“喪失”を埋めるために、一人の女性との生活を手配してくれたこと。

 あれがなければ、今も多分、俺は壁と会話していただろう。


「魔王討伐パーティは訓練期間中で、まだ仮選定だったと記憶しているが?」


 灰色の瞳がこちらを向く。黒髪、黒縁眼鏡、黒スーツ。

 色彩を忘れたみたいなこの人の中で、瞳だけがやけに目立つ。


「一週間で管理ダンジョンを二カ所踏破したら、宰相自ら菓子折り持って、頼みに来まして」

「確か一昨日、『鳴動の針迷宮』をクリアしたんだったな。あそこはレイド攻略推奨だったはずだが、無茶をしたものだ」


 ……情報、早すぎないか?


《アルト。個体名ヴィクターは、一日平均二回、魔王討伐パーティの動向を確認しています》

(うわぁ…相変わらず、分かりやすいツンデレだな、この人)


『極北のアルカード研』の主、ヴィクター・アルカードは基本的に冷徹だ。研究以外の雑音は遮断する。感情は極力排除する。


 ただし、身内は例外らしい。


 離婚後、廃人寸前まで落ちた俺が――一年半で魔王討伐パーティに選ばれるまで戻れた。

 それは、削った感情のせいでも、俺の努力でもなく。この人が、俺を見捨てなかったからだ。

……本人は、絶対に認めないだろうが。


「……それで、エリスには会いに行くのか?」


 その名を聞いた瞬間、思考が一瞬だけ空転した。





 リーネと離婚した直後、俺には何もなかった。

 いや、正確には穴だけがあった。


 リーネを失って、胸の真ん中に風通しのいい大穴が開いた。

 最初俺は、その穴を悲しみと怒りで埋めようとしたんだが、それらは俺ごと焼くタイプの燃料でもあった。


 悲しめば悲しむほど。

 怒れば怒るほど。

 炎は燃え盛り、俺自身を焼いた。

 

 焼け焦げになりかけた俺を見かねたヴィクター師匠が、俺をアビスと契約させて、悲しみも怒りも削りとってくれたんだ。


 ただ、その結果。


 穴はそのまま残った。

 何も入れるモノがない穴は、わりと簡単に人間を呑み込む。

 俺は、ほぼ底まで落ちかけた。


 悲しみも怒りも消えたら、俺には何もなくなった。


 何も感じない。

 何も欲しくない。

 食事は作業。睡眠は義務。呼吸は惰性。


 もう、何もかもがどうでもよかった。

 俺はただ、死んでないだけになっていた。

 

 そんな俺を、師匠は次にエリスの家に放り込んだんだ。


 エリス=バレンタイン。


 一年近く、俺の「療養」に付き合ってくれた、強がりのバツイチ、シングルマザー。

 

 線の細い身体。

 華奢というより、常に張り詰めている人間特有の“削れた細さ”だ。


 働き詰めのせいで指先は少し荒れている。

 だが娘の髪を結うときだけは、驚くほど丁寧だった。


 笑うと、片頬にエクボができて、ついでに八重歯も覗く。

 本人は気づいていないが、あれは反則だと思う。強がってる癖に、効果が半減している。


 昼は食堂で給仕。夜は酒場で働き。時折、「紹介」という名の、男相手の割り切り業務で稼いでいた。


 全部、元夫の借金のためだった。

 難易度変更不可の人生ハードモードだ。

 全く笑えない。


「男なんてこりごり」


 初日にそう言っていた。

 言葉は豪快だったが、声の奥が少しだけ震えていたのを覚えている。

 感情を削って空っぽになってた俺の中で、その震えだけが妙に反響していた。


 彼女を「強い女」だと思ったことはない。

 彼女は、”強くあろうと無理している女”だった。


 娘の前では、絶対に崩れなかった。

 泣くのは台所で、こっそりと声を殺してた。

 笑うときは、少し大げさに声を出してた。


 俺に対しても、最初は完全業務対応だった。


「療養なんでしょ? じゃあ規則正しくご飯食べなさい」


 感情を削って人形化していた俺に、眉を吊り上げて生活習慣を叩き込んでくれた。

 半分収容施設の看守で、半分は姉のように接してた。


 ただ、夜更けに娘の寝顔を見つめる横顔は、普通の母親で。

 俺の隣で眠るときは、普通に人肌を求める儚い女だった。


 同じ部屋で寝起きし、エリスと娘のマリアと同じ食卓を囲む生活。


 朝はマリアの「おはよー」で強制起床。俺の目覚ましより優秀だ。

 エリスは寝癖のまま台所に立ち、焦げかけたパンを器用に誤魔化す。俺は黙って皿を並べる。役割分担は自然に決まった。


 昼はそれぞれの仕事へ。夜は簡素な夕食。

 マリアが今日の出来事を大げさに報告し、エリスが笑い、俺は相槌を打つ。

 俺の感情は薄いはずなのに、その光景は妙に輪郭がはっきりしていた。


 寝る時はエリスと同じベッドで眠り、時折肌を重ねた。

 

 単調だったが、穏やかな日々だった。

 

 俺と彼女の関係は、依存ではないし、恋でもない。


 ただ、空っぽの器と、ひび割れた器が、同じ棚に並べられただけだった。


 だけどエリスとの生活は、俺の胸の穴に、悲しみでも怒りでもない何かを少しずつ流し込んだ。

 それは、少なくとも俺を焼かない何かだった。


 その何かは、穴を完全に満たしてはくれなかったが、俺は再び、人として生きることができるようにはなった。


 



「はい。そのつもりです。出立は二週間後になりますが、休暇はもうないですから」


 今の俺の一部は、彼女で構成されている。それを消すことは、多分もうできない。


 ただ結局、穴は今も埋まってはいない。

 穴を埋める必要があるのか、今の俺にはわからない。


 だからこそ、俺はエリスに会って、ちゃんと別れを告げなくてはならないんだ。

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