第19話 肩越しの体温、届かない距離
兵隊蜂の数が、目に見えて減ってきた。
圧迫が緩んだ。潮目が変わる。
(アビス。戦況確認。グラムとバロックは?)
《両名とも健在。HP損耗率20%未満。バロックは持続回復中。戦闘継続可能です》
優秀。実に優秀。
……で。
問題はこっちだ。
旋風と化していたリーネの回転が、わずかに鈍ってきている。
足運びに遅延。剣の軌道が僅かにブレている。
――限界、近いな。
このままじゃ、何れ蜂の群れに押し込まれる。
…させるかよ。
(アビス。残りのマジックミサイルを、全弾バロック周辺に叩き込め。蜂を一掃して二人をフリーにする)
《了解》
光弾が唸りを上げ、矛先を変える。
多標的同時照準、自動誘導。
バロックとグラムに群がっていた蜂を全て撃墜。
二人の周囲から、脅威が消える。
「バロック、グラム! リーネが限界だ! 前に出て、リーネとスイッチしてくれ!」
一瞬、固まる。きょとん。
……いや、考えるな。走れ。
もう一度言う前に、二人は地を蹴っていた。
「よっしゃぁ!任せとけ! 待ってろよリーネ!」
グラムが吼える。
……あ?
待ってろよ、だと?
あの野郎、誰の許可取って吐かしてやがる。
《アルト。許可を取ってたら間男には、なりません》
(おまっ!、言っていい事と悪い事がっ…!)
《演算負荷、激増しています》
(誰のせいだよっ!…ったく)
俺は強引に思考を切り替える。
(アビス。精霊語で高粘度水球生成コードを組め。拘束特化、即時展開型)
《了解、アルト》
次の瞬間、網膜にアビスのカーソルが走る。
精霊語の幾何学的な魔法陣式。音韻配列。干渉係数。
完成済みのコードが、そのまま網膜に映し出される。
――これが、俺の種明かしだ。
深淵叡智端末アビス=レイザル。
感情の一部を演算資源として差し出す代わりに契約した、禁忌の悪魔。深淵に蓄積された知識の集合体。
脳内実装型。逃げ場なし。
アビスは、膨大な情報から最適解を計算し、呪文を“生成”する。
人間では不可能な、多重効果並列魔法の呪文構築も、こいつにかかれば朝飯前だ。
「ミリア!」
俺は声を張った。
「ちょっと来てくれ。俺には精霊魔法は無理だが、お前の出力なら、これを撃てるはずだ」
俺はメモにコードを書き殴りながら、彼女を呼ぶ。
ミリアが、風をまとって駆け寄ってくる。
……いつ見てもキラキラしてんな。
なんで、背景に光の粒子が舞ってる感じになるんだ。
戦場だぞ、ここ。
ほとんど白に近い銀髪がふわりと舞い、紅い瞳が真っ直ぐこちらを見る。
……まぁ、可愛いな。
《アルト。視線の固定時間が5秒を超過しています》
(あ、いや、違う。魔法のエフェクトを観察してただけで――)
《アルト。個体名ミリアの年齢は13歳。未成年です》
(分かってるよ?)
《NTRクソ雑魚ナメクジの癖に、別方向の癖もお持ちで?》
(……っ、そんなリスキーな癖なんか、あるか。ハードル高すぎるわっ!)
ミリアが息を整えながら俺を見る。
「アルト様、どうしました?」
「加速バフは一旦終了でいい。こっちを頼めるか?」
メモを差し出す。
精霊語で構築された高粘度水球生成コード。
ミリアの目が、ぱち、と見開かれる。
「……え?」
次の瞬間、食い入るようにメモを読む。
「すごい……こんな詠唱、組めるんですか……?干渉式が三重……え、でも、これ本当に安定するんですか……?」
完全に研究者モードだ。
紅い瞳が宝石みたいに輝き、彼女の顔に嬉しそうな笑みが広がる。
……この娘、本当に魔法が好きなんだな。
「ミリア」
「あ、は、はい!」
「多分、そろそろボス戦になる」
ダンジョンの壁一面に広がる巨大な巣の奥から、不気味な振動が近づいてきている。
低い唸り声。羽音ではない、もっと重く、威圧的な何か。
——来るぞ。
「あの巣穴の出口、三ヶ所。そこに水球を展開して封鎖したい。できるか?」
一瞬、ミリアの頬がほんのり赤くなる。
「……あっ、はい。やります。頑張ります!」
頼もしい。
ミリアはその場で一歩下がり、両手を広げる。
精霊語の詠唱が、澄んだ声で紡がれ始めた。
同時に、足元に風が渦を巻く。
眩い光が彼女の輪郭を白く溶かし、舞い散る光の粒が、少女を幻想的に包み込む。
――神楽舞が始まる。
袖が翻り、銀髪がなびき、しなやかな手足が孤を描く。
精霊に捧げる祈りを舞いながら、精霊魔法が紡がれていく。
…いや、これ完全に変身シーンだよなぁ。
《アルト。視線の固定時間が5秒を超過しています》
(うるさい)
……うん、俺に変な癖は無いはず。
光の収束と共に、巣穴の出口を覆うように水球が現れる。
ほぼ、同時に——水球が、歪んだ。
次の瞬間。
兵隊蜂の数倍はある巨体が、水の檻に真正面から突っ込んできた。
鈍い衝突音が響き、高粘度の水球が、大きく波打つ。
嵌った。思わず、口の端が歪む。
――このダンジョンの主。
『女王蜂』。
本来なら、高速飛行と、一撃必殺の毒針を持った、最悪クラスの空中機動型モンスターだ。
空を制し、刺した相手を即死させ、気づいた時にはもう背後にいる――そんな理不尽の塊。
……が。今は違う。
巨体は、水球の中で無様にもがいていた。
翅は重い水に絡め取られ、まともに羽ばたけない。脚も、顎も、毒針も、水の抵抗に縛られている。
飛ぶどころか、這うことすら満足にできない。
——よし、成功。
胸の奥で、小さくガッツポーズを決める。
賢者、感激。拍手してほしい。ざまあ。
「バロック、グラム! 女王蜂は拘束中だ! 攻撃開始! 大顎と毒針だけは警戒しろ!」
「ヒャッハーッ! 蜂蜜にしてやるぜぇ!」
「了解した」
二人が同時に踏み込む。
バロックの戦鎚が、水球ごと女王蜂を叩き潰す。グラムの聖剣が、抵抗なく水に滑り込み関節部へと叩き込まれる。
体液が水の中に滲み出し、水球が濁っていく。
女王蜂は暴れる。だが、動けない。
拘束された時点で、勝負は終わっている。
……うん。
これはもう、支援はいらないな。
網膜の端に表示された自分の魔力残量を見る。
残り、約20パーセント。
節約、大事。超大事。
ここで無駄遣いして、ボスの断末魔攻撃で逆転負けとか、笑えないにも程がある。
よし、決めた。あとは前衛の仕事だ。
俺は後ろで、かっこよく見守る係に戻ろう。
それから、グラム。
女王蜂は倒しても、蜂蜜にはならないぞ。
とりあえず、突っ込みだけは入れておこう。
「アルト」
呼ばれて顔を上げると、フィオナがリーネの身体を支えて立っていた。
……いや、正確には。
支えていなければ、あいつはもう立っていられなかった。
リーネの足は完全に止まっていた。
さっきまで、あれだけ無茶苦茶に動き回っていた脚が、まるで役目を終えた道具みたいに、力を失っている。
呼吸が浅い。肩が小さく上下している。
剣は握っているが、握っているというより、落とさないように、指に引っ掛けているだけだ。
鎧のあちこちに傷。
頬には、蜂の毒針が掠めた細い血の跡。
ああ、本当に。
どこまで無茶をするんだ、この女は。
……理由は何となく分かるけどな。
フィオナが、俺を見る。
治癒は済んでいる。毒も抜けている。命に別状はない。
「……歩けるか?」
一応、聞いてみる。
リーネは、上目遣いに俺を見た。
その目は――戦場で見せていた剣士の目じゃなかった。
ただの、疲れ切った人間の目だった。
「……だい、じょうぶ……です」
大丈夫な人間は、そんな震え方をしない。
一歩、踏み出そうとする。
――崩れた。
反射的に、身体が動いていた。
気づいたときには、俺の腕が、リーネの身体を支えていた。
軽かった。
昔より、軽い気がした。
いや、実際に軽くなったんだろう。
離婚してソロになった後、リーネの無茶な訓練と、無茶な依頼のこなし方は聞いていた。
「……馬鹿だな」
思わず、口から漏れた。
誰に向けた言葉なのかは、よく分からない。
こいつか。俺か。両方か。
リーネの身体が、びくりと震えた。
拒絶されたと思ったのかもしれない。
まあ、実績だけ見れば、そう思われても仕方ない関係だ。
俺は、小さく息を吐いた。
「……無茶しすぎだ。お疲れさん」
それだけ言った。
それだけ言うのが精一杯だった。
責める言葉も、許す言葉も、俺にはどちらも言えなかった。
だから、ただ事実だけ告げた。
リーネは、俯いたまま、何も言わない。
俺の服を、ほんの少しだけ掴んでいる。
倒れないようにするための、最小限の力で。
昔みたいに、縋っているわけじゃない。
ただ、倒れないためだけの力。
「……とりあえず」
俺は、リーネの腕を肩に回した。
「歩けないなら、寄りかかれ」
リーネが、息を止めた。
別に恋人じゃなくても、妻じゃなくても、支える位はいいだろう。
「……ごめんなさい」
消えそうな声で、リーネが言う。
「……気にしなくていい。パーティメンバーだからな。それより早く、後ろに下がるぞ。ここだと、戦闘に巻き込まれる」
できるだけ、事務的に言った。
余計なものが混ざらないように。
優しさとか、言い訳とか、そういう役に立たないノイズが滲まないように。
リーネが、小さく息を呑む。
顔は見えない。
俯いたまま、銀の髪が影を落としている。
ただ――
嗚咽が、聞こえた。
小さく。
必死に押し殺して。
それでも、抑えきれずに零れてしまう音が聞こえる。
俺の肩に預けられた身体は、軽くて、温かくて。
戦場で振るっていた剣と同じ人間とは、思えないくらい脆かった。
久しぶりに感じる体温だった。
昔は、これが当たり前だった。
隣にいて。触れられる距離にいて。
触れる理由が、ちゃんとあった。
今はもう、ない。
俺は、リーネを支えながら歩く。
一歩。
また一歩。
たったそれだけのことが、妙に意識に引っかかる。
支えているだけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
……のはずなのに。
支えたいのか。
それとも。
抱きしめたいのか。
自分でも、分からなかった。
分からないから――何もしない。
できるのは、歩くことだけだ。
嗚咽を聞きながら。
彼女の重さを、肩で受け止めながら。
黙って、歩く。
俺たちの間には、もう名前のつかない距離がある。
近くて。遠くて。
昔よりも、ずっと曖昧な距離。
触れているのに、届かない。
本当に滑稽だ。
何が賢者だ。
自分の感情一つ、まともに制御できない。
悪魔と契約してまで、感情を消したかったのに。
消えてほしかったものだけが、しぶとく残っている。
「……ホント、馬鹿だな……俺」
誰にも聞こえないように、小さく呟いた。
それでも、肩越しに伝わったのか。
リーネの指が、ほんの少しだけ――
俺の服を、強く握った気がした。




