第16話 蟲まみれ未練まみれ
王宮の一室、重厚なマホガニーの円卓を囲むブリーフィングルームの空気は、お世辞にも健康的とは言い難かった。
換気魔導具が静かに回っている……はずなのだが、室内には言葉にできない「気まずさ」が澱のように溜まっていた。
原因は分かっている。
俺だ。
正確には、俺と目の前の聖剣のオマケのせいだ。
「……以上が、管理ダンジョン第十五号――通称、『鬼の檻』攻略結果から推測される、本パーティの課題だ。
その為、今日からは王国管理下の指定ダンジョン数箇所を連続で攻略し、本番に向けた最終調整を提案する。
具体的な課題と、攻略するダンジョンについては、手元の資料を見てくれ」
壁に展開した簡易投影図を指し示しながら、俺は淡々と説明を続ける。
魔王討伐パーティの戦力構成と課題事項。
課題解決の為の訓練内容と、それに適したダンジョンの属性傾向、想定事故率、回復リソース配分。
我ながら無駄のない、実に賢者らしいプレゼンだ。
「次のダンジョンでは、前衛はリーネとグラム。高速戦闘ではリーネを主軸に、グラムは防御中心にバロックとヘイト管理に専念。
中距離支援はミリア、回復はフィオナ。俺は後方から索敵・魔法攻撃と、全体指揮を――」
「うんうん」
パーティリーダー席に座るグラムが、大きく頷いた。
……頷いたが。
その目、半分閉じてないか?
「特に注意すべきは――」
「うん、なるほどな!」
(早い早い早い、注意点はこれからだ)
俺は資料から視線を上げ、グラムを見る。
分かったような顔。理解した風の相槌。
(なるほどな、じゃねえぞ。それ言えば、全部分かったことになると思ってんだろ)
俺は深く息を吸い、眼鏡を押し上げた。
もう一度、ゆっくりとグラムを見る。
屈託のない笑顔。焦点の合っていない半眼の目。
そして、規則正しい呼吸。
(……寝てるな、これ)
《解析結果:対象個体名グラム。現在、レム睡眠状態です》
(わざわざ言語化するな。腹立つ)
《補足します。睡眠に入ったのは、七分十二秒前です》
(開始早々じゃねーか!)
《ちなみに、アルトの説明開始から三十秒後です》
(教えてよ?!、アビス!)
「……グラム。何か質問は?」
「お? ああ、うん! 大丈夫だ、任せとけ!」
何をだ。
何を任せればいいんだ。
俺は深く、深く息を吸った。落ち着け。落ち着くんだ、俺。
「――異論はないな?」
一応、形式としてそう締める。
「ないない! 完璧だな、アルト!」
グラムが満面の笑みで親指を立てた。
その瞬間、俺のこめかみがぴくりと跳ねる。
俺はため息を飲み込み、再び地図を指し示した。
「……では、次のダンジョンは昆虫型魔物――特に高速機動を得意とする種が棲息する『鳴動の針迷宮』へ向かう。
ここではグラムの突破力ではなく、リーネの高速戦闘と、俺の魔法攻撃の同期を主眼に置く」
「……分かったわ、アルト。
あなたのオーダーに必ず応える。剣は――任せて」
――リーネは伏し目がちに、静かに頷いた。
銀糸のような髪がわずかに揺れ、横顔に落ちる影が、その覚悟をくっきりと縁取る。
感情を押し殺した言い方に、迷いはなかった。
……剣士として、か。
かつては、もっと近い場所で並んでいた。
背中を預け、言葉なんて必要なかった頃が確かにあった。
それでも今、彼女が選んだ立ち位置はそこなのだろう。
「……では、各自準備を頼む。一時間後に王都北門でいいか?」
俺は椅子から立ち上がり、円卓を一瞥した。
リーネは静かに頷き、フィオナは微笑みながら、バロックは黙って首肯した。
ミリアは…よく分かっていない顔で元気よく頷いた。
――問題は、一名。
「さぁ、行くぜ皆んな! 俺の突破力を見せてやるぜ!」
満を持して目を覚ましたグラムが、勝利宣言みたいな声を上げる。
(……あ?)
《報告: 個体名グラム。覚醒した模様です》
(俺、突破力が要るって言ったっけ?)
《言ってません》
俺のこめかみが、ぴくぴく痙攣するのがわかった。
「誰が、お前の突破力がメインだと言った」
「え? 違うのか?」
きょとん、とした顔。
俺は深く息を吸い、吐いた。
もう一度、深く息を吸い、吐いた。
落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け
《アルト。情動が自己管理限界を超えています。個体名グラムへの殺意が急上昇。契約者保護条項により、緊急プロトコル:強制沈静を実行》
「――いいから、俺の指示通りに動け。何も考えるな、あと寝るな」
「あーっ…悪いな。俺、ホントに難しい事、分かんないだよな」
一瞬だけ、グラムが初めての表情を見せる…哀しみ?
「でも、まぁ、天才の俺に任せとけよ!悪いようにはしないぜ!」
しかしまた一瞬で、キラキラした笑顔でサムズアップしてくる。
……魔王討伐まで、俺は本当に正気でいられるのだろうか。
《アルト。SAN値は先週比で42%減少しています。原因の87%が個体名グラム、13%が個体名リーネです》
(わかってるよ)
《持続的沈静の実行を推奨します。副作用:感情の希薄化、諦観の常態化が予測されます》
(なんかもう、それでいい気がしてきた)
……辛い。
※
足を踏み入れた瞬間、湿り気を帯びた腐葉土の臭いと、生理的な嫌悪感を煽る「カサカサ」という無数の足音が鼓膜を叩いた。
王国管理ダンジョン第七号『鳴動の針迷宮』。
その実態は、五メートル近い巨大ムカデ、一メートル強の毒々しい地虫、さらには人の背丈ほどもある羽虫達が跋扈する空間だった。
昆虫愛好家でもなければ、まず足を踏み入れようとは思わない。巨大な蟲たちに支配された洞窟だ。
「……結構、増えてるな。
最近の記録には上がってたか?」
俺は眉間に皺を寄せ、周囲に不可視の魔力センサーを張り巡らせる。
網膜にはアビスが生成した詳細なマップと、蠢く赤点――魔物の反応がリアルタイムで投影されていた。
《報告。蟲型モンスターの大量発生の原因は、魔王発生の影響の可能性があります。
王国内の管理ダンジョンの43パーセントに、ダンジョン活性化の兆しが報告されています》
(そうなのか、アビス。何でだ?)
《魔王のダンジョン増加に伴い、大地に流れる魔力量も増加した為と推測されます。
蟲型モンスターは、環境の影響を受けやすい為、特に数が増えているのでしょう》
(……にしても、スゴいな…)
ダンジョンの床、壁、天井を這いずり回る甲虫や毛虫の大群を見ていると、背後から「ひっ……!」という短い悲鳴が聞こえた。
振り返る暇もなかった。
突如として、背中に柔らかく、かつ圧倒的な質量を持つ「何か」が衝突する。
なんか、いい匂いもする。
「あ、アルトさん! む、無理です!
わ、私、足がいっぱいある生き物、生理的にダメなんですっ!」
フィオナが、俺の背中に全力でしがみついていた。
普段のゆるふわっとした余裕はどこへやら、彼女は俺の黒衣を命綱のように掴み、震えている。
困ったことに、彼女の豊かな肢体が――特にその、法衣の上からでも分かる暴力的なまでの双曲線が、俺の背中と腕に隙間なく密着していた。
……でっ!
《警告。アルトの心拍数が急上昇。血流量の異常な偏りを検知。
個体名フィオナの肉圧に性的反応を生じつつあります。このままでは、ぼっ(…っ、アビス、沈静を実行しろ! 戦闘に支障が出る!)
《了解、アルト。前屈みでは確かに支障が出ると判断します》
(やかましいわ!早くしろ)
必死に理性を保とうとする俺の視界、その端で――。
リーネの瞳から、スッと光が消えた。
彼女は俺にしがみつくフィオナと、それを受けて硬直している俺を無言で見つめていたが、やがてその細い肩を微かに震わせ、抜き放った双剣の柄をギリリと鳴らした。
「……排除。全部、バラバラにして、排除する」
「お、おいリーネ? なんか気合入って――うおっ、速ぇ!?」
グラムの驚愕の声を置き去りに、リーネが文字通り「消えた」。
次の瞬間、前方から押し寄せていたムカデや地虫たちの群れが、鮮やかな銀光によって一瞬で細切れに解体されていく。
それはもはや鋼の暴風だった。
噴き出す緑色の体液、飛び散る外殻。
瞳のハイライトを消したリーネは、返り血(虫の汁だが)も厭わず、狂ったように魔物を殲滅していく。
「……あー、アルト。あいつ、あんなに攻撃的だったっけ? 俺の出番ねーんだけど」
グラムが頬を引きつらせて尋ねてくるが、俺に答えられるはずもない。
「……終わったわ」
あっという間に戦闘終了。
そこには、全身に魔物の緑色の体液を浴び、刺々しい節足が一本頭にくっつき、無惨な姿になったリーネが立っていた。清楚な美貌も、綺麗だった銀髪も、今は見る影もない。
「うわぁ……リーネ様、すごい匂い……。ちょっと待っててください!」
ミリアが反射的に鼻を摘まみ、半歩引いた。その仕草は悪気がない分、余計に刺さる。
微妙に、他のメンバーも引いてる。
リーネは一瞬、時間が止まったみたいに固まり――それから、助けを求めるように俺を見る。
……が、すぐに我に返ったのだろう。気まずそうな顔で、視線を落とした。
「……アルト。ごめんなさい。一人で飛び出しちゃって。それに今、私、汚い、よね……」
ああ、そうだな。
魔物の返り血(体液)で、匂いもひどい。
――可哀想に、あぁもう。そんな顔するなよ…
「ま、まぁ。お疲れ、リーネ。今すぐ洗浄してもらおう。そのままだと……気持ち悪いだろ?ミリア、頼む」
言ってから気づく。
俺、今、なんて思った?
リーネは一瞬きょとんとして、それから、ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。
その笑顔が、胸の奥にちくりと刺さる。
俺は、リーネのことを信頼できない。
妻としても、女としても。
……はず、なんだが。
『まだ、彼女に愛が残っているなら……すべてを否定しなくてもいいんじゃないか』
バロックに言われた言葉が、やけに都合よく頭をよぎる。
(……情、残ってるよなぁ)
裏切られて、離婚して、——結局俺は、いったい何を望んでたんだ。
憎みたかったのか。
許したかったのか。
それとも、ただ逃げたかっただけか。
(ほんと、俺も大概だよ……)
自分の情けなさに呆れていた、その時。
「はーい! 『清らかなる水の精霊よ、汚れを全部洗い流して』」
ミリアの声で、現実に引き戻される。
どうやら詠唱は、とっくに終わっていたらしい。
ミリアが杖を軽く振ると、空気中の水分が一気に集束した。
次の瞬間――人ひとりを余裕で呑み込むほどの巨大な水球が、何の前触れもなく生成される。
……相変わらず、出力がおかしい。
水球はそのままリーネの身体を包み込み、ゆっくりと、真球のまま回転を始めた。
最初は中からゴボゴボと慌てた様子が伝わってきたが、すぐに静かになる。
どうやら、水中でも呼吸できると理解したらしい。
リーネは目を閉じ、抵抗するのをやめて、水の流れに身を委ねていた。
――水の大精霊をここまで完璧に制御できる人間が、他にどれだけいる?
改めて思う。
この子、やっぱり化け物だ。
「……便利だな。ミリア、ほんとスゴいわ」
「えっ。ふ、ふふ……ありがとうございます、アルト様」
褒めただけで、こんなに嬉しそうにするあたりは年相応なのに。
やってることは、完全に大精霊使いの領域なんだよなぁ。
汚れがすっかり落ち、銀色の髪が本来の光を取り戻したのを横目で確認した時、俺の手は既に動いていた。
温風の魔法陣が、リーネの傍に浮かび上がる。
「あ――」
気づいた時には遅かった。
リーネに温風が当たっている。髪を乾かす為だった。
《アルト。ストレス値が低下しています。理由を解析できません》
(知るか。俺が一番知りたい)
アビスの無機質な声に内心で悪態をつきつつ、俺は――止めることができなかった。
綺麗になったリーネへ、慎重に温風を当てる。
強すぎず、弱すぎず――このくらいの風が、好みだったよな。
……なんで、覚えてるんだろうな。
彼女が小さく肩をすくめ、静かに息を吐く。
――ああ、そうだった。
胸の奥のどこかが、わずかに緩む。
こういう瞬間を、俺たちは確かに一緒に過ごしていた。
ほんの少しだけ、夫婦だった頃の記憶が、胸に浮かんだ。




