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サレ賢者の俺TSUREEE! 間男勇者と元嫁シタ剣士パーティが地獄過ぎて笑う  作者: 黄昏一刻
一章:変わった二人変わらない二人(全12話)
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第15話 壊した日常の残光

 いつもより早く目が醒めた。

 もう少し休もうと思うが、眠りは遠くなる一方だ。

 

 明け方は苦手だ。

 

 目を閉じていると、彼を裏切ったあの日々の自分の愚かさが、真っ黒な泥のように胸の奥に溜まっていく。

 

(……もう、起きよう。少し早いけど、稽古しなきゃ)

 

 私は逃げるようにして、まだ夜の静寂が残る宿舎を抜け出した。

 

 私は、日課の稽古をしようと、王城内の訓練場に向かった。

 けれど、石畳の広場が見えた瞬間、私の足は凍りついたように止まった。

 

 朝焼けの淡い光の中に、二つの背中があった。

 規則正しい足音を立てて並んで走る、アルトと…フィオナ様。


「はい、呼吸は二回吸って二回吐いて、もう少し頑張りましょう。『聖なる息吹は活力と共に』」

 

 フィオナ様が自然な動作でアルトに触れて、癒しの加護を施す。

 アルトはそれをごく当たり前のように受け、短く礼を言った。

 二人の間には、言葉を尽くさずとも通じ合うような、静かで完成された空気が流れている。

 

(なんで、二人が….)

 

 胸の奥に、冷たい杭が打ち込まれたような気分になる。

 

 アルト的には、きっとあれはただの「効率的な訓練」なんだと思う。

 体力づくり。連携確認。朝のルーティン。その程度の意味しかない一場面。


 でも――私には、違って見えた。


 二人の走る音。短い会話。息を整える間の、何でもないやり取り。

 それら全部が、胸の奥を静かに抉ってくる。


 ああ、そうだった。

 かつて、あの場所にいたのは私だった。


 自分で壊した。

 自分で裏切って、自分で手放して、それで全部終わったはずなのに。

 なのに、こうして遠くから見ていると、今さらになって分かってしまう。


 あれは、特別な幸福なんかじゃなかった。

 奇跡でも、運命でもない。

 ただの、当たり前の日常だったのだ。

 それが、自分にとってどれほど大切なものだったのか、何一つ理解していなかった。


 アルトの隣にいるのは、もう私じゃない。

 笑いかける資格も、声をかける権利もない。


 それでも目が離せなかった。

 視線を逸らせば、この胸の痛みが少しは楽になると分かっているのに。


 ――眩しかった。


 失って初めて分かるなんて、最低だ。

 本当に、自分が嫌になる。


 フィオナ様の明るい声と、彼女の豊かな肢体が弾むたびに、自分がひどく惨めで、汚れた存在に思えてくる。

 聖女である彼女の潔白さと、裏切り者である汚い私。

 その対比があまりに鮮明すぎて、視界が滲んだ。


 フィオナ様を憎めたらどんなに楽だろう。

 でも、彼女は何も悪くない。

 ただ優しくて、明るくて、アルトの隣にいるだけ。

 ——私が、捨てた場所に。

 

 私は二人の背中に一度だけ目を伏せると、気配を殺したまま、静かにその場を立ち去った。





 二人の背中から逃げるように訓練場の隅へと戻った私の前に、最悪なタイミングで「それ」は現れた。

 

「よう、リーネ! なんだ、お前も朝練か? 感心だなあ」

 

 眩しいほどの金髪を揺らし、場違いなほど屈託のない笑顔を浮かべて歩いてきたのは、グラムだった。

 

 彼もまた、勇者としての義務感か、あるいは単なる気まぐれか、この早朝の訓練場に足を運んできたらしい。

 

「……グラム」

「どうしたんだ? 昨日からずっと顔色が悪いぞ」

 

 グラムが距離を詰め、私の肩に手を置こうとする。

 

 その無邪気な、自分は一ミリも悪くないと信じ切っている瞳。

 一年半前、私がすべてを投げ出して縋ってしまったのは、この底抜けの明るさだった。

 

『リーネは難しいこと考え過ぎなんだよ。リーネは頑張ってるんだから、いいんじゃね?』

 

 あの時、賢者の学院に入学したアルトとの間に感じていた小さな溝。

 そこを埋めるように滑り込んできたのが、グラムの何も考えていない、陽だまりのような笑顔だったのだ。


 私の心の中で、過去の愚かな自分が甘ったるい声で囁きかける。

 ――いいじゃない。もう壊してしまったんだもの。いっそこのまま、この光に流されてしまえば楽になれるわよ、と。


 その「光」は、あまりにも分かりやすい。

 金色の髪が朝の光を弾き、屈託なく笑う口元。

 剣を肩に担いで振り返る仕草も、仲間を気遣う声も、全部がまっすぐで、疑うことを知らない。


 大丈夫だよ、と軽く肩に触れられただけで。

 君は間違ってない、と無責任に肯定されただけで。

 私は、自分の弱さを免罪符みたいに抱えて、その光に縋った。


 楽だった。

 考えなくて済んだ。

 選ばなくて済んだ。


 ――私は最低だった。


 今、同じ光を目にしても、胸は少しも温まらない。

 眩しさの奥にある軽さと無邪気さが、逆に吐き気を誘う。


 本当に大切だった人の静かな優しさを踏みにじってまで、こんな薄っぺらい光に縋った自分が、ただただ気持ち悪い。


 もう、流されるつもりはない。

 

「なあリーネ。悩みがあるなら相談に乗るぜ? 俺とお前の仲だろ?」

 

 その言葉が、今の私には鋭い刃となって突き刺さる。

 「俺とお前の仲」。

 私がどれほどアルトを傷つけ、何を壊したか、この男はこれっぽっちも理解していない。

 

「……触らないで」

 

 私はグラムの手を、冷たく躱した。


「えっ?」


 間の抜けた声。

 それだけで、胸の奥がざらついた。


「貴方には、言ってもわからないでしょう?……あっちに行って」


 自分でも驚くほど、刺のある言い方だった。

 分かっている。グラムは、本当に心配しているだけだ。怪我はないか、顔色はどうか、無理をしていないか。

 それを、彼は何の打算もなく、当たり前のことのように聞いてきただけ。


「お、おぅ。そうか。リーネがそう言うなら、まあいいさ、気が向いたら言えよな!」


 軽く肩をすくめ、屈託のない笑顔のまま、彼は離れていく。

 振り返りもしない。その背中は、相変わらず輝いていて。


 ――だから、嫌いなのだ。


 考え無しに無邪気で、無責任に優しくて、何も否定しない、その在り方が。

 そして、それに流され、裏切り、取り返しのつかないことをした過去の自分が。


 彼の背中を見送りながら、私は吐き気すら覚えるほどの自己嫌悪に沈んだ。

 あんな薄っぺらな輝きに目が眩み、私はあの日、アルトの手を離したのだ。

 

 私は一人、訓練用の案山子ダミーの前に立った。

 腰の模擬剣を引き抜き、淀んだ感情をすべて剣先に込める。

 

「、――っ!!」

 

 鋭い刺突が、案山子の胸を正確に貫く。

 一撃。二撃。目にも留まらぬ速度で、剣の軌跡が空を刻む。


 藁で作られたはずの胸元に、無意識に“そこ”を選んで突き立てている自分に気づいて、唇を噛んだ。


 心臓。


 アルトを裏切った場所。

 言い訳と甘えで腐らせた場所。


 これは稽古なんかじゃない。


 私は、醜くて、馬鹿で、取り返しのつかない過ちを犯した「私自身」を、打ち据えていた。


 突く。

 打つ。

 薙ぐ。

 止まらない。


 ――許されたい。


 胸の奥で、弱い声が確かに囁く。

 アルトに、もう一度名前を呼んでほしい。

 アルトに、もう一度触れてほしい。


 けれど同時に、もう一つの声が、刃のようにそれを切り捨てる。


 ――赦されてはいけない。


 そんな資格はない。

 信じてくれた人を、裏切った。

 愛してくれた人を、傷つけた。


 だから、赦されてはいけない。


 打ち込みが、さらに鋭くなる。

 自分に言い聞かせるために。


 だけど。

 

(痛い。……胸が、痛いよ、アルト)

 

 汗が目に入る。痛みに涙が滲む。

 剣を振るうたびに、汗が涙のように頬を伝う。

 

 朝焼けの中、遠くでフィオナ様と並んで走るアルトの姿が、陽炎のように脳裏に浮かぶ。

 

 静かな王宮の夜明け。

 カッ、カッ、カッ――。

 規則正しく、空虚に響く木の音。

 ひたすらに案山子を打つ硬質な音だけが、私の虚しい叫びの代わりのように、いつまでも響いていた。

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