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サレ賢者の俺TSUREEE! 間男勇者と元嫁シタ剣士パーティが地獄過ぎて笑う  作者: 黄昏一刻
一章:変わった二人変わらない二人(全12話)
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第17話 彼の声が届く距離で

 薄暗い大空洞の先に、自然界の摂理が歪んだような、異形の巨塔がそびえていた。

 天井から地面まで垂れ下がる巨大な構造物は、直径二十メートルを優に超えている。

 

 何層にも重なる泥とモンスターの唾液が混じり合った不気味な褐色の模様は、絶望の迷宮を縮図にしたかのようだ。

 

 構造物の表面に無数に穿たれた黒い穴からは、不吉な死の旋律のような羽音が、絶え間なく溢れ出している。

 

 それは生命の住処というより、侵入者を喰らい尽くすための巨大な胃袋に見えた。


 ダンジョンの巨大な空洞、その半分を侵食して脈動する雀蜂型モンスターの巣を前にして、私の心は静まり返っていた。

 ただ、隣に立つ元夫――アルトの横顔を見つめ、自身の内側に広がる『穴』の深さに眩暈を覚えていた。

 

 かつて私は、朝の陽光の中で、あるいは静かな夜の帳の中で、当たり前のように彼の隣にいた。

 

 けれど、今の私にはその資格はない。

 アルトが、二十年以上かけて積み上げてくれた無垢な信頼を、私は自ら踏みにじったのだ。

 

 独りになって初めて、自分がどれほど温かな光の中にいたのかを思い知った。

 胸に開いた「穴」を眺め、失ったものの大きさに、夜な夜な声を殺して泣き、自分の愚かさを呪い続けた。


 そんな私に与えられた、魔王討伐パーティへの選定。

 ――ご褒美なんかじゃ、ない。

 これはきっと、神様なりの皮肉か、私に与えられた罰なのだ。


 だって、そこには――

 アルトがいた。


 私が、諦めなければならない人。

 それでも、どうしても忘れられない人。


 今の私には、彼に触れる権利なんてない。

 名前を呼んで、許しを乞う資格も、もう残されていない。


 それは当然の報いだ。

 裏切ったのは私で、壊したのも私なのだから。


 だから私は、彼の隣に並べない。

 寄り添うことも、選ばれることも、最初から望んではいけない。


 ――それでも。


 彼の傍にいられる理由が、たった一つだけでもあるなら。

 それは「剣」である事だった。


 彼への想いを捨てきれない浅ましさも。

 そんな自分を許せない醜さも、全部抱えたまま。


 触れられなくていい。

 想われなくても、振り返られなくてもいい。


 彼の声が届く距離にいられるのなら。

 命じられ、振るわれ、使い尽くされるだけの存在でいい。


 彼の世界から、完全に消えないでいられるのなら――私はただ、「剣」でいい。


「――来るぞ。各自、持ち場へ!」

 

 アルトの鋭い指示が、私の感傷を切り裂いた。


 雲霞の如く押し寄せる、一メートル大の兵隊蜂。

 高速で空を切り裂くその群れは、もはや一つの生き物のように私たちの視界を埋め尽くす。

 

「バロックは前に出て、ヘイトを集めてくれ。フィオナはバロックとグラムに持続回復と、定期的な解毒を頼む。ミリアは、風の精霊で全体に加速を!」


 アルトの指示が飛ぶ。

 バロックが皆から離れて前に出る。

 彼の周囲の空気が変わった。

 タンクスキル——誘引。


 彼の重装鎧の隙間から、ふわりと甘い匂いが流れ出した。

 蜜のようで、腐葉土にも似た、蟲たちの本能を直接くすぐる香り。


 意図的に魔力で生成されたそれは、私たち人間には微かに感じる程度なのに、蟲型モンスターにとっては「餌がここにあるぞ」と叫ぶ鐘の音に等しいらしい。


 空中を旋回していた兵隊蜂たちが、まるで合図を受けたかのように一斉に進路を変えた。

 無数の複眼が、ただ一人――バロックへと焦点を結ぶ。


「……来い」


 バロックは低く、短く呟いただけだった。

 挑発も、怒声もない。

 彼の鎧と大楯が、淡く、鈍い光を帯びる。

 金属の表面をなぞるように魔力が走り、次いで、バロックの全身を覆う薄い魔力のシェルが展開された。


 タンクスキル——多重防御展開。


 それは分厚い壁というより、重ね塗りされた「膜」のようだ。

 物理衝撃を受け流し、毒や麻痺といった状態異常を弾き返すためのスキル。


 バロックの周囲に展開された魔力のシェルは、低く唸るような振動音を発していた。

 彼が一歩踏み出すたび、その動きに追従するように、半透明の膜が歪み、表面で小さな火花がぱちり、ぱちりと弾ける。


 蟲たちが、彼へ殺到する。

 巨大な雀蜂型モンスターが、群れを成して押し寄せ、槍のような毒針を、容赦なく突き立てる。

 針の根元から噴き出す毒液が、何度もバロックを狙う。


 けれど。


 突き刺さるはずの一撃は、すべて――弾かれた。

 叩きつけられる攻撃のたび、バロックの周囲でシェルが強く瞬き、火花が散り、スパークが走る。


 防ぐ。

 受け止める。

 押し返す。


 その悉くを、彼は一歩も引かずにやってのける。


 気づけば、バロックは蟲に覆われていた。

 まるで蟲団子のように、全身に群がられながらも――

 その足は、微動だにしない。

 フィオナ様の援護があるにしても、とてつもない事だ。


 ……凄い。

 私は、思わず息を呑んだ。


 ――二十五年前。

 バロックは、王立騎士団第十二区第二代団長だった。そして当時は『鉄壁のバロック』――そう呼ばれていた。

 国境防衛戦において無敗。

 数え切れない戦場で、仲間の前に立ち続けた王国最強の盾。

 

「――鉄壁の、バロック……」


 彼のかつての二つ名が、勝手に口をついて出ていた。

 ——次の瞬間。

 ミリアが、隣で小さく息を吸い込んだ。


「風の大精霊さん、今日もお願いします!

 みんなに、追い風を――!」


 その詠唱に応えるように、世界が一拍、遅れて動き出す。


 空気が、軽くなる。

 ――いや、違う。


 私たちの身体そのものが、風に抱き上げられた。

 足元から立ち上る柔らかな気流が、重力を弱め、鎧の内側へ、さらに身体の奥へと染み込んでくる。

 剣の重さは半分以下に感じられ、呼吸は自然と深く、緩やかになる。


 視界が澄み切り、世界の輪郭がくっきりと立ち上がる。

 周囲の動きが、わずかに遅い。

 私たちだけが、世界よりも一拍早く、時間が流れている。


 風の大精霊が、私たちの背を押している。

 重力だけでなく、時間すらも。

 ――速くなった。

 

「……グラム。バロックの援護だ。タンクを守れ」


 アルトの一言が、戦場を駆動させる。


「よっしゃぁ! 任しとけっ!」

 

 グラムが飛び出した。

 猟犬のように地を蹴り、風の加護をまとった身体が、バロックの周囲を縦横無尽に駆け巡る。


 加速した剣閃が閃く。

 兵隊蜂たちへと叩き込まれる鋭い剣戟。突き、斬り、払い――迎撃は確かで、速い。


 けれど。


 蜂たちの動きは、一定ではなかった。

 変幻自在。軌道を歪め、空中で角度を変え、三度に一度は、グラムの剣をすり抜けてくる。


 グラムの舌打ちが聞こえた。

 当たらないわけじゃない。だが、捌ききれない。


 バロックの前で、毒針が閃く。

 重厚な鎧と大楯がそれを受け止め、魔力のシェルが火花を散らす。

 それでも、圧は確実に積み重なっていく。


「……アルト! 長くは保たんぞ!」


 グラムも、バロックも踏みとどまっている。だが「優勢」ではない。

 戦線を維持するだけで、精一杯だ。


「二分だ。二分だけ、踏ん張ってくれ」


 アルトの声は、揺れない。

 ――二分。

 その重さを、私たちは全員、同時に理解していた。 

 

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