第12話 遠くなった元夫の隣で
迷宮の最深部。
私達がボスルームである大空洞へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わったのが判った。
――居る。
中央には、五メートルを優に超える巨躯の大鬼が立っている。
その周囲を固めるオーガ•ガード数体と、床を覆い尽くすほどのゴブリンの群れ。
思わず喉が鳴る。
……でも、不思議と怖くなかった。
だって。
アルトが、すぐ後ろにいる。
ほぼ二年ぶりに、同じパーティで戦っている。
それだけで胸の奥が熱くなる。
本当は分かっている。私はただのパーティメンバーだって。
それでも。
こうして同じフィールドに立てているだけで、心が浮き立ってしまう。
嬉しくて、苦しくて、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
……間違えるな。私は今、剣士なんだ。ただの剣として隣にいるんだ。
アルトの声が、戦場に静かに響いた。
「ゴブリンは無限リポップ型だ。長引かせると厄介なので、先に俺が潰す。
バロック、俺の詠唱完了まで足止めを頼む。一分だ。アタッカーは待機。
フィオナ、バロックに加護の準備を。ミリアはアタッカーへのバフの準備を開始」
以前よりずっと研ぎ澄まされた声に、胸が小さく跳ねる。
的確に戦場を掌握していく、感情を挟まない戦況判断。
私は思わず、剣の柄を強く握りしめた。
私は、アルトの剣になる。
それだけで、今は十分だった。
「……いくぞ」
短い号令と同時に、皆が動き出す。
(アルト)
心の中で、そっと名前を呼ぶ。
たとえ一瞬でも。
たとえ仮初めでも。
また、あなたの魔法が聞けるこの瞬間が、どうしようもなく嬉しかった。
アルトの詠唱が始まった。
……なに、これ。
高く艶のある音。
教会の鐘のように高く、輝くような声。
以前の彼とは違う。感情を削ぎ落とした、鋭く斬り込んでくるような詠唱。
その声が背中越しに届いただけで、思わず背筋がぞくりと震えた。
(うそ……合成魔法?こんな短い詠唱で?)
「禁呪・業炎」
淡々とした一言が、アルトの口から紡がれる。
次の瞬間、ゴブリンたちだけが黒く焼かれ始め、音もなく崩れていく。
炎は見えない。ただ空気そのものが灼熱に変わったみたいで、ゴブリンだけを正確に炙り尽くしていた。
倒れても、すぐリポップして次々と、地面からゴブリンか生えてくる。
なのに出現した端から、焼け崩れていく。
特定対象限定の持続攻撃魔法。
……こんな複雑な術式を、即興で。
息を呑んだ。
……だめだ。
思わず、見とれてしまう。
昔のアルトは、もっとあたたかくて、優しくて。自分が無茶をしながらも、誰かを気遣える人だった。
今は違う。
冷たくて、静かで、隙がなくて。
感情なんか無くなったみたいに完璧で。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
離婚して、距離ができて。
こうして同じ場所に立っているのに、彼はずっと遠くへ行ってしまったみたいだ。
(……私の、せいなのかな)
烏滸がましいって分かってる。
それでも、考えてしまう。
あの別れがなければ。
私が彼を裏切らなければ。
彼は、こんなふうに冷たく、鋭くならなくて済んだんじゃないかって。
この一年半で、何があったの?
聞ける訳ないのに、胸だけが痛くなる。
私は小さく息を吐き、自己嫌悪ごと剣を握り直した。
「よしっ。バロックは前へ出て、ハイオーガのタゲをとってくれ。
アタッカーは、バロックが耐えている間に、取り巻きのオーガを倒してくれ。
フィオナはバロックに持続回復を、ミリアはアタッカーに加速バフを頼む。
ゴブリンの持続殲滅は後七分だ。
俺も魔法で援護する。倒し切るぞ!」
私は二刀を構え、深く息を吸った。
次の瞬間、風の大精霊が身体を撫でる。
身体が羽のように軽くなる。思考が加速し、視界が一段澄み、周囲の音がほんの少し低くなった。
床を蹴った。
(待ってて、アルト)
加速に任せてオーガの集団へ飛び込みながら、胸の奥でそっと呟く。
(すぐ終わらせるから)
今は――余計なことは考えるな。
視界の端で、オーガの棍棒が振り下ろされるのが見えたけれど…遅い。
私は半歩身体をずらして棍棒を躱わす。
同時にオーガの懐へ滑り込み、左右の剣を同時に走らせた。
――速く、速く。
一撃で倒す必要はない。
関節、首、目、柔らかい所から削ぎ落とす。
反転、踏み替え、回転。
刃が円を描き、私はその中心になる。
回れ回れ、もっと速く。
斬れ斬れ、もっと鋭く。
まるで氷盤で踊る舞踏のように、オーガたちの間をすり抜ける。
すり抜けた後、オーガ達の動きが止まり、巨体が崩れ落ちていく。手強いはずの鬼達が、今はただの障害物みたいだった。
息は乱れない。思考も澄んでいる。
(……いける)
背後から迫る気配を感じて、振り向きざま不意打ちしてきたオーガの脇に、一太刀入れる。
…浅いっ
そのまま前へ。
私の動きに合わせるように、アルトの魔法弾がオーガの顔面に着弾する。
オーガが怯み、隙が生まれる。
(…あぁ、懐かしいな、この連携)
胸の奥が、きゅっと熱くなる。
切り返し、跳躍、飛び込んで、袈裟斬り。
不意打ちしてきた個体を無力化して、私は小さく息を吐いた。
(ね、アルト)
あなたの支配する戦場で、私ちゃんと戦えてるよ。
※
最後のオーガが倒れるのを尻目に、私は床を蹴り、一直線にハイオーガへ突貫する。
視界の端では、反対側からグラムが聖剣を振りかぶり、雄叫びと共に駆けてきていた。
――今だ。
ハイオーガの注意は、完全にバロックさんに向いている。
五メートル級の巨腕が唸りを上げて振り下ろされる。
それを真正面から受け止め、受け流し、踏みとどまるバロックさん。
……すごい。
あの質量を相手に、微動だにしないなんて。
次の瞬間。
ハイオーガの全身に、黒い茨が絡みついた。
拘束魔法――アルトだ。
その一瞬の静止を、私は逃さない。
踏み込み、二刀を続けて打ち込む。
一撃。
二撃。
三撃。
刃が肉を裂く感触が、腕に返る。
四撃目で体勢を崩し、五連撃目を深く叩き込むと、巨体が鈍い音を立てて膝をついた。
――今!
「っしゃああ!」
グラムの叫びと同時に、聖剣が真上から振り下ろされる。
唐竹割り。光の軌跡と共に、ハイオーガの頭は真っ二つに断ち切られ、そのまま崩れ落ちた。
私は荒い息を整えながら、昔のくせで、無意識に後ろを振り返る。
消えつつある黒い茨の残滓の向こうに、アルトがいる。
……あぁ、やっぱり。
アルトが視界に入るだけで、胸の奥がゆっくり温まっていく。
それはもう、自分でも驚くほど自然で――同時に、残酷なくらい確かだった。
どうして私は、これを手放してしまったんだろう。
……アルトが好き。
「やったぜ、リーネ! やっぱお前との相性、サイコーだな!」
屈託のない声と一緒に、グラムが肩を組もうと身体を寄せてくる。
ぞわりっと鳥肌が立ち、反射的に一歩引いた。グラムの腕は空を掴む。
「あり? なんだよ、リーネ。照れてんのか?」
グラムは悪びれもせず、今度は両腕を広げて抱きつこうとする。
その何も考えていない笑顔を見た瞬間――胸の奥に、ひやりとした嫌悪が走った。
次の瞬間、私は無表情のまま、剣先を彼の喉元に突きつけていた。
「グラム。悪いけど――これから先、私に指一本触れないで」
視線に、本気の殺気を乗せて叩きつける。
グラムは目をぱちぱちさせ、それから慌てて首を縦に振った。
「わ、わかった……」
……本当に、何も分かっていない顔。
その向こうで、アルトがこちらを見ていた。
感情の温度が感じられない、冷たい視線。
胸が、きりっと痛む。
自業自得だ。分かってる。
――でも。
あの人に向けられるその目が、こんなにも苦しいなんて。
……私、ほんとに馬鹿だったな。
倒れ伏した巨体が、塵となって霧散していく。
後に残されたのは、不気味な脈動を繰り返す、人間の頭部ほどの大きさの紫色の結晶体――「ダンジョンコア」だった。




