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135. 邂逅

「もう大丈夫です」


 いきなり過去の記憶が甦ってきて、激しく混乱して諒一だったが、心配そうにしながらずっと手を握ってくれる涼葉のおかげで、落ち着きを取り戻していた。


「本当に大丈夫なのかい?体調が悪いようだったら、日を改めてもいいんだよ?」


 司が心配して声をかけてくれるが、諒一は首を振った。


「いえ……なんていうか、過去の嫌な事を急に思い出してしまったというか……。俺としてはもうすっかり忘れていたような事だったので混乱してしまいました」


 それでも司は心配そうにしていたが、どこからかゆったりした音楽が聞こえだしてきて、ハッとして周りを見回した。そして足早に移動すると天井から垂れ下がっている幕を持ち上げた。そこには、しゃがんでラジカセを操作する鈴の姿があった。

 ラジカセから聞こえてくる諒一たちもどこかで耳にしたことがあるような音楽は、神道の儀式のときに流される越天楽という曲らしい。


「鈴、ダメじゃないか。勝手に触っちゃ……」


 そう言って曲を止めようとする司の手を鈴が遮る。それどころか、いつ準備したのか半紙を敷いた三方を持って諒一たちの前にやってきた。


「お守りを……」


 さっきまでのあどけない口調ではなく、少し大人びて聞こえる鈴の言葉に諒一と涼葉はお互いの顔を見合わせながらも、それぞれのスマホからキツネのお守りを外して、その三方の上に置いた。

 なぜだかわからないが、そうしないといけないような気がしていた。


 まだ幼い子供とは思えない所作で三方を捧げ持った鈴は、滑るように歩いてまだ戸惑っている司に差し出した。


「え、鈴……?報賽の神事を執り行えってことかい?」


 司がそう聞いたが、鈴はただお守りの乗った三方を捧げるようにして持っている。その姿は儀式を執り行う時の巫女のようにどこか神聖な気配をまとっていた。しばらく鈴を見つめていた司だったが、その姿に何か感じたのか襟を正すと三方を受け取り、諒一たちに向かい合った。


 諒一たちも戸惑っていたが、司と鈴の雰囲気に飲まれて正座して座ると姿勢を正した。それを見て司は口を開いた。


「突然で申し訳ないね。私は慣れてるからいいけど……、まれに鈴が唐突な行動をすることがあるんだよ。まあ、もともとこうする予定ではあったから、始めさせて頂くよ」


 眉を下げて諒一たちに済まなそうに言った司は、真剣な顔になって正面を向いてゆっくりとした仕草で二回頭を下げる。そして、スッと手を合わせるとパンと手を打ち合わせた。

 それは神道における礼拝の作法で、二度お辞儀をして二回柏手を打つ。というものだ。


 それから神事が始まった。真剣な表情で儀式を執り行う司と、さっきまでの幼い雰囲気を感じさせない鈴が補助をするような形で進んでいく。


 ――なんだかいきなり始まったけど……。こんな機会を設けてもらったんだ、しっかり感謝を伝えないとな。


 最初は戸惑っていたが神事が進むにつれ、落ち着いてきた諒一はそう考えて頭を下げて心の中でしっかりと感謝の言葉を並べる。隣では涼葉も同じようにして目を閉じ頭を下げてお祈りしている。


 そして儀式は滞りなく進み、再び正面を向いた司がゆっくりと二回頭を下げる。それに合わせて諒一も頭を下げていた。そして手を合わせた司が柏手を打った。その時……


 ぱん (ちりん)


 司が打つ柏手に重なるようにあの音が聞こえた諒一が顔を上げると、涼葉も驚いた顔をしていた。そんな諒一たちの反応など分からない司は二回目の柏手を打った。


 ぱん (ちりん)


 そして再び聞こえる鈴の音。思わず諒一は涼葉と顔を見合わせたが、その涼葉の顔がすうっと遠くなっていく感覚に包まれる。そして、驚く暇もなく意識が暗転し……気づくと違う場所にいた。




 ぴっぴっ……と規則正しく音を出している機械。その機械から伸びたたくさんのコードが、一人きりでベッドに寝ている男の体に伸びている。


 ――っ!……ここ、は。あれは……俺?


 思わずうめき声を上げそうになった諒一だったが、声は出なかった。諒一は宙に浮くようにして、ベッドで寝ている男を見下ろしていた。そこにいるのは間違いなく死ぬ間際の自分だった……。


 ――なんだこれ……。俺はどうしたんだ?一体なにがどうなって……。


 突然の事に慌てふためく諒一だったが、なぜか声を出せず動くこともできない。何が起きているのか理解できないのに、目の前でベッドに寝ている自分の感情は痛いほど伝わってきた。


 ほんの少しの死への恐怖、それよりも少ないこの世への未練、そして……残りを諦念が占めている。中学生に戻った諒一が頑張ってやりなおそうと思った原因を見せつけられ、諒一は胃の中のものを全部ぶちまけてしまいそうな感覚に襲われる。


 今ベッドで寝ている男は……五十歳の諒一は思っているのだ。死が間近に迫っているというのに「まあいいか」と。


 ――そうならないように頑張ってるんだろ!


 思わず諒一は叫んだが、それが声になることはない。どうすることもできずに、目の前のかつての自分から目を逸らすこともできずにいると、次第に規則正しく鳴っていた機械の音に乱れがでてきた。それと同時にベッドで寝ている諒一の顔にも苦悶の表情が浮かぶ。

 

 ――その思いのまま行っちゃだめだ!


 思わずそう言って手を伸ばしそうとした時、初めて気づいた。いつの間にかベッドのそばに人が立っている事を。震える手で口元を覆って、今にも涙がこぼれ落ちそうになっている目で、五十歳の諒一を見つめる涼葉が立っていた。


 涼葉はベッドに寝ているのが、かつての諒一だと確信しているのか震える手を諒一の頬に沿えた。


 ちりん


 それと同時に鈴の音が聞こえ、涙を流しながら困ったような笑みを浮かべた涼葉が言った。


 ――だめですよ、いくら引っ込み知りでも……今のままそっちに行っちゃだめです。……嫌です。


 自分の声は出せないのに、なぜか涼葉の声ははっきりと聞こえる。


 ――わかってますよ。まあいいかって思ってるんでしょ……まったく。まあいいかじゃないです、こっちに来てください。私と一緒に……


 かつての自分にそう語りかける涼葉を見ていると、諒一の脳裏にもその時の事が思い出される。不思議な音、知らない人の声……


「涼葉だったのか……」


 そう思った瞬間、再び諒一の意識は暗転し……深く一礼している司の背中が見えていた。ハッとして勢いよく隣を見た諒一の目に映ったのは……。


 涙を流しながら微笑んで諒一を見る涼葉の姿だった。

 

 

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