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129.リラックスした後は……

「ふう……」


 頭を冷やすために頭から冷水を浴びた諒一は一度震えあがって、頭と体を洗って、湯船に飛び込むようにして入った。


 温度はそれほど高くない。普段の風呂よりも少しぬるいくらいだ。でも、冷たくなった手先からじわじわと芯の方まで温まってくるのは温泉ならではなのかもしれない。露天風呂の方も見てみたが、自然の中にぼんやりと灯る明かりのなか、川のせせらぎを聞きながらお湯につかれる素晴らしい環境だった。


 ただ……寒かった。岩や木々の枝に綿毛のように積もる雪は幻想的ではあったが、寒くて湯舟までたどり着けず、内風呂に戻ってきた。


 せめて窓からその景色を楽しもうと思った諒一は、窓の外が見える位置まで移動して肩までお湯につかった。


「ふわぁ……」


 思わず体が弛緩して、さっきよりも気の抜けた声がもれる。温泉など数えるほども行ってない諒一には泉質などわからないが、体はとても良いものだと感じていた。


 天然の岩場を利用して作ってある浴槽には、絶えずお湯が流れ込み、溢れていくお湯はとても贅沢に感じる。景色を見ながらのんびりつかろうと思った諒一は、人工物である壁を背中にして寄りかかった。岩に寄りかかると痛そうだったからだ。


 思い切り手足を伸ばして、お湯を堪能していると「ちゃぷん」と割と近いところから水の音が聞こえる。何気なく上を見ると、諒一が背中を預けている壁は三メートルほどの高さがあるが、そこから天井までには一メートルくらいの隙間がある。

ゆっくりと体を弛緩させながら見ていると、その先から微かに「ふゎぁ~」とかわいらしく気が抜けた声が聞こえた気がする。


「ん?涼葉?」


 それほど大きい声じゃない。誰も人がいないからと言って、壁越しに女湯に向かって話しかけるのは恥ずかしいものがある。それゆえの抑え気味の声だったが、その声はしっかりと涼葉に届いていた。涼葉も深く考えずに窓の外の景色を眺めたくて移動した位置が、ちょうど諒一と壁を挟んで真裏だったのだ。


「りょういちくん?」


 確かめるような涼葉の声が返ってくるが、声が聞こえた気がして無意識に口にしただけなので特に何か用があった訳でもない。しかも壁を挟んだ向こう側とはいえ、一糸まとわぬ姿で涼葉がすぐそこにいると思うと気恥ずかしくて、うまい言葉が浮かんでこない。


 諒一が何も言えないでいると、「ふふっ」と軽く笑う声が聞こえてくる。舞香と何か話しているのかな?などと考えてると、再び壁越しに話しかけられた。


「気持ちいいですね。私温泉とかほとんど来た事なくて……景色も素敵だし、本当来てよかったなあって思ってました」


 柔らかい声でそう話しかけられ、諒一の頭の中からやましい気持ちがすっと消えていく。諒一は少し苦笑いを浮かべながら力を抜いた。


「ああ……。うん、俺もなんだ。温度もちょうどよくてさ、ゆっくり景色を見ようと思ってこの場所に来たら涼葉の声が聞こえて来てびっくりした。この壁天井の所はそっちと通じてるんだな。だから声が良く聞こえるんだろうな」


 諒一がそう言うと、涼葉も見たのか「あ、ほんとだ」という声が聞こえてくる。そしてくすっと笑う声と共に涼葉が言った


「ふふっ!りょういちくん、そこまで登れば覗けちゃいますよ。今ならだれもいないのでチャンスですよ?まあ、頑張って登っても私しかいませんけどね?」


 含み笑いをしながらそう言う涼葉に、諒一はむしろそれがメインディッシュでしょ!、と思ったが、引っかかる事があって聞き返した。


「あれ?諏訪崎さんは?一緒に入ったでしょ」


 諒一がそう言うと、ちゃぷん。というお湯の音と共に答えが帰って来る。


「舞香さんですか?服脱いで、さあこれから入ろうっていう時に「用事思い出したっす~」って言いながら戻っちゃいました」


 くすくすと笑いながら、舞香の真似をしながらの返事に諒一も思わず笑ってしまう。


「今の諏訪崎さんの真似?よく似てる」


 笑いながらそう言うと、涼葉もつられたのか二人で笑い合った。


「……とっても静かですね、まるで私とりょういちくんしかこの世界にいないみたい」


 お湯の音と共に、静かに涼葉がそう言う。しばらく話したあとは、口数も減っていきポツポツと言葉を交わしている。ただ、無理して話さなくても、気まずかったり嫌な気分になったりはしない。壁で隔たれてはいるものの、すぐ隣で涼葉とお湯につかっている……そんな気分になっていた。


 それから、流れるお湯の音と時折聞こえる何かの動物の声に耳を傾けながら、二人はゆったりとした時間と温泉を楽しむのだった。


 ◆◆◆◆


「ずいぶんとゆっくりだったっすねぇ。お二人ともすごく血色も肌つやもよくなってるっすよ」


 十分に堪能した二人はが、温泉を後にして浴衣を着て二人並んで戻ってくると、自動販売機が並ぶこじんまりとしたロビーで、ソファに座った舞香がジュースを飲みながらスマホをいじっていた。


「舞香さん⁉用事があったんじゃないんですか?こんなとこで何をしてるんですか?」


 舞香の姿を見た涼葉がそう言うと、舞香は頭をかきながら言った。


「や、さっきまで用事を片づけてたんすよ。ほんとっす。まあジブンも風呂に行こうとは思ったっすけど、お二人がいい雰囲気になってたら邪魔したら悪いなって、ちょっとは思ったっすけど」


 悪びれもせず、ニコニコと笑いながらそう言う舞香に。毒気を抜かれたように涼葉もため息を一つついただけでそれ以上何も言わなかった。


「まあまあ、もうお部屋に布団も敷いてあるんで、お二人は先にお部屋でゆっくりしててくださいっす!ジブンはちょっとばっかし入って来るんで!」


 そう言った舞香が、着替えの入ったバックを手に鼻歌交じりに大浴場のほうに降りて行った。


「もう、舞香さんは……。りょういちくん、行きましょ」


 呆れた顔でそう言った涼葉は、意外にあっさりと舞香を見送ると諒一の手を引いてさっさと歩きだした。


「え?涼葉さん?」


 ぐいぐいと引っ張る涼葉に、諒一は動揺を隠しきれないで思わずそう言ったが、抵抗もできずにニコニコと笑顔の涼葉に封殺されて黙って連行されて行った。



 部屋に戻ると、十畳の部屋の隣に布団が三組並べて敷いてあった。


「そんな予感はしてた。やっぱ一緒に寝るのね」


 それを見た諒一が苦笑いを浮かべて呟く。普通は男女で部屋を分けるんじゃ?とか、なんなら寝る時になって、「じゃ、諒一先輩はこっちっす」なんて言われて、別の部屋に追いやられる可能性まで考えていたのだが……。


「まあ……舞香さんも一緒ですし」


 涼葉も少し意識しているのだろう。風呂上がりのそれとはまた違う赤みが頬にさしている。


「じゃあ、俺こっち良いかな?」


 そう言って、真ん中だけは避けようと端の布団を指して言った。涼葉はそれに笑顔で頷いてくれたので安心していると、ニコニコと笑顔を浮かべたままぐいぐいと諒一を押してくる。


「え?ちょ、ええ?」


「舞香さんがお風呂から上がって来る前に、ササっとやっちゃいましょう」


 そう言って涼葉は諒一を布団の方に押してくる。


 ――ササっとって……何を⁉


 脳内で盛大な叫び声をあげている諒一を布団に押し倒し……涼葉がその上にのしかかるようにして…………。


「はい、うつ伏せに寝てくださいね!」


「……え?」


 聞き返す諒一に、きょとんとした顔をする涼葉。


「忘れちゃったんですか?りょういちくんが、今日は頑張ったのでマッサージしてあげますって言ったじゃないですか?」


 その言葉を聞いて、諒一は一瞬固まり……どっと冷や汗が噴き出してきた。


「あ、ああ!マッサージ!そっかそっかマッサージね!」


「?……そうですよ。私してあげますって言いましたよね?ほかに何があります?」


 素でそう言う涼葉に、諒一は焦って答える。


「いや、何もない!マッサージ、うん、お願いしようかな、あはは……」


 慌てる諒一に涼葉は首を傾げたが、照れてマッサージさせてくれない可能性も考えていたので、乗り気になってくれたことに満足して上機嫌になるのだった。

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