第5話 ルーカス
ゼラの前に、蹲る青年。頬には、流した涙の跡が残っていた。湖の水面は穏やかで、森は静かだった。
「……見えたか」
静まり返る湖畔に、ゼラの声が響く。ルーカスは何も言えなかった。
「お前の過去、断片的だが共に見させてもらった」
ルーカスは顔を上げる。赤くなった目元は大きく歪んでいる。
「……全部、思い出しました。……あの後、俺たちを両親が探し出してくれた」
目を覚ますはずがない弟の名を呼び続ける父。どうしてと、何度も繰り返す母。全てが鮮明に記憶に残っている。
「……気がついたら、俺は家にいた。何日も眠っていた俺は、両親に言ったんです。……ルシアはどこにいったんだって、」
ルーカスの声は震えていた。絶望と後悔で溢れているのに、なぜか涙が出なかった。
「探し続ける俺に、両親は泣きながら言いました」
「ルシアは、行方不明だ」
ルーカスは下を向く。息子は死に、その兄は真実を受け止められない状態。子を守るために、どれだけ重い決断をしたのだろうか。自分の罪が更に重なったように感じた。
「……その後、ルシアを探し続けました。……もう、いないのに、」
「……おれは……俺は、」
「記憶から逃げたのか」
ゼラの一言は、ルーカスの心臓を貫いた。
「……そうです。俺は逃げたんです」
ルーカスは拳を握りしめ、震えた声で続けた。
「俺は、弟を殺した」
「ちがう。お前の愚かな行動が、弟の死を招いた。それは忘れるな」
「それでも、俺は責任を取らなくちゃいけない。俺は、」
「死ぬ気か」
ルーカスは、低いゼラの声に体を硬直させた。金色の瞳がルーカスを冷たく見下ろしている。
「私はお前に同情しない」
「憐れみも感じない」
突風でゼラの髪が大きく靡いた。
「お前が死んだとて、弟は戻らない」
森がざわつく。
「まだ逃げ続ける気か」
酷く冷たい冷気が二人を包む。ルーカスは、魔女を見て、ただこう思った。
ーーこの人は、俺を逃がしてはくれない。
逃げ道がないというのは、人にとって最大の恐怖でありながら、最大の勇気に変わることがある。
ルーカスは魔女から、自分の掌へ視線を落とした。じっと見つめる。身体を巡っていた魔法因子の流れはなく、どこか喪失感がある。この手から魔法を放つことは、一生ない。
より洗練された魔法を求め、練習し続けた日々。誰かを喜ばせたいと思い、努力した日々。魔力が伸びず、馬鹿にされた日々。世界一だと兄を慕った弟と過ごした日々。
全ての記憶が絵巻のように流れていく。
「俺は、これからどう生きればいいんですか」
ルーカスは、震える声で問う。
「……魔法は命ではない」
「やったことを消すな。忘れるな。それを抱えて生きろ」
ゼラは一息で言い切った。ルーカスは、遥か彼方の星々を見た。小さな、小さな光。それは何千、何億と集まり、真っ暗な世界を照らしている。夜空は、魔法が使えた日々と変わらず、美しかった。
「俺は、生きます」
夜空を見上げたまま、ルーカスは宣告する。その瞳には、星々の光が宿っていた。
「そうか」
ゼラはそう一言伝えて、踵を返し、湖畔の家へ足を運ぶ。何歩か歩いて、立ち止まった。
「……お前、紅茶は入れられるか」
「……はい?」
ゼラは振り返らない。
「帰り足に怪我でもして引き返されたら、二度手間になる」
ルーカスはポカンとして、ゼラを見つめる。振り返ったゼラは、少し目元を細めた。
「夜のティータイムに遅れる。早くして」
そう言って、ゼラは足早に家へ向かった。
「────はい!」
その後をルーカスは追う。
その姿は、兄を慕うあの日の弟のようだった。
ーーー
静まり返る丑三つ時。ゼラは自室で紅茶を啜っていた。椅子に深く腰掛け、ため息をつく。
あのおしゃべり小僧。
ルーカスを家に招いてからは大変だった。質問は多いし、急に泣くし、紅茶の入れ方は気に入らないし、……。
依頼に来た死にかけの男は、結局どこにでもいるただの青年だった。
もう一度ため息をついて、重い腰をあげる。本棚へ手を伸ばす。その手には、革張りの分厚い一冊。
ゼラはガラスペンを取り、文字を綴る。
【記録:第五十八例】
依頼人:ルーカス
魔法:「ジカロ・ハシュラ」(時因子、光因子)
ゼラの手が止まる。懐かしい記憶が頭をよぎった。備忘録を書くといつもこうだ。鬱陶しい。黒い記憶の渦がゼラの頭を悩ませる。
苛立ちに任せてペンを走らせた。
【記録:第五十八例】
依頼人:ルーカス
魔法:「ジカロ・ハシュラ」(時因子、光因子)
効果:弟との記憶を取り戻す
対価:魔法器
【備考】
最近の若者は質問が多すぎる。




