第4話 捨てた記憶
ゼラはルーカスに杖を向けた。ルーカスの頬に汗が流れる。震える拳を固く握り、瞳を閉じた。
ゼラは小さく息を吐き、唱える。
「『時の因子、光の因子よ。我の言葉に跪け』」
風が吹き、藍色の髪がなびいた。
「『ジカロ・ハシュラ』」
詠唱した瞬間、ゼラとルーカスを光が包む。光は二人を囲むように円を描き、淡い紫へと色を変えた。直後、ルーカスは身体に異変を感じた。強い脱力感。自分の掌から小さな光の粒が溢れ出す。その光は、魔法陣へ溶けていく。その時、瞼の裏まで焼くような光が襲いかかる。ルーカスは思わず腕で顔を覆った。
ーーー
「────兄ちゃん!」
懐かしい、小さな子供の声。ルーカスは恐る恐る目を開けた。
「……ルシア、?」
目の前には、まだ小さい弟が立っていた。辺りを見回し、ルーカスは目を見開く。見慣れた街並みだった。生まれ育った、ファテラス王国の故郷。
「……あれ、俺何してたんだっけ」
「いっしょにお使いきたんだろ!早く終わらせていつもの場所いこーよ!」
早く早くと急かすように、小さな背中が街を駆けていく。
ーーそうか、おつかい頼まれてたんだっけ。
自分の背丈が縮んでいることにも気づかず、ルーカスは弟の後を追った。
ーーー
頼まれていたりんごを買い、弟と肩を並べて歩く。足は自然と、人気の無い雑木林へと向かっていた。
「兄ちゃん、はやく見せてよ!」
興奮したルシアは、ルーカスの服を引っ張り鼻息を荒くしている。分かったからと弟を宥め、小さな手からりんごをひとつ取る。そして、ルーカスは唱えた。
「『ラウーズ』」
ルーカスの掌が淡い緑の光を放つ。その瞬間、魔法はふわりとりんごを浮かした。
「すごいすごい!ねえもっと高くして!」
ルシアは魔法を使うルーカスを見て、大きな瞳を輝かせる。そして、魔法を見せると、決まってルシアはこう言った。
「僕の兄ちゃんは世界一なんだ」
その言葉は、兄にとって最大の誇りだった。
ーーー
はっと気がつくと、そこはルーカスの家だった。両親と弟、ルーカスが食卓を囲み、テーブルには料理が並んでいる。家族は胸の前で手を組み、いつものように感謝の祈りを捧げている。慌ててルーカスも手を組み、目を閉じた。
「さあ、食べましょう。今日はルーカスが好きなりんごパイもあるわよ」
母の声掛けで、食事が始まる。隣に座る弟は、鶏肉にかぶりついた。飲み込む前に両親へ話すルシアは、満面の笑みを浮かべていた。
「兄ちゃんってばすごいんだよ!今日は木の実を魔法で取っちゃうし、僕のことも少し浮かしてくれたんだ」
「おいおい、大丈夫なのか。そんなに魔力を使ったら、危険な目に遭うかもしれないぞ」
「だいじょうぶだよ、僕の兄ちゃんは世界一だから」
心配そうな顔をする両親を横目に、自分のことのように兄を自慢する弟は、なんだか顔が少し大人びて、身体も大きくなっているように感じた。
俺も魔法が使えたらなーとフォークを揺らすルシアを、母は窘める。
「……最近は魔法を上手く操れるようになったし、大丈夫だよ。いつか魔法部隊に入りたいし、練習しとかないと」
「俺たちの息子がエリート部隊志望か。鳶が鷹を生むってやつだな!」
笑い声が家に響く。ルーカスはただ嬉しかった。自分の魔法が誰かを喜ばせているのだと。もっと、もっと強い魔法を望んでいた。
ーーー
また、風景が変わった。
いつもの雑木林を抜けた先にある崖。危ないから近づくなと言われていたが、誰も近づかないため、兄弟の秘密の場所になっていた。
小さな頃は、崖の下が地の果てまであるように見えたが、背丈の伸びた今、こんなものかと見下ろせる。
ルーカスは夕日に手を伸ばした。崖から見える夕日は、もうすぐ地平線に帰りそうだ。
「兄さん、どうしたの?」
背後からルシアの声がした。ルーカスは振り返り、夕日に照らされる弟を見た。
ーーあんなに小さかったのにな。
自分と変わらぬほど背が伸びた弟。小さな頃の落ち着きのなさが消えていた。
「急に呼び出してごめん。父さんと母さんの前じゃ言えなくて」
「なんだよそれ。……それより、その怪我どうしたんだ」
「……喧嘩したんだ。友達と」
ルシアはルーカスから目を逸らした。口を固く噤んでいる。言い出しづらいことがある時の癖だった。
「友達が言ってたんだ。お前の兄ちゃんは、昔はすごかったのにって。今じゃ他の魔法士より全然劣ってるじゃないかって、」
ルーカスの指先がピクリと動く。ルーカスは気づいていた。自分の魔力の成長スピードが遅い。
才能ある魔法士と言われていたのは、もう過去のことだった。ルシアの声が掠れはじめる。
「分かってるんだ。そんなこと気にしなきゃいいって。……でも俺、悔しくて、」
肩を震わす弟の姿に、ルーカスは目元を歪める。目の前にいるのは、無邪気に自分を「世界一」と信じていた幼い弟ではない。
俺は何をしてやれる。どうすれば弟の心を救えるのか。思考が堂々巡りする。無言のまま、時間は過ぎていく。
ルーカスは、ひとつの答えを導き出した。
「ごめんな、ルシア。お前にそんな悔しい思いをさせてたなんて、知らなかった」
ルシアがルーカスを見た。兄の顔は、穏やかながらも悲哀に満ちている。
「実は俺、お前にまだ見せてない魔法があるんだ」
ルーカスはルシアに背を向ける。
「小さい頃、お前のことちょっとだけ浮かした魔法あったろ。あれを応用して、自分を浮かせる魔法を作ったんだ」
夕日は刻々と地の果てを目指して落ちていく。
「この魔法、安定させるのが難しくてさ。緊張感がないとすぐ解けちまうんだ」
ルーカスの足は、崖へと向かう。ルシアの頬に、一粒の汗が流れた。夕日を背負って崖へ向かう兄に、ルシアは手を伸ばした。
「兄さん」
「大丈夫」
「なにするつもり、」
「俺は」
「ダメだ兄ちゃん!!」
ルーカスの身体が、宙を舞う。
「世界一の兄ちゃんなんだ」
ーーー
ルーカスは目を覚ました。視界に広がる白白明けの空と崖壁。冷たい空気が草花に露を作っている。
起き上がろうとしたが、全身を貫く激痛に声も出せない。
ーーああ、失敗したんだ。
朦朧とする意識の中、事実だけが脳裏をよぎる。
震える指先は地面を探る。そして、背中のある違和感に気がついた。
崖から飛び降りた瞬間が、鮮明に頭を駆け巡る。
耐え難い痛みに唸りを上げながら、上体を起こし、時が止まった。
そこに、ルシアがいた。
崖から飛んだルーカスを、弟は追いかけた。
ーー待ってよ兄ちゃん
どんな時でも兄を弟は追いかけた。
「……ルシア、?」
返事はない。するはずがなかった。
「……なんで、なんで、……なんでっ、!!」
ルーカスの慟哭は、静かな朝に消えていく。




