第10話 雨
時間が経つにつれ、雨音が強くなっていく。打ちつけられた雨が地面を弾いていた。
「……聞いてた話と違うんだけど」
少女が沈黙を破る。ルーカスは首を傾げたが、ゼラは微動だにせず、無言のままだった。
「話って?」
「王都で聞いたの。大森林の家にたどり着けさえすれば、魔女はどんな願いでも叶えるって」
少女はゼラを睨みながら続ける。しかし、その手は微かに震えていた。
「この魔女が、森に妙な魔法をかけてて、森を進むことすら難しいって言ってたけど」
ゼラは、少女の睨みに動じることなく、鼻を鳴らした。
「そんなもの、人間が勝手に作り出した話に決まっているだろ」
魔女は、白い指先でテーブルを叩いた。
「人間は、選ばれなかった事実を受け止めるために、変な理由をつけようとする」
ゼラの高圧的な態度に、少女は一瞬、目を逸らした。少女は問う。
「そもそも、対価ってなに。お金のこと?」
「魔法は金の味を一番嫌う」
「意味わかんない」
「分かろうとしないからだ」
「……二人とも!」
ルーカスが声を張り上げた。四つの鋭い目に怯んだが、「何も始まらない」と勇気を出す。
「さっきから話が進んでません。ここは、きちんとお話しましょ、ね?」
ルーカスの声は少し震えていた。ゼラは指でテーブルを叩くのを止めて、少女はふいっと顔を背けてしまった。
「……なぜ明日なんだ」
ゼラは少女に問いかけた。しばらく沈黙が続き、少女は口を開く。
「……明日、村で感謝祭があるの」
「村?王都の人間ではないのか」
「私の故郷は、リベラ村。王国の端っこだから知らない人も多いだろうけど」
ファテラス王国の民であるルーカスも、聞いたことのない村だった。広大な領地には、様々な集落があるため、全てを把握していない人がほとんどだった。
そして、少女は続ける。
「リベラ村は、毎年この時期に、春の訪れを祝う祭りがあるの。この数年は雨が酷くて、ずっと中止になってるけどね」
「……つまり、祭りのために晴れにしてほしい。そういうことか」
その言葉に、少女は顔を真っ赤にした。「祭りは毎年あるんだから」そんな村人の声が脳裏に響く。魔女は、そんな少女の顔をじっと見つめた。
「いいだろう」
魔女のその言葉に、もう一度二人の視線が集まった。少女は、震える口でゼラに問う。
「……馬鹿に、しないの?」
「なぜだ」
「祭りごときで、天気を変えるなんて」
「お前は愚かなことだと思っているのか」
ゼラは真っ直ぐ少女を見た。何かに思い馳せる少女の瞳は、少しだけ揺れている。
「そう思っているなら、晴れにする必要はないな。帰れ」
「そうとは言ってない」
「なぜ今年の祭りにこだわるんだ」
「……言いたくない」
「今年の祭りで、何か失うとでも言うのか」
「……だからっ!」
「お前の本当の望みはなんだ」
「いなくなるの!!」
少女の叫びが、一瞬、雨音をかき消した。今度は、雨音に負けるほど小さな声で、少女は語り始めた。
「……友達が、いなくなるの」
指先だけではなく、華奢な肩が震え出した。
「……ハンナ。唯一の友達の名前。こんな意地っ張りな私の、大事な友達」
「ハンナとは、小さい頃から毎年祭りに行ってた。『来年も一緒に行こうね』って」
「……なのに」
窓を叩く雨音だけが、少女の言葉の続きを急かしていた。
「赤砂の大地に引っ越すんだって。村から馬車で一週間もかけて」
少女は小さくため息をついた。青年と魔女は、ただ黙って聞いている。
「どうせもう、会えないだろうし。最後くらい楽しい時間を過ごして、お別れしようと思っただけ」
最初のような強い口調に戻っていた。しかし、その瞳には、薄い水の膜が張っている。
「だから明日、絶対晴れにしてほしいの」
また、沈黙が流れる。強くなる雨音に合わせて、少女の鼓動は早くなっていく。その様子を、魔女はじっと見つめていた。
「……なんで、何も言わないの」
少女は、服の裾を震える指先で握る。ゼラは、空になったティーカップを眺めた。
「空っぽ」というのは、どんなに歳を重ねても悲しいと感じるものだった。
ゼラは俯いたままの少女に視線を移した後、ゆっくりと立ち上がった。そのまま、自室へ足を運ぶ。ルーカスの頬に、一粒の汗が流れた。彼女が何を取りに行ったのか、すぐに見当がついた。少女は何も分からぬまま、魔女の帰りを待つことしか出来ない。
しばらくして、ゼラは大広間へ戻る。その手には、革張りの分厚い一冊の本。それを少女の目の前に置く。
「魔法の対価備忘録だ。私が使った魔法と対価が書かれている。読め」
少女が息を呑む。隣に立つルーカスも、思わず備忘録へ視線を落とした。
少女は、最初のページをめくる。
ーーー
「……これが、魔法の対価」
「そうだ」
少女は口を固く結び、呆然と備忘録を見ていた。その視線を横切って、ゼラは備忘録を手に取った。
そして、はっきりと告げる。
「私が聞きたいのは、願いの大小ではない」
「お前に、友のために対価を払う覚悟があるのかと聞いている」
ゼラの言葉に、少女は顔を上げた。金色の瞳から目が離せない。少女は、大きく息を吸い、魔女へ宣言する。
「────払う。私は絶対、ハンナと祭りに行く」
その言葉を聞くと、ゼラは小さくため息をついた。そして、少女を見つめる。
魔女が一瞬、目を見開いた。
ーー今度は、はっきりと見えた。
魔女の金色の瞳に、光の輪が浮かぶ。
青年は、それがあの時感じた小さな違和感の正体だと気がついた。魔女は静かに目を閉じて、少女に問う。
「契約のために聞く。名はなんだ」
「……ミラーナ」
ゼラが目を開ける。酷く冷たい、魔女の目。
「ミラーナ、お前の対価を言い渡す」
「対価は────」
曇天を引き裂くように、激しい閃光とともに雷が落ちた。




