第九話 変調
ユリアの自室。
エアが、慣れた手つきで紅茶を淹れていた。
ユリアは不機嫌そうに頬杖をつく。
「あいつ……」
「何だったの……?」
「不気味ね」
エアはくすりと微笑んだ。
「ユリアとお話がしたかったんじゃないかしら」
ユリアは露骨に顔をしかめる。
「話があったとしても、
碌なことじゃないわよ」
エアは何も言わず、カップへ紅茶を注いでいく。
「まあまあ」
「エルザ様はお優しい方ですよ」
「きっと悪いことではありません」
やがて。
湯気の立つ紅茶が、そっとユリアの前へ置かれた。
ユリアは鼻を鳴らす。
「腹の中では、
何を考えてるんだか」
エアは小さく笑う。
そして、話題を変えるように口を開いた。
「そういえば、もうすぐ成人の儀でしたね」
その言葉に。
ユリアの思考が、一瞬だけ止まる。
――そういえば……。
前回の成人の儀。
エルザは確かに来ていた。
さっきも。
私の部屋の前まで来ていた。
――何を考えているのかしら……。
答えの出ない疑問だけが残る。
エアはそんなユリアの様子に気付かず続けた。
「ユリアも、
そろそろ王族としての自覚を持ちましょうね」
どこか聞き覚えのある言葉だった。
エアはさらに念を押す。
「それと」
「必ずご出席してくださいね」
にこやかな声音。
けれど、その言葉には妙な圧がある。
ユリアは小さく息を吐いた。
「……わかってるわよ」
エアは満足そうに微笑む。
そして。
そっとユリアを見つめた。
「ずっと浮かない顔ですね」
「何かありましたか?」
ユリアは視線を逸らす。
「別に……」
「少し気分がのらないだけ……」
エアはそれ以上追及しなかった。
部屋には。
静かな紅茶の香りだけが残っていた。
ユリアは処刑のことに考えを巡らせていた。
だが。
何度考えても、打開策は浮かばない。
時間だけが、静かに過ぎていく。
ある夜。
ユリアは窓際の卓上暦へ視線を向けた。
二月十四日。
明日。
成人の儀がある。
――明日……。
陰鬱な気分だった。
どうしてなのか。
ユリア自身にも分からない。
処刑のこと。
成人の儀のこと。
そして。
エルザが自室の前まで来ていたこと。
様々な考えが頭の中を巡る。
ユリアは寝台へ入った。
けれど。
なかなか眠ることができない。
何度も寝返りを打つ。
そして――。
気がつくと。
窓の外は明るくなっていた。
「え……?」
ユリアは飛び起きる。
既に朝日は高い位置まで昇っていた。
慌てて窓際へ歩み寄る。
王宮の庭には多くの人影が見えた。
使用人たちが忙しなく行き交っている。
――しまった……!
ユリアは慌ててベルを鳴らした。
ほどなくしてエアが駆け込んでくる。
急いで正装へ着替えさせられ。
ユリアは部屋を飛び出した。
部屋の外には。
手つかずの朝食が載せられた台だけが、静かに置かれていた。
ユリアは足早に、成人の儀が執り行われる広間へ向かった。
重厚な扉をくぐる。
その瞬間。
広間にいた貴族たちの視線が、一斉にユリアへ向けられた。
思わず足が止まる。
開始時間には、どうやら間に合ったらしい。
だが。
歓迎するような空気はどこにもなかった。
囁く声。
冷たい視線。
張り詰めた沈黙。
まるで遅れてきたことを責めるかのような重苦しい空気が、広間を満たしていた。
ユリアは小さく唇を噛む。
そして何事もなかったかのように、用意された席へ向かった。
成人の儀は、滞りなく進んでいった。
形式だけの祝辞。
形式だけの拍手。
ユリアに向けられる視線。
その瞬間。
胸の奥が、ひどくざわついた。
乾いた拍手の音が、別の音と重なる。
――そうか……。
ユリアは小さく目を伏せる。
なぜ、成人の儀が記憶に残っていたのか。
繰り返されたからではない。
――処刑台の……。
――あの光景を、
思い出してしまうから……。
群衆の歓声。
冷たい刃。
そして。
自分へ向けられた無数の視線。
ユリアは込み上げる吐き気を堪えるように、唇を噛んだ。
そして。
ゆっくりと出席者たちへ視線を向ける。
並ぶ貴族たち。
その中に。
エルザの姿があった。
その少し後方には、秘書官ティルの姿も見える。
前回と同じ光景だった。
――やっぱり……。
――前回も来ていた。
どうして……?
疑問が浮かぶ。
けれど答えはない。
乾いた拍手だけが、
広間へ虚しく響いていた。
成人の儀が終わる。
貴族たちは、順番に広間を後にしていった。
その中に。
エルザの姿がある。
ユリアは思わず、その背中を追った。
「ねえ」
エルザの足が止まる。
ゆっくりと振り返った。
ユリアは真っ直ぐ、その瞳を見つめる。
「どうして来てくれたの……?」
エルザは何も答えない。
わずかに視線を伏せる。
沈黙。
やがて、小さく口を開いた。
「……王族ですので」
それだけだった。
ユリアは眉をひそめる。
「上級貴族や」
「国王や王妃は来てないじゃない」
エルザの表情が僅かに揺れる。
何かを言いかける。
だが。
その視線は、一瞬だけ隣のティルへ向けられた。
ティルは無表情のまま立っている。
再び沈黙。
そして。
エルザはユリアへ軽く会釈した。
「失礼します」
それだけを残し、踵を返す。
ティルもまた、その後を静かに追った。
ユリアは立ち尽くしたまま、その背中を見つめる。
「何なの……」
呟きは、誰にも届かなかった。
遠ざかっていくエルザの背中。
その隣を歩くティル。
二人の姿が廊下の奥へ消えていく。
ユリアは、しばらくその場を動けずにいた。
胸の奥に残るのは、答えのない違和感。
そして――。
三月三十一日という日付だけだった。
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