第六十一話 献呈
ユリアが会場へ戻ると。
アルベリヒは、先ほどよりもさらに陽気になっていた。
酒の入った杯を片手に席を離れ、シュテルンハイムの外務卿や重臣たちと談笑している。
いつもより表情も豊かで。
身振り手振りまで、少し大きくなっているように見えた。
――随分、出来上がってるわね……。
ユリアがその様子を眺めていると、シュテルンハイム国王が席へ戻った。
ユリアはアルベリヒのもとへ歩み寄る。
そして、そっと腕を引いた。
「一度、落ち着きましょうか」
アルベリヒはユリアを見る。
「ん?」
少し遅れて、周囲を見渡した。
「ああ……」
「そうだな」
アルベリヒはユリアに促されるまま、元の席へ戻った。
全員が席についたところで。
シュテルンハイム国王が静かに立ち上がる。
「今宵は」
「皆とこうして席を囲めたことを、嬉しく思います」
国王はアルベリヒへ視線を向けた。
「アルベリヒ卿」
「遠路よりお越しいただき、改めて感謝いたします」
アルベリヒは席に座ったまま、軽く頭を下げた。
「こちらこそ」
「お招きいただき、ありがとうございました」
国王は小さく頷く。
「それでは」
「今宵は、このあたりでお開きといたしましょう」
国王の言葉を合図に、出席者たちが立ち上がった。
それぞれ挨拶を交わしながら、少しずつ会場をあとにしていく。
アルベリヒも椅子から立ち上がった。
その瞬間。
「っと……」
僅かに身体が揺れる。
ユリアは咄嗟に腕を支えた。
「大丈夫?」
アルベリヒはユリアへ顔を向ける。
「ああ」
「少し飲みすぎただけだ」
そこへ、シュテルンハイムの外務卿が歩み寄ってきた。
「アルベリヒ卿」
「大丈夫ですかな?」
アルベリヒは片手を軽く上げる。
「問題ありません」
「少々、楽しくなりすぎたようです」
外務卿は小さく笑った。
「それなら結構」
「どうぞ、今夜はゆっくりお休みください」
「ありがとうございます」
アルベリヒはそう答えると、ユリアに少し身体を支えられながら会場を出た。
扉の外には、リートベルクから同行した護衛の騎士たち。
そして、一人の侍女が待っていた。
侍女が二人へ頭を下げる。
「お部屋までご案内いたします」
ユリアが頷く。
「お願いします」
侍女が先に歩き出した。
そのあとを、ユリアとアルベリヒ。
さらに護衛の騎士たちが続いていった。
やがて、侍女が一つの扉の前で足を止めた。
「こちらがアルベリヒ卿のお部屋でございます」
侍女は隣の扉へ視線を向ける。
「ユリア様のお部屋は、お隣になります」
ユリアは軽く頭を下げた。
「ありがとう」
そして、隣にいるアルベリヒを見る。
「少し、この人の様子を見ておきます」
侍女も頭を下げた。
「かしこまりました」
続いて、護衛の騎士たちへ顔を向ける。
「護衛の方々はこちらです」
そう告げると、侍女は再び廊下を歩き始めた。
騎士たちも、そのあとへ続いていく。
ユリアはその姿を見送った。
そして、アルベリヒとともに部屋へ入る。
扉を閉める。
アルベリヒは酔いが回ってきたのか、俯いたままほとんど喋らない。
ユリアはそんなアルベリヒを寝台まで連れていった。
「ほら」
「座って」
アルベリヒは言われるまま、寝台へ腰を下ろす。
しかし。
そのまま体勢を崩し、横になった。
ユリアは呆れたようにその姿を見る。
「飲み過ぎなのよ」
「勝手な真似はするなよって言ってたけど……」
「こっちも十分問題でしょ」
アルベリヒが、うわごとのように呟いた。
「……すまない」
ユリアは大きくため息をつく。
卓の上には、水の入った容器と杯が用意されていた。
ユリアは杯へ水を注ぐ。
「お水でも飲んだら?」
アルベリヒはゆっくりと身体を起こした。
「ああ……」
ユリアから杯を受け取る。
そして、そのまま一気に水を飲み干した。
アルベリヒは俯いたまま、空になった杯を握っている。
しばらくして。
「君は……」
ユリアがアルベリヒを見る。
「この国の命運も……」
「背負えるか……」
ユリアは一瞬、息を飲んだ。
思ってもいなかった言葉だった。
しかし。
すぐにいつもの表情へ戻る。
「それが……」
「王になるということなら……」
ユリアは少しだけ肩を竦めた。
「背負うしかないわね」
アルベリヒは変わらず俯いたままだった。
「……そうか」
ユリアはそんなアルベリヒをしばらく見つめる。
そして、扉へ向かった。
「それじゃ」
「私は部屋に戻るわ」
アルベリヒは顔を上げることなく、片手だけを軽く上げた。
ユリアはその様子に小さく息をつく。
そして。
静かにアルベリヒの部屋をあとにした。
隣の自分の部屋へ向かうとーー。
一人の女性が、その扉を叩いていた。
しかし、中から返事はない。
女性は諦めたように扉から離れ、こちらへ歩いてくる。
ユリアはその顔を見て気がついた。
――テレーゼさん……?
テレーゼもユリアに気がつく。
「あっ……」
ユリアは少し驚きながら声をかけた。
「テレーゼさん……」
「何かご用ですか?」
テレーゼは少し迷うように視線を落とした。
「少し……」
「お話ししてもよろしいですか……?」
ユリアは不思議そうにテレーゼを見つめた。
部屋へ入ると。
二人は向かい合うように椅子へ腰を下ろした。
テレーゼはしばらく黙っていた。
そして、静かに口を開く。
「すみません」
「急に押しかけてしまって……」
ユリアは少し慌てて首を振った。
「いえ」
「大丈夫ですよ」
そして、テレーゼの表情を見る。
「どうなさったんですか?」
テレーゼの顔から、先ほどまでの柔らかな雰囲気は消えていた。
「私の父が」
「リートベルクの捜査局長だということは、ご存じですか……?」
ユリアは頷いた。
「ええ……」
「お話ししたことはありませんが……」
テレーゼは一度、息を整えた。
「父にとって」
「私は、人質なんです」
ユリアは目を見開いた。
「人質……?」
テレーゼは静かに頷く。
「捜査局は本来」
「政治から独立した部門でした」
「ですが」
「それをティルが変えてしまった」
ユリアは黙って耳を傾ける。
「父を従わせるために」
「ティルは、私を脅しの材料として利用しています」
ユリアは眉をひそめた。
「どうして……」
「そこまでして……?」
テレーゼは少し視線を落とした。
「ティルが」
「リートベルクとシュテルンハイムの両方へ影響力を広げていく」
「その一環なのでしょう」
そして。
テレーゼはユリアへ視線を戻した。
「話は」
「ライヘンバッハ国王と王妃が殺された事件にまで遡ります」
ユリアの表情が変わった。
「どうして……!?」
「そのことをご存じなんですか……?」
テレーゼは小さく頷いた。
「父は」
「当時から捜査局にいました」
「事件が起きた当初は」
「国王と王妃が殺害された事件として、捜査が進められていたそうです」
ユリアは言葉を失ったまま、テレーゼを見つめる。
「ですから」
「一部の貴族や」
「捜査局に関わる者の家族の間では」
「今でも知られている話です」
テレーゼは僅かに表情を曇らせた。
「ですが」
「事件はティルの手によって、闇に葬られた」
「その時の捜査局長は」
「その後、亡くなっています」
ユリアは黙ったまま、テレーゼの言葉を聞いていた。
テレーゼは続ける。
「それだけではありません」
「その後も」
「何かがあるたびに」
「捜査局長が不審な死を遂げることが続いたそうです」
ユリアは何も言えなかった。
「捜査局には」
「自分の命を惜しまない人間も多かった」
「父も、そういう人です」
テレーゼは膝の上で手を握った。
「だからこそ」
「勝手に動かれては」
「ティルにとって邪魔なのでしょう」
ユリアは、ようやく口を開いた。
「だから……」
「テレーゼさんを人質にして……」
テレーゼは静かに頷いた。
「今のシュテルンハイムが」
「ティルの影響を完全に振り払うことは」
「難しいと思います」
少し間を置く。
「でも」
「今は無理でも……」
テレーゼはユリアをまっすぐ見つめた。
「いつか」
「シュテルンハイムは」
「ティルに屈しない国にならなければいけない」
ユリアは何も言わず、その言葉を聞いていた。
テレーゼは続ける。
「父に……」
「伝えていただけませんか」
ユリアが僅かに目を見開く。
「捜査局長としての誇りだけは」
「失わないでほしいと」
「そして」
「いつか、この国も」
「誰かに従わなくても」
「自分の力で立ち上がる国になると」
テレーゼは少しだけ俯いた。
「だから……」
「私のことだけを理由に」
「何もできないと思わないでほしいと」
ユリアはテレーゼの顔をしっかりと見つめた。
そして。
ゆっくりと頷く。
「分かりました」
「必ず、伝えます」
テレーゼは何も言わなかった。
ただ、僅かに表情を緩める。
部屋の中に、静かな時間が流れた。
ユリアは目の前の女性を見つめながら。
その言葉を、胸の内へ刻み込んだ。




