第五十五話 啓示
会議が終わると、国王と王妃が席を立った。
その場にいた全員が立ち上がり、二人を見送る。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
ティルはアルベリヒのもとへ歩み寄った。
「今週中には書類をまとめておく」
「整い次第、シュテルンハイムまで頼む」
アルベリヒは軽く頭を下げる。
「わかりました」
ティルは今度はエルドマンへ視線を向けた。
「ご不服だとは思いますが」
「すでに決まったことですので」
「ご協力のほど、よろしくお願いします」
エルドマンは変わらず眉間に深い皺を寄せたまま、奥歯を噛み締める。
「……承知しております」
それだけ答えると、踵を返し、会議室を後にした。
ティルも静かにそのあとへ続く。
扉が閉まり、部屋は静寂に包まれた。
ユリアとアルベリヒは、その場から動かなかった。
二人はしばらく黙ったまま、廊下から気配が消えるのを待つ。
やがて足音も聞こえなくなる。
ユリアが小さく口を開いた。
「やっぱり、これは……」
「ティルが仕向けていることなの?」
アルベリヒは静かに息を吐く。
「そうだとは思うが……」
「国王も、派兵する意思は同じようだ」
「実際」
「国王や王妃の言っていることも間違ってはいない」
「この国にとって、一番の脅威は」
「シュテルンハイムが陥落することだからな」
ユリアは俯き加減に呟いた。
「そう……」
「軍務卿は、納得していないようだったけど……」
アルベリヒは頷く。
「当然だ」
「軍務院は」
「この国を守るためにある」
「その兵を国外へ割くことに」
「納得できないのだろう」
「それぞれに」
「守るべきものが違うということさ」
ユリアはゆっくりと顔を上げた。
「軍務卿は……」
「こちらについてくれるかしら」
アルベリヒは首を横に振る。
「それは分からない」
「今日はああいう態度だったが」
「彼は、この国のことを第一に考える男だ」
「それに……」
「これ以上は安易に踏み込むな」
「君の行動一つで」
「国防に関わる事態に発展することだってある」
ユリアは静かに目を伏せた。
「分かっているわよ……」
「ただ……」
「私の目的のためには」
「彼の力は、絶対に必要になる」
アルベリヒは頭を抱えた。
「それはそうなんだが……」
それ以上、言葉は続かなかった。
静まり返った会議室には、重苦しい空気だけが残っていた。
会議から数日が過ぎた。
二月十五日。
アルベリヒの執務室。
二人は、いつものように業務をこなしていた。
その時。
扉を叩く音が響く。
アルベリヒが返事をすると、扉が開いた。
入ってきたのはティルだった。
アルベリヒは席を立つ。
ティルは抱えていた大きな封筒をアルベリヒへ差し出した。
「シュテルンハイム王国へ渡す書類だ」
「明日にでも出発し、先方へ渡してきてくれ」
アルベリヒは封筒を受け取る。
中から書類を取り出し、一枚ずつ目を通していく。
文字を追う。
ある一文で、その手が止まった。
「これは……」
思わず声が漏れる。
ティルがアルベリヒを見つめた。
「どうした?」
鋭い視線が突き刺さる。
アルベリヒは一瞬だけ息を呑む。
「……いえ」
「問題ありません」
「明日、出発いたします」
ティルは静かに頷いた。
「ああ」
「頼んだ」
そう言い残し、踵を返す。
やがて執務室から姿を消した。
扉が閉まり、気配が遠ざかっていく。
アルベリヒはゆっくりと椅子へ腰を下ろした。
ユリアは心配そうに近づく。
「何があったの……?」
アルベリヒは書類へ目を落としたまま、静かに口を開く。
「派兵に関する書類へ」
「非常時の指揮権に関する特例条項が追加されている」
「『軍務院の指示を待つことが困難な場合」
「派遣軍は、国王が任命した現地総責任者の指示に従う』と」
ユリアは驚いた表情を浮かべる。
「それって……」
「どういうこと?」
アルベリヒは苦々しく答えた。
「何かあれば」
「派遣軍は」
「軍務院を通さず」
「現地総責任者の指示で動けるということだ」
ユリアは眉をひそめる。
「そんなのおかしくない……?」
アルベリヒは小さく頷いた。
「おかしいさ」
「少なくとも」
「この内容は会議では議論されていない」
「ティルの狙いは」
「これだったのかもしれない」
一度言葉を切る。
「ただ」
「国王の裁可も済んでいる」
「今さら覆すことはできない」
アルベリヒは書類を封筒へ戻した。
そして、ユリアへ視線を向ける。
「明日、シュテルンハイムへ出発する」
「帰ってくるまで数日はかかるだろう」
「準備をしておいてくれ」
ユリアは複雑な表情を浮かべながら、小さく頷いた。
二人は、それ以上言葉を交わさなかった。
執務室には、静かな時間だけが流れていた。




