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忘却曲線上の悪役令嬢――死に戻るたび、世界は私を忘れていく  作者: 直助
第二幕 戴冠の資格

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第五十一話 朝の歌

 二月五日。


 朝。


 ユリアは卓上暦を一枚捲った。


 まだ外は暗い。


 ユリアはフェンデルへ視線を向けた。


「そろそろ出ましょうか」


 フェンデルは静かに頷く。


 バルベルを起こさないよう、二人は足音を忍ばせて階段を降りた。


 静かに家を出る。


 外へ出ると、ひんやりとした朝の空気が頬を撫でた。


 フェンデルが口を開く。


「どこへ向かうんですか……?」


 ユリアは歩きながら答えた。


「王都の南のはずれよ」


「湖のほとりに住んでいる人がいるの」


「知り合いというか……」


「向こうは、もう私のことを覚えてないんだけど」


 フェンデルは少し首を傾げながらも、小さく頷いた。


 二人は静かな王都を歩き続ける。


 やがて家並みは少しずつ途切れ始め、代わりに木々の緑が目立つようになっていく。


 東の空はゆっくりと白み始めていた。


 さらに歩き続けると、木々の向こうに朝日に照らされた湖面が見えてくる。


 二人は湖畔へと辿り着いた。


 ユリアは周囲を見渡す。


 ――確か、このあたりよね。


 しばらく辺りを探す。


 すると、湖のほとりにぽつんと建つ一軒の家が目に入った。


 ユリアはほっと胸を撫で下ろす。


 ――あった……。


 家を指差し、フェンデルを見る。


「あそこよ」


 そう言うと、少し足早に歩き出した。


 フェンデルも小さな不安を胸に抱えながら、その後を追う。


 家の前まで来ると、ユリアは扉を見つめた。


 ――流石に、もう起きてるわよね……?


 一度、小さく息を吸う。


 そして、意を決して扉を叩いた。


 返事はない。


 もう一度、扉を叩く。


 静かな時間が流れる。


 やがて、扉がゆっくりと開いた。


 そこに立っていたのは、マテウスだった。


 白髪交じりの髪。


 深く刻まれた皺。


 年老いてはいるが、その立ち姿には、どこか凛としたものがあった。


 フェンデルが目を見開く。


「……マテウスさん?」


 マテウスはその声に反応し、ユリアを一瞥すると、すぐにフェンデルへ視線を向けた。


 誰だったか思い出そうとする表情を浮かべる。


 それを察したフェンデルが口を開いた。


「フェンデルです」


「王宮で雑務係をしていた……」


 マテウスの表情が変わる。


「フェンデル!?」


「あのフェンデルか!」


「大きくなったな……」


「しかし、どうしてこんなところまで」


 ユリアが二人の間へ入る。


「細かいことは、中で話しましょ」



 三人は、窓際に置かれた小さな机を囲んだ。


 フェンデルがこれまでの経緯を話し終える。


 マテウスは俯きながら呟いた。


「国家反逆罪……」


 フェンデルが口を開く。


「このまま王宮に帰れば」


「私は処刑されます」


 ユリアはマテウスを見た。


「巻き込みたくはないんだけど」


「フェンデルを匿っていただけないかしら」


 マテウスは迷うことなく頷いた。


「私はもう、どうなってもいい身だ」


「フェンデルさえよければ」


「ここに身を隠しなさい」


「ところで……」


 マテウスはユリアへ視線を向ける。


「あなたはいったい……?」


 ユリアは、まだ名乗っていなかったことに気がついた。


「私は」


「ユリア・フォン・ライヘンバッハと申します」


 マテウスの目が見開かれる。


「ライヘンバッハ……?」


「そんなはずが……」


 ユリアは眼鏡を外した。


 蒼銀色の瞳が、朝の光を受けて淡く輝く。


 マテウスは息を呑んだ。


「その瞳……」


「本当に、ライヘンバッハ家の……」


 ユリアは再び眼鏡をかける。


「今は訳あって、ライヘンバッハの名を隠し」


「ユリア・フォン・マグダレナと名乗っています」


「そうですか……」


 マテウスは深く息を吐いた。


「今の王国は、いったいどうなっているのか……」


 しばらく、誰も言葉を発しなかった。


 やがて、マテウスが再び口を開く。


「私にできることであれば」


「できる限りのことはいたします」


 ユリアとフェンデルは揃って頭を下げた。


「私はこれから王宮に行きます」


「またこちらにも顔を出しますので」


 ユリアは立ち上がる。


 マテウスとフェンデルへ深々と頭を下げると、一人で家を後にした。



 朝日は、すでに高く昇っていた。


 ユリアは、しまったという表情を浮かべる。


 そして、王宮へ向かって足を速めた。


 木々の間を抜ける土の道を、足早に進んでいく。


 やがて、土の道は石畳へと変わった。


 王都の街並みが広がる。


 ユリアは人の流れを縫うように、その中を急いだ。


 王宮へ辿り着いた頃には、すっかり日が高くなっていた。


 門をくぐる。


 フェンデルが逃走した影響だろうか。


 いつもより、騎士の姿が目立っていた。


 その中に、アルベリヒの姿を見つける。


 二人の視線が合った。


 アルベリヒは強張った表情のまま、ユリアへ歩み寄ってくる。


「心配したじゃないか!」


「こんな時間まで、何をしていたんだ!」


 声を張り上げたあと、アルベリヒは周囲を見渡した。


 そして、すぐに声を落とす。


「とにかく、執務室へ行くぞ」


 ユリアは小さく頭を下げた。


 先を行くアルベリヒのあとを追う。



 執務室へ入ると、アルベリヒは再び声を張り上げた。


「本当に心配したんだ!」


「審問を受けるはずだった捜査局の若者が、逃走しているし……」


 そこまで言って、アルベリヒはユリアの表情を窺った。


 ユリアは平静を装う。


 しかし、アルベリヒはその顔をじっと見つめた。


「もしかして君は……」


「この一件に関わってはいないだろうな」


 ユリアは表情を変えないよう努めた。


「国家反逆罪を疑われるような人と、接点はないわ……」


「大丈夫よ」


 アルベリヒは目を細めた。


「俺は、国家反逆罪とは一言も言っていないぞ」


「どこでその情報を知ったんだ!?」


 ユリアは、しまったという表情を浮かべる。


 アルベリヒは呆れたように息を吐いた。


「君は本当に……」


「何度も言うが」


「君が殺されるかもしれないんだぞ」


「それに、君に関わっている人にも危害が及ぶ」


「それを分かっているのか!」


 ユリアは頭を下げた。


「ごめんなさい」


「ただ……」


「放ってはおけなかったの」


 アルベリヒは苛立ったように頭を掻く。


「とにかく」


「絶対に気付かれないように行動しろ」


 ユリアは小さく頷いた。


 その時。


 扉を叩く音が響いた。


 アルベリヒが返事をする。


 扉が開く。


 そこに立っていたのは、ケーテンだった。


 アルベリヒが目を見開く。


「ケーテン卿!?」


 ケーテンは二人の間に流れる微妙な空気を感じ取り、静かに尋ねた。


「お取り込み中でしたかな」


「いえ」


 アルベリヒが答える。


 ケーテンは二人を見ながら続けた。


「あれから、少し考えました」


「微力ではありますが」


「あなた方に協力したい」


 ユリアとアルベリヒの表情が和らぐ。


「ありがとうございます」


 ユリアが頭を下げる。


「しかし」


「内務卿としての私の権限は」


「昔ほど残されてはいない……」


 ユリアは首を横に振った。


「そうだとしても」


「ケーテン卿が力を貸してくださることは」


「私たちにとって、大きな支えになります」


「本当に」


「感謝申し上げます」


 ユリアは、改めて深々と頭を下げた。


 顔を上げると、ケーテンは静かに頷いた。


 窓から差し込む明るい日差しが、三人を照らしていた。


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