第四十七話 ラインの黄金
ケーテンが執務室を後にした。
ユリアは何事もなかったかのように、再び書類の整理へ戻る。
しばらくして。
アルベリヒが立ち上がった。
「少し出てくる」
「君は、そのまま書類の整理を続けていてくれ」
そう言い残し、執務室を後にする。
扉が静かに閉まった。
ユリアはその扉を見つめ、小さく笑みを浮かべた。
その頃。
ケーテンは王宮の廊下を歩いていた。
執務室へ戻ろうと足を進める。
しかし。
ふいに立ち止まった。
眉間へ皺が寄る。
脳裏によみがえるのは、ユリアの言葉。
『十五年前の犯人は――』
『現王妃、フレイアです』
ケーテンはゆっくりと向きを変えた。
――審問院長……ブロッケス。
迷いを振り切るように歩き出す。
長い廊下を進み。
やがて、審問院長執務室の前で足を止めた。
一瞬だけ躊躇する。
それでも決意を固めるように、扉を叩いた。
「どうぞ」
中から声が返ってくる。
ケーテンは静かに扉を開いた。
執務机には、ブロッケスが座っていた。
「これは、ケーテン卿」
「どうされました?」
ケーテンは部屋へ入り、机の前まで歩み寄る。
そして、静かに口を開いた。
「十五年前の……」
「ライヘンバッハ国王夫妻死亡事件について伺いたい」
ブロッケスは表情を変えない。
ケーテンは続ける。
「捜査当局は」
「犯人まで辿り着いていた」
「それは、本当ですか?」
ブロッケスはケーテンをじっと見つめる。
やがて静かに口を開いた。
「……なぜ、今さらその話を?」
「それは、内務卿であるあなたの方が、よくご存じなのではありませんか?」
ケーテンは一歩も引かなかった。
「当時の私には」
「そこまでの報告は上がってきていません」
「殺人として捜査されていたものが」
「あなたの判断で、事故として処理された」
「私が知っているのは、そこまでです」
ブロッケスは静かに息を吐く。
「それなら、それで良いではありませんか」
「今さら」
「何を知ろうというのです」
ケーテンは真っ直ぐブロッケスを見据えた。
「私は知りませんでした」
「捜査当局が」
「現王妃フレイア様を容疑者としていたことを」
「あなたは、どうして……」
ブロッケスの眼光が鋭くなる。
「真実だけで」
「国は守れません」
「……私は、この国のために判断を下した」
それ以上、ブロッケスは何も語らなかった。
しかし。
その沈黙だけで十分だった。
ケーテンは何も言えない。
胸の奥で、一つの確信だけが静かに形を成していった。
その時だった。
コンコン。
扉を叩く音が響く。
返事を待つ間もなく、扉がゆっくりと開いた。
ケーテンとブロッケスは同時に入口へ視線を向ける。
そこに立っていたのは、ユリアだった。
ユリアはブロッケスへ目を向ける。
そして、その隣に立つケーテンを見て、小さく微笑んだ。
――ちょうどいいわね……。
ブロッケスが静かに口を開く。
「あなたは……」
「夜会にいらしていた」
「アルベリヒ卿の秘書でしたか」
一拍置いて、小さく笑う。
「今日は来客が多いですね」
ユリアは部屋の空気を察すると、穏やかに答えた。
「お気遣いなく」
「私は十五年前の事件について」
「捜査資料も、審問資料も目を通しております」
「捜査当局がフレイアへ辿り着いていたこと」
「審問院長が捜査打ち切りを通達したこと」
「当時の捜査局長と外務卿の死が、事故として処理されたことも」
ケーテンは思わずユリアへ視線を向ける。
その迷いのない立ち振る舞いに、言葉を失っていた。
ブロッケスは静かにユリアを見つめる。
「どうして……」
「あなたのような娘が、そこまで知っているのですか」
「アルベリヒ卿ですか……?」
ユリアは首を横へ振る。
「アルベリヒは関係ありません」
「私一人で調べたことです」
一歩前へ出る。
そして、静かに口を開いた。
「私……」
「ある方に言われたんです」
「真実を明らかにし」
「それを公のものにしたいのであれば」
「真実だけでは、この国は救えない」
「そして――」
「王になれ、と」
部屋の空気が静まり返る。
ユリアはゆっくりと眼鏡を外した。
蒼銀の瞳が、静かに揺らめく。
「だから、私は」
「この国の王になります」
ブロッケスは、その瞳をじっと見つめていた。
やがて、小さく頷く。
「なるほど」
「そういうことですか……」
その表情から、わずかに険しさが消える。
「ならば」
「これからのあなたを見させていただきます」
「本当に王の器があるのかどうか」
ユリアは微笑み、静かに眼鏡を掛け直した。
そして二人へ一礼すると、そのまま執務室を後にする。
扉が静かに閉まった。
残されたケーテンとブロッケスは、しばらくその扉を見つめていた。
誰も、口を開こうとはしなかった。




