第四十六話 運命の力
朝。
ユリアは仮眠室で目を覚ました。
小さく目を擦りながら身体を起こす。
身支度を整え、眼鏡を掛ける。
仮眠室を出る。
執務机の上に置かれた暦が目に入る。
二月四日。
――ケーテン卿は動いてくれるか……。
その時。
執務室の扉が開いた。
アルベリヒだった。
片手には仕事の荷物。
もう片方には、布に包まれた黒パンのサンドを持っている。
アルベリヒはその包みをユリアへ差し出した。
「朝食だ」
ユリアは受け取りながら、少し首を傾げる。
「あなたって」
「外務卿の割に質素なのね」
「普通は給仕が用意してくれるんじゃないの?」
アルベリヒは少し不満そうな表情を浮かべる。
「俺は君みたいに、生まれながらの上流階級じゃない」
「王妃にとって都合のいい人間だから、外務卿を任されているだけだ」
ユリアは小さくため息をつきながら、朝食を受け取ろうと手を伸ばす。
すると、アルベリヒはさっと手を引いた。
「そんな態度ならやらんぞ」
ユリアは思わず笑みを浮かべる。
「冗談よ」
「ありがとう」
アルベリヒも小さく笑う。
ユリアは黒パンのサンドを受け取り、静かに朝食を口へ運んだ。
それから、しばらくの時間が過ぎた。
ユリアは書類を整理し、アルベリヒは机へ向かって仕事を続ける。
静かな執務室。
その時だった。
コンコン。
扉を叩く音が響く。
アルベリヒが顔を上げる。
「どうぞ」
扉がゆっくりと開く。
わずかに開いた隙間から、人影が見えた。
ユリアは小さく笑みを浮かべる。
――来たわね。
部屋へ入ってきたのは、内務卿ケーテンだった。
アルベリヒは目を見開く。
「ケーテン卿!?」
そして、隣のユリアへ視線を向ける。
「昨日言っていたのは……」
「このことか」
ユリアは静かに頷く。
「ええ」
「交流するのは悪いことではないでしょ?」
アルベリヒは呆れたように息を吐く。
「しかし……」
ケーテンが口を開いた。
「あれから捜査資料を見ました」
「確かに、ユリア・フォン・ライヘンバッハという名がありました」
「あなたは本当に……」
「ライヘンバッハ国王の娘なのですか」
「そして」
「何をしようとしているのですか」
ユリアは真っ直ぐケーテンを見つめる。
「十五年前の真実を明らかにし、公のものとする」
「そして――」
「私が、この国の王になる」
執務室に沈黙が落ちる。
アルベリヒは息を飲んだ。
ケーテンも表情を強張らせる。
「それは……」
「どういう……」
「正気なのですか……?」
ユリアの表情は変わらない。
「ええ」
「この荊の道を進む私の味方に」
「あなたは、なってくれますか?」
蒼銀の瞳が静かに揺らめく。
ケーテンは、その瞳から目を離せなかった。
やがて、小さく口を開く。
「私は……」
「ライヘンバッハ国王を慕っておりました」
「現国王がどうというわけではありません」
「ですが」
「今の国のあり方には……思うところがあります」
ユリアは静かに問い掛ける。
「十五年前の真実を……」
「あなたは、ご存じですか?」
ケーテンは首を横へ振った。
「いいえ」
「殺人として捜査されていたものが」
「審問院長の判断で、事故として処理されたとしか聞いておりません」
ユリアは一呼吸置く。
「十五年前の犯人は――」
アルベリヒが咄嗟に声を上げる。
「待て、ユリア!」
しかし、ユリアは構わず続けた。
「現王妃、フレイアです」
ケーテンは目を見開く。
「そんな……」
アルベリヒは思わずユリアの肩を掴む。
「少し待て……!」
だが、ユリアはそのまま続けた。
「そして」
「このアルベリヒも、十五年前の事件に関わっています」
アルベリヒは言葉を失う。
否定することもできなかった。
ユリアは再びケーテンを真っ直ぐ見つめる。
「あなたは、このまま」
「この国を支え続けることができますか……?」
ケーテンは戸惑いを隠せないまま口を開く。
「フレイア様が犯人だという証拠は……」
「あるのですか?」
ユリアは静かに頷く。
「アルベリヒは、その現場にいました」
「それに、審問の資料もあります」
「もし、あなたが見ることのできる立場にあるのなら」
「確認してください」
「捜査当局が、一度はフレイアへ辿り着いていたことが記されているはずです」
ケーテンの瞳が揺らぐ。
その隣では、アルベリヒも息を飲んでいた。
――捜査当局が、そこまで辿り着いていた……?
それはアルベリヒにとっても初めて知る事実だった。
ユリアは穏やかに続ける。
「まあ……」
「この話を信じるかどうかは」
「ケーテン卿次第ですが」
ケーテンは一度目を閉じ、小さく息を吐いた。
動揺を押さえ込むようにして、ゆっくりと口を開く。
「仮に……」
「あなたのお話を信じたとしても」
「今の私には何の力もありません」
「内務卿とは名ばかりで……」
「実権など、ほとんどありません」
ユリアは真っ直ぐケーテンを見つめる。
「今の私には」
「一人でも多くの味方が必要です」
「どうするかは、あなたに委ねます」
「ですが」
「私はあなたを信じます」
ケーテンは静かに俯いた。
しばらく考え込んだあと、顔を上げる。
「少し……」
「時間をいただけますか」
ユリアは静かに頷いた。
「ええ」
ケーテンは軽く一礼すると、そのまま執務室を後にする。
扉が静かに閉まった。
ユリアは、その扉をじっと見つめていた。
しばらくして。
アルベリヒはようやく我に返ったように、大きくため息をつく。
「君はまた勝手なことを……」
ユリアは肩をすくめ、小さく笑う。
「話は、わかりやすくて早い方がいいのよ」
アルベリヒは呆れたようにもう一度ため息を漏らした。




