第四十三話 白鳥の歌
ユリアとアルベリヒは執務室へ入った。
アルベリヒは小さく息を吐いた。
「やはり……」
「ティルを前にすると緊張するな」
ユリアはアルベリヒを見る。
「微妙に怪しかったわよ」
「態度が」
アルベリヒは苦笑する。
「……今後は気をつける」
そう言うと、机の上へ視線を向けた。
「とりあえず……」
「書類の整理をしてもらおうか」
ユリアは思わず目を丸くする。
アルベリヒは首を傾げた。
「当然だろ」
「仕事をするのは」
「君は私の秘書官だ」
そう言って、机の上に積まれた書類を抱え上げる。
そして、そのままユリアへ手渡した。
「わからないことがあったら聞いてくれ」
ユリアは少し不満そうな表情を浮かべながらも、書類を受け取る。
そのまま自分の机へ運び、一枚ずつ整理を始めた。
アルベリヒが声をかける。
「君に渡した書類は、全て処理済みのものだ」
ユリアは頷き、一枚ずつ書類へ目を通していく。
内容ごとにまとめ、机の上へ積み重ねていく。
――やはり、シュテルンハイム王国に関するものが多い。
ユリアは顔を上げた。
「ねえ」
「シュテルンハイム王国って……」
「どんな国なの?」
アルベリヒは少し考えてから口を開く。
「あまり大きな国ではない」
「豊かでもない」
「正直……」
「我が王国の支援がなければ」
「とっくにどこかの国へ侵略されていても、おかしくない」
「……まあ、そんな国だ」
「昔から友好関係ではある」
「フレイア様がヴォルクナー家へ入られてから、シュテルンハイム王国との関係はより深くなった」
「まあ、そのあたりの経緯を俺も詳しく知っているわけじゃない」
「だから、はっきりとは言えないな……」
ユリアは静かに頷く。
「そう……」
ふと、バルベルの言葉が脳裏をよぎる。
『ライヘンバッハ国王がお亡くなりになる、少し前からかねぇ』
『王都の様子が変わり始めたのは』
――お父様は、知っていたのかしら……?
ライヘンバッハ家の書庫に……。
――お父様は、何か残していないかしら……。
そう思い始めると、ユリアは落ち着かなくなった。
一通り書類の整理を終えると、静かに立ち上がる。
「忘れ物を思い出したわ」
「部屋に取りに行ってくる」
アルベリヒが顔を上げる。
「おい」
しかし、ユリアはそのまま執務室を後にした。
ユリアはかつて自室だった部屋へ向かう。
――書庫の鍵は、部屋にあるのよね……。
――遠いわね……。
王宮の廊下を歩き続ける。
ようやく部屋へ辿り着くと、扉を開ける。
机へ歩み寄り、引き出しを開いた。
――あった。
鍵を手に取ると、再び部屋を後にする。
目指すのは、ライヘンバッハ家の書庫だった。
ユリアはライヘンバッハ家の書庫へ着くと、周囲を見回しながら中へ入った。
父が亡くなる直前に近い資料から、一冊ずつ手に取っていく。
頁をめくる。
だが、記されているのは以前目にしたものと変わらない、淡々とした記録ばかりだった。
――やはり……。
――お父様は何も残していないのかしら……。
ユリアは本棚へ視線を向ける。
その時だった。
不意に肩を掴まれる。
――まずい……。
息を呑みながら振り返る。
そこに立っていたのはアルベリヒだった。
ユリアは胸を撫で下ろす。
「驚かさないでよ」
アルベリヒは声を潜める。
「勝手に行動するな」
「何度も言うが」
「本当に殺されるかもしれないんだぞ!」
ユリアは申し訳なさそうに視線を落とす。
「どうしても確認したかったのよ」
「お父様が何か異変に気付いていなかったのか」
アルベリヒは複雑そうな表情を浮かべ、本棚へ目を向ける。
「しかし……」
「何か残していたとしても」
「そのまま棚へ並べたりはしないだろう」
「見つからないように隠すものだ」
「俺が外交資料庫に帳簿を隠したようにな……」
そう言いながら、一冊の本を抜き取る。
その奥。
本棚のわずかな隙間に、一冊だけ横向きに差し込まれた本があった。
「……あった」
その声に反応し、ユリアはすぐに駆け寄る。
そして、そっとその一冊を抜き取った。
ユリアはゆっくりと表紙を開く。
――日記……?
最初の頁には、国王へ即位したこと。
そして、その決意が記されていた。
ユリアは静かに頁をめくる。
その時だった。
ふと、一つの名前が目に留まる。
「私のことが……書いてある」
そこには、娘が誕生したこと。
ユリアと名付けたこと。
その日の喜び。
それらが、簡潔な言葉で綴られていた。
ユリアは幼い頃の、おぼろげな父の記憶を思い返す。
その文体の端々から、父らしさが伝わってくる。
胸の奥が、少しだけ温かくなった。
隣からアルベリヒがそっと覗き込む。
そこに記された「ユリア」という文字を見て、小さく呟いた。
「本当に……娘だったのか」
ユリアは静かに次の頁をめくった。
そこには、王宮内で起きている異変について綴られていた。
『私の承認を得ぬまま、物事が進んでいる』
『王都の様子も、おかしい』
『民へ渡るべき富が、正しく行き渡っていない』
『ヴォルクナー家のフレイア』
『秘書官ティル』
『二人が何か動いている』
『だが、確証はない』
『重臣たちも何かを隠しているように思える』
『正しい情報が、私のもとへ届かない』
『まだ事を荒立てるべきではないのか』
『それとも、直接フレイアへ問いただすべきか』
頁をめくる。
『外務卿ヴィルヘルムが、ついに口を開いた』
『彼の話が事実であるならば』
『フレイアは国家反逆罪に問われる』
『しかし、到底信じられない』
『私が知らぬ事情があるのではないか』
『一度、フレイア本人から話を聞こう』
『その後、改めて事実関係を調べる』
ユリアは、その内容を食い入るように見つめた。
――お父様は異変に気付いていた……。
――だから……。
――殺された……。
隣では、アルベリヒも黙ったまま日記を見つめていた。
その先の頁には、何も書かれていない。
一頁。
また一頁。
空白だけが続いていく。
――あれが、最後だったのね……。
ユリアは最後の頁をめくる。
そこには、一文だけが残されていた。
『この王国の繁栄と』
『娘ユリアの幸福のために』
ユリアの瞳が潤む。
眼鏡の奥で、蒼銀の光が静かに揺らめいていた。




