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忘却曲線上の悪役令嬢――死に戻るたび、世界は私を忘れていく  作者: 直助
第一幕 祝福なき王女

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第三十五話 幻想曲

 二月十一日。


 ユリアは卓上暦を見つめていた。


 ――私が。


 ――王になる。


 昨晩、何度も繰り返した言葉が胸の奥で静かに響く。


 だが。


 ユリアは小さく息を吐いた。


 ――だけど……。


 ――何から始めればいいのかしら。


 考えても答えは出ない。


 ユリアは静かに立ち上がった。


 ――朝食でも食べながら考えましょうか。


 食堂へ向かう。


 朝食を口に運びながら、頭の中で考えを整理していく。


 ――何もないところから始めるしかない。


 いや。


 むしろ、その方がいいのかもしれない。


 王妃やティルに目を付けられたまま動くより。


 何も知られていない状態の方が、ずっと動きやすい。



 ――王宮礼拝の時。


 ――王妃は、一瞬だけ私を見ていた。


 ――あの時の表情……。


 あれは。


 私を見て驚いたというより。


 私が誰なのか、分からなくなっているようにも見えた。


 忘却は、少しずつ進んでいるのかもしれない。


 王妃も、私のことを忘れ始めているはず……。


 今、一番頼れるとすれば――。


 アルベリヒ。


 その時だった。


 コンコン。


 部屋の扉が叩かれる。


「どうぞ」


 返事をすると、扉が静かに開いた。


 入ってきたのはエアだった。


 その手には、小さな封筒がある。


 エアはユリアの前まで歩み寄ると、封筒を差し出した。


「アルベリヒ卿より、お預かりしております」


 ユリアは小さく目を瞬かせた。


 ――また……?


 封筒を受け取る。


「ありがとう」


 エアは柔らかく微笑み、一礼すると静かに部屋を後にした。


 扉が閉まる。


 ユリアは封を切る。


 中には、一枚の紙だけが入っていた。


 短い文章だった。




『外交資料庫の裏口を開けておく。』


『外務卿ヴォルフラム時代の資料を見ろ。』




 ユリアは、その文字を見つめる。


 ――ヴォルフラム……。


 その名には覚えがあった。


 ――審問資料に記されていた。


 ――あの外務卿……。





 その夜。


 ユリアは部屋で静かに時を待っていた。


 昼間に動けば、人目につく。


 焦る気持ちを抑えながら、日が沈むのを待つしかなかった。


 やがて。


 王宮が静まり返る。


 ユリアはそっと部屋を抜け出した。


 人気のない廊下を進み、一度王宮の外へ出る。


 夜風が頬を撫でた。


 手紙の内容を思い返す。


 ――外交資料庫の裏口を開けておく。


 ――外務卿ヴォルフラム時代の資料を見ろ。


 ユリアは周囲を見渡す。


 ――確か……。


 ――この辺りだったはず。


 しばらく歩く。


 やがて、小さな扉を見つけた。


 ――あった……。


 ゆっくりと取っ手へ手を掛ける。


 静かに回す。


 鍵は掛かっていなかった。


 アルベリヒの言葉通りだった。


 ユリアは音を立てないよう中へ入る。


 燭台へ火を灯す。


 淡い灯りが、部屋いっぱいに並ぶ書架を照らした。


 思わず小さく息を呑む。


 ――流石に……。


 ――これだけあると、どこから探せばいいのか分からないわね。


 ユリアは棚から資料を一本ずつ取り出しては、頁をめくる。


 年代を確認し、元へ戻す。


 それを何度も繰り返した。


 やがて。


 ある資料へ手が止まる。


 表紙には、外務卿ヴォルフラムの署名。


 ――この辺りね。


 静かに頁をめくる。




 【シュテルンハイム王国 財政支援】


 承認 外務卿 ヴォルフラム




 ユリアは眉をひそめた。


 ――随分、大きな額ね……。


 さらに頁をめくる。




 【シュテルンハイム王国 軍事支援】


 承認 外務卿 ヴォルフラム




 さらに次。




 【シュテルンハイム王国 外交特例】


 承認 外務卿 ヴォルフラム




 また次。




 【シュテルンハイム王国 ――】




 ユリアの手が止まる。


 ――シュテルンハイム王国……。


 ――また?


 資料を前へ戻る。


 別の外交文書も開く。


 そこには。


 他国への外交案件。


 その多くには。


 国王の承認。


 あるいは。


 国王と外務卿、両方の署名が並んでいた。


 だが。


 シュテルンハイム王国に関する文書だけは違う。


 どの資料にも。


 ヴォルフラムの署名しかない。


 ユリアは静かに呟く。


 ――どうして……。


 ――シュテルンハイム王国だけ……。


 脳裏に浮かぶ。


 シュテルンハイム王国。


 それは。


 王妃フレイアの出身国だった。



【極秘外交覚書】


 件名 シュテルンハイム王国との共同防衛協定


 内容


・有事の際は、速やかに援軍を派遣する。


・本協定は両国外務当局間で運用する。


 承認


 外務卿 ヴォルフラム




 ユリアの手が止まった。


 ――外務当局間……?


 ユリアは資料を閉じることなく、近くの棚から別の外交覚書を取り出す。


 いくつかの資料へ目を通す。


 どの覚書にも。


 承認欄には、国王と外務卿、二人の署名が並んでいた。


 ユリアは再び、シュテルンハイム王国の覚書へ視線を戻す。


 そこにある署名は。


 ヴォルフラム、一人だけ。


 ――やっぱり……。


 ――国王を通していない……?


 小さな違和感が、胸の奥で静かに膨らんでいく。


 ユリアは、もう一度シュテルンハイム王国に関する資料を手に取った。


 頁をめくる。


 一枚。


 また一枚。


 そして。


 最後の頁で、その手が止まる。


 


 【シュテルンハイム王国外交会談記録】


 出席者


 ・外務卿 ヴォルフラム


 ・特命使節 フレイア・フォン・ヴォルクナー


 


 ユリアは、その一文をじっと見つめた。


 ――フレイア……。


 もう一度、ゆっくりと読み返す。


 見間違いではない。


 そこには確かに、フレイア・フォン・ヴォルクナーの名が記されていた。


 ――どういうこと……。


 王妃ですらなかった頃から。


 フレイアは、シュテルンハイム王国との外交に関わっていた……?


 それに……。

 

 特命使節……?


 どうして、フレイアがそんな立場で……。


 少なくとも。


 フレイアが、シュテルンハイム王国との外交へ深く関わっていたことだけは間違いなかった。


 ユリアは静かに資料を閉じる。


 ――アルベリヒは……。


 ――このことを伝えたかったの……?


 燭台の火が、小さく揺れる。


 静まり返った資料庫には。


 頁を閉じる音だけが、静かに響いていた。


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