第三十三話 哀歌
二月十日。
朝。
アルベリヒは昨夜、審問院資料庫から持ち出した資料を封筒へ入れ、脇に抱えていた。
周囲へ注意を払いながら、王宮の廊下を歩く。
やがて。
一人の侍女が前方から歩いてくる。
アルベリヒは静かに声を掛けた。
「少しいいか」
侍女が足を止める。
振り返ったのは、エアだった。
「アルベリヒ卿」
「どうされましたか?」
アルベリヒは抱えていた封筒を差し出す。
「これを」
「ユリアという方へ渡してほしい」
エアは一瞬だけ考えるように首を傾げた。
やがて、小さく頷く。
「ああ……」
「奥のお部屋のお嬢様ですね」
「最近、エルザ様がお話しされている方」
「承知いたしました」
「お渡ししておきます」
アルベリヒは静かに頷いた。
「すまない」
「頼んだ」
エアは封筒を受け取ると、胸元で大切そうに抱え、一礼する。
アルベリヒも軽く会釈を返した。
そして踵を返し、再び廊下を歩き始める。
――これで終わりじゃない。
――俺にも、まだできることがある。
前を向く。
――もう少し調べてみるか……。
アルベリヒの姿は、静かな廊下の奥へ消えていった。
ユリアは返事をした。
「どうぞ」
扉が開く。
部屋へ入ってきたのは、エアだった。
その姿を見た瞬間。
ユリアはほんの少しだけ表情を和らげる。
エアは一礼すると、ユリアの前まで歩み寄った。
その手には、一通の封筒がある。
「アルベリヒ卿より」
「ユリア様へ、お渡しするよう仰せつかっております」
ユリアは目を瞬かせた。
――アルベリヒから……?
不思議そうな表情を浮かべながらも、封筒を受け取る。
「ありがとう」
ユリアが微笑むと、エアも柔らかく微笑み返した。
「失礼いたします」
一礼し、静かに部屋を後にする。
扉が閉まる。
部屋へ静寂が戻った。
ユリアは封を開ける。
中には、一冊に綴じられた審問資料が入っていた。
――これは……。
――審問院の資料……?
表紙をめくる。
そこには、
『ライヘンバッハ国王夫妻死亡事件』
と記されていた。
ユリアは静かに頁をめくる。
最初に目へ飛び込んできたのは、捜査当局からの報告書だった。
【第一次捜査報告】
・現場の状況から、他殺の可能性が極めて高い。
・捜査継続を要請する。
その下には。
審問院の決裁。
【審問院決定】
捜査継続を認める。
署名 審問院長 ブロッケス
ユリアは目を細めた。
――この時点では……。
――審問院も殺害事件として扱っている。
さらに頁をめくる。
【第二次捜査報告】
・犯行は王宮関係者によるものと推定。
・容疑者の範囲を王宮内へ限定し、捜査を継続する。
その下には。
【審問院決定】
慎重に捜査を継続すること。
署名 審問院長 ブロッケス
ユリアは静かに頁をめくる。
その時。
ある一文が目に留まった。
『現場に居合わせた』
『ユリア・フォン・ライヘンバッハ王女は』
『精神的衝撃が大きく』
『証言を得ることはできなかった』
『証言可能な者はいないと判断する』
ユリアは、その文章をじっと見つめた。
――そう……。
――私は、証言できなかったのね……。
だが。
あの日の記憶は、今でも曖昧だった。
血に染まった部屋。
倒れていた両親。
そこまでは覚えている。
けれど、その後。
誰に何を聞かれたのか。
自分が何を答えたのか。
それすら、ほとんど思い出せなかった。
ユリアは小さく息を吐く。
そして、静かに次の頁をめくった。
そこには。
【第三次捜査報告】
・容疑者として、貴族フレイア・フォン・ヴォルクナーが浮上。
・引き続き証拠収集を進める。
審問院の決裁。
【審問院決定】
慎重に捜査を継続すること。
署名 審問院長 ブロッケス
ユリアは息を呑んだ。
――やっぱり……。
――捜査当局は、フレイアまで辿り着いていた。
頁をめくる。
その瞬間。
ユリアの表情が強張る。
【審問院通達】
ライヘンバッハ国王夫妻死亡事件については、これ以上の捜査を行わない。
本件は事故として処理する。
署名。
審問院長 ブロッケス。
ユリアは、その署名をじっと見つめた。
――捜査資料には書かれていなかったけれど……。
――審問院には、フレイアの名前まで伝わっていた。
それでも。
捜査は、止められた。
ユリアは静かに頁をめくる。
だが。
まだ資料は続いていた。
――終わりじゃない……?
小さく眉をひそめる。
次の頁には、新たな見出しが記されていた。
【関連事案】
捜査局長ジークフリート死亡
事故死と判断する。
署名。
審問院長 ブロッケス。
さらに頁をめくる。
【関連事案】
外務卿ヴォルフラム死亡
事故死と判断する。
署名。
審問院長 ブロッケス。
ユリアは思わず息を呑んだ。
――これ……。
――アルベリヒが話していた。
――当時の外務卿……。
アルベリヒは、
口封じだったと思っていると言っていた。
そして。
捜査局長まで、事故死……。
ユリアは二つの報告書を見比べる。
――どうして……。
――お父様とお母様の事件の資料に。
――この二人の死亡記録まで綴じられているの……?
一つの答えが頭をよぎる。
ユリアの表情が強張った。
――まさか……。
――二人とも。
――殺されたということ……?
ユリアは資料を閉じることができなかった。
もし。
二人とも、本当に殺されていたのだとしたら。
その考えが頭をよぎった瞬間。
背筋を冷たいものが走る。
――やっぱり……。
――あの二人なら。
――やる。
分かっていた。
自分を何度も殺しているのが、誰なのか。
それでも。
心のどこかで。
そこまで残酷なことはしないのではないかと、そう思いたかった。
だが。
違った。
あの二人なら。
必要とあれば、人を殺す。
ユリアは静かに目を伏せる。
――アルベリヒも……。
――あれほど怯えていたわけね……。
そして。
もう一度、資料へ視線を落とした。
国王夫妻殺害事件。
その関連事案として綴じられた、二つの死亡報告。
――ブロッケスも。
――この二人の死を、事件と無関係だとは思っていなかった……。
――だから。
――関連事案として残したの……?
ユリアは小さく息を吐いた。
――確かめなくちゃ。
その思いが胸を満たしていた。
もう。
部屋で考え続けていることはできなかった。
ユリアは資料を封筒へ戻す。
静かに立ち上がると、そのまま部屋を後にした。
向かう先は。
審問院長ブロッケスの執務室。
王宮の廊下を足早に進む。
やがて目的の扉の前へ辿り着いた。
一度、小さく息を整える。
そして。
コンコン。
扉を叩いた。
返事はない。
ユリアは少し間を置き、もう一度扉を叩く。
コンコン。
しばらくして。
「入りなさい」
低く落ち着いた声が返ってきた。
ユリアはゆっくりと扉を開ける。
部屋の中央。
執務机の向こうには、ブロッケスが静かに座っていた。
手元の書類から顔を上げる。
鋭い眼差しが、真っ直ぐユリアを見据えた。
「昨晩の……」
一拍置く。
「やはり」
「あそこで諦めるような方ではありませんでしたか」
ユリアは何も答えなかった。
ただ。
抱えていた封筒を、強く握り締めた。




