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忘却曲線上の悪役令嬢――死に戻るたび、世界は私を忘れていく  作者: 直助
第一幕 祝福なき王女

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第二十七話 求索

 アルベリヒは薄暗い廊下を駆けていた。


 荒い息。


 速まる鼓動。


 ――あの女は……。


 ――いったい何者だ……。


 ――どうして十五年前のことを……。


 自室へ飛び込むように入り、勢いよく扉を閉める。


 鍵を掛ける。


 ようやく人目を気にしなくて済む。


 アルベリヒは書斎の中を落ち着かない様子で歩き回った。


 立ち止まる。


 また歩く。


 頭の中では、先ほどのやり取りが何度も繰り返されていた。


 ――目撃者は……。


 ――私とティル以外、いないはずだ……。


 なのに。


 どうして十五年前のことを知っている……。


 誰か、あの場を見ていたのか……?


 いや。


 そんなはずはない。


 事件は十五年前に終わった。


 事故として処理され。


 すべて終わったはずだ。


 ――大丈夫だ……。


 ――大丈夫なはずだ……。


 そう言い聞かせても。


 胸の奥に渦巻く不安だけは消えなかった。


 アルベリヒは力なく椅子へ腰を下ろす。


 両手で頭を抱えた。


 ――このことを……。


 ――王妃とティルに報告するか……。


 だが、その考えはすぐに打ち消す。


 ――いや……。


 ――あの二人に知られたら、何をしでかすか分からない……。


 十五年前。


 あの日の光景が脳裏をよぎる。


 アルベリヒは小さく首を振った。


 ――これ以上……。


 ――あの二人に巻き込まれるのは、ごめんだ……。






 ユリアは自室へ戻っていた。


 椅子へ腰を下ろし、一人静かに考えを巡らせる。


 ――アルベリヒ。


 ――あいつが王妃やティルへ報告すれば、近いうちに私は殺される……。


 一度目を閉じる。


 静かに息を吐いた。


 ――でも。


 ――殺されなかったら。


 ――もう少し、動いてみてもいいわね……。


 それから数日が過ぎた。


 何事もなく時間だけが流れていく。


 朝。


 ユリアは卓上暦を一枚めくる。


 二月八日。


 今日まで、誰かに命を狙われることはなかった。


 ――やっぱり。


 ――アルベリヒは、王妃やティルへ話していない。


 窓の外では、穏やかな陽射しが王宮を照らしていた。


 昼を迎え。


 やがて夕暮れが訪れる。


 空は少しずつ群青へと染まり、王宮には夜の静けさが広がり始めていた。


 ユリアは窓の外を見つめ、小さく呟く。


 ――今日は……。


 ――王宮礼拝の日だったわね。


 王宮関係者のほとんどが礼拝へ出席する。


 自室周辺の人通りも少なくなるはずだ。


 ――今なら……。


 ユリアは礼拝が始まる頃を見計らい、自室を後にした。


 静まり返った廊下を歩く。


 やがて。


 アルベリヒの自室前へ辿り着く。


 周囲を見渡す。


 誰もいない。


 ユリアは懐から一通の手紙を取り出した。


 静かに身を屈める。


 扉の下の隙間へ、ゆっくりと滑り込ませた。


 ――礼拝が終わるまで、少し待ちましょうか。


 ユリアは廊下の柱の陰へ身を隠す。


 アルベリヒの部屋が見える、絶妙な距離だった。


 静かな時間が流れる。


 ――なかなか戻ってこないわね……。


 その時だった。


 廊下の向こうから足音が響く。


 ユリアは息を潜める。


 姿を現したのは。


 アルベリヒだった。


 アルベリヒは周囲を気にする様子もなく、自室の扉を開け、中へ入っていった。


 扉を閉めようとした、その時だった。


 足元に、一通の封筒が落ちていることに気付く。


 ――なんだ……?


 ゆっくりと拾い上げる。


 表を見る。


 裏を見る。


 差出人の名はない。


 ――何も書いていない……。


 ――いったい、誰だ?


 不審に思いながらも、封を切る。


 中から一枚の紙を取り出した。


 書かれていたのは、わずか二行。


『十五年前の』


『あの資料を見ました』


 アルベリヒの表情が凍り付く。


 紙を持つ手が震えた。


 ――誰が……。


 ――いや……。


 ――そんなはずはない。


 あの資料の存在は、自分しか知らない。


 王妃も。


 ティルでさえ。


 とっくに廃棄したと思っているはずだ。


 ――大丈夫だ……。


 ――絶対に、大丈夫だ……。


 その瞬間。


 アルベリヒははっと目を見開く。


 ――そういえば……。


 ――夜会が終わったあと。


 ――あの女が、私の後をつけてきていた……。


 あいつの仕業か……。


 だが。


 あの資料を見られるはずがない。


 あり得ない。


 あり得ない……。


 アルベリヒは自分へ言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返した。


 それでも。


 胸の奥から湧き上がる不安は消えない。


 気が付けば。


 考えるより先に、身体が動いていた。


 勢いよく扉を開け放つ。


 廊下へ飛び出す。


 その姿を。


 柱の陰から見つめる者がいた。


 ユリアは静かに口元を緩める。


 ――やっぱり。


 そう小さく呟くと、アルベリヒに気付かれない距離を保ちながら、その背中を追った。


 アルベリヒは焦る気持ちを抑えながら、廊下を進んでいた。


 走るとも歩くともつかない速さ。


 その足取りだけが、胸の内の動揺を物語っている。


 ユリアは気付かれないよう、一定の距離を保ちながら後を追った。


 ――本当に何かあるみたいね。


 ――かまを掛けて正解だったわ。


 やがて。


 アルベリヒは鍵管理室へ入っていく。


 ほどなくして姿を現した。


 右手には一本の鍵が握られている。


 ユリアはさらに後を追う。


 ――あの様子だと……。


 ――鍵は隠してあるわけじゃなさそうね……。


 アルベリヒは王宮の一角へ足を進める。


 やがて立ち止まった先には。


 外交資料庫。


 重厚な扉を鍵で開け、中へ入っていく。


 ユリアも静かに近付く。


 扉が完全に閉まる前。


 わずかに残った隙間から、中の様子を窺った。


 アルベリヒは燭台へ火を灯す。


 橙色の明かりが、薄暗い資料庫をぼんやりと照らし出した。


 そのまま迷うことなく奥の本棚へ向かう。


 一冊の書物を抜き取る。


 すると、その裏から一冊の古びた帳簿を取り出した。


 ――あいつ……。


 ――自分の管轄の資料に紛れ込ませていたのね……。


 ユリアは物陰から、その様子をじっと見つめていた。


 アルベリヒは息を切らしながら帳簿を確認する。


 表紙を撫でる。


 背表紙へ積もった埃を見つめる。


 そして、小さく息を吐いた。


 ――大丈夫だ……。


 ――本の向きも変わっていない……。


 ――栞も、この位置のままだ……。


 ――誰にも見つかっていない……。


 ようやく肩の力が抜ける。


「なんだよ……」


「驚かせやがって……」


 そう呟き、帳簿を元へ戻そうとした。


 その瞬間だった。


 一つの手が、背後から伸びる。


 帳簿はアルベリヒの手を離れ、そのままユリアの手へ渡った。


 アルベリヒは弾かれたように振り返る。


「あの時の女……!」


「お前が部屋に手紙を!」


 その表情から血の気が引いていく。


「返せ!」


「早く、それを返せ!!」


 ユリアは帳簿の表紙へ目を落とす。


「そんなに大事なものなの?」


 静かに微笑む。


「いったい何が書いてあるのかしら……」


 帳簿へ手を掛ける。


 ユリアは頁を開く。


 最初に目へ飛び込んできた文字。


『一月三十一日 ライヘンバッハ国王夫妻――』


「やめろ!!」


 アルベリヒは咄嗟に懐から護身用の短剣を抜いた。


 次の瞬間。


 一直線にユリアへ飛び込む。


 ユリアは目を見開いた。


 まさか。


 ここまでの行動へ出るとは思っていなかった。


 身体が動かない。


 短剣が首へ突き立てられる。


 熱いものが一気に流れ落ちた。


 視界が揺れる。


 膝から力が抜ける。


 帳簿が床へ落ちた。


 遠ざかっていく意識の中。


 アルベリヒの荒い息遣いだけが聞こえていた。


 次の瞬間。


 ユリアは激しく息を吸い込み、身体を起こした。


 寝台の上。


 窓の外は暗い。


 卓上暦へ視線を向ける。


 一月三十一日。


 ユリアは小さく苦笑した。


 ――見誤ったわね……。


 ――あいつに、あそこまでの覚悟があるとは思わなかった。


 ゆっくりと息を吐く。


 そして、静かに目を細めた。


 ――でも。


 ――手がかりの場所は分かった。


 ――次は、あの資料を持ち帰る。


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