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忘却曲線上の悪役令嬢――死に戻るたび、世界は私を忘れていく  作者: 直助
第一幕 祝福なき王女

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第二十三話 追想曲

 夜。


 ユリアは静かに部屋の扉を開いた。


 廊下に人の気配はない。


 壁に掛けられた燭台だけが、淡い光を揺らしている。


 ユリアは足音を殺しながら歩き始めた。


 ――確か、資料室は反対側の棟だったわね……。


 自室があるのは王宮の端。


 資料室は中央棟を挟んだ反対側にある。


 昼間でも遠く感じる距離だ。


 夜の静まり返った王宮では、その道のりがなおさら長く思えた。


 ユリアは周囲を警戒しながら歩を進める。


 長い廊下を抜け。


 中庭へ面した渡り廊下を渡る。


 そしてようやく、資料室のある棟へ辿り着いた。


 ――確か、この棟の奥だったはず……。


 その時だった。


 背後に微かな気配を感じる。


 振り返るより早く。


 肩へ手が置かれた。


「うわっ」


 思わず小さな声が漏れる。


 振り向くと、そこにはケーテンが立っていた。


 ケーテンも少し驚いたような表情を浮かべている。


 ユリアは胸を押さえ、小声で言った。


「びっくりしたじゃありませんか」


 ケーテンも声を潜める。


「驚かせるつもりはありませんでした」


「あなたのことが少し気になりまして……」


 ケーテンは言葉を選ぶように続ける。


「資料室まで」


「私がご案内いたします」


 ユリアは複雑そうな表情を浮かべる。


 だが。


 静かに頷いた。


 ケーテンに先導され、ユリアは資料室の奥へ進んでいく。


 歩きながら、ケーテンが振り返った。


「鍵の場所も知らずに、どうするおつもりだったのですか……」


 ユリアは思わず視線を逸らす。


 少しだけ気まずそうな表情を浮かべた。


 やがて。


 資料室の最奥へ辿り着く。


「こちらです」


 ケーテンは腰に下げた鍵束から一本を選び、扉を開けた。


 中へ入る。


 机の燭台へ火を灯すと、部屋がぼんやりと明るくなった。


 ケーテンは本棚の一角へ歩み寄る。


「確か……」


「この辺りだったはずです」


 数冊の資料へ目を通す。


 やがて一冊を取り出し、机の上へ置いた。


 ユリアはゆっくりと頁を開く。




《ライヘンバッハ前国王・王妃殺害事件 初動捜査記録》


 その文字を見た瞬間。


 ユリアの指先が止まる。


 ――殺害……。


 改めて突き付けられた現実だった。


 息を整え、頁を捲る。




【発見日時】


 一月三十一日 深夜。


【発見場所】


 王宮中央棟 大階段下。


【状況】


 ライヘンバッハ国王及び王妃が大量に出血した状態で倒れているのを確認。


【第一発見者】


 書記官 ティル。


 外交官 アルベリヒ。


 ユリアは目を見開いた。


 ――ティルと……アルベリヒ……。


 ――ここにも名前が……。


 さらに頁を進める。


【初動対応】


 第一発見者は現場確認後、フレイア・フォン・ヴォルクナーへ報告。


 その後、王宮衛兵へ通報。


 ユリアは思わず顔を上げた。


 ――どういうこと……?


 ――どうして王妃へ先に報告するの……?


 ――それに……。


 ――生きているかどうかも確かめなかったの……?


 再び資料へ目を落とす。


【現場到着】


 王宮衛兵到着。


 ライヘンバッハ国王及び王妃の死亡を確認。


 現場付近にて王女ユリア・フォン・ライヘンバッハを意識不明の状態で保護。


 ユリアの呼吸が止まる。


 ――私……。


 ――現場にいた……。


 脳裏に赤い床が浮かぶ。


 血。


 倒れる誰か。


 そして。


 自分も、その場にいた。



 ケーテンは目を見開いた。


 ――ユリア・フォン・ライヘンバッハ……。


 ――王女……。


 その名を見た瞬間。


 胸の奥がざわつく。


 どうして。


 今まで、この方のことを知らなかったのだろう。


 ケーテンは思わずユリアを見る。


「あなたは……」


 言い掛けた、その時だった。


 ユリアは次の頁を捲る。


「その後、どうなったの!?」


 ケーテンも慌てて資料へ視線を戻した。




【王女ユリア・フォン・ライヘンバッハ】


 目立った外傷なし。


 意識を失っていたものと判断。




【遺体所見】


 ライヘンバッハ国王及び王妃。


 胸部に刃物による刺創を確認。


 全身に複数の打撲痕あり。


 階段上で刺殺された後、転落した可能性が高い。



【現場検証】


 凶器発見に至らず。


 外部からの侵入痕なし。


 王宮内部の者による犯行と推定。




【捜査経過】


 関係者への聞き取りを開始。


 だが、その段階で審問院より捜査終了の通達。


 本件に関する捜査を終了する。



 ユリアは『捜査終了』という文字を見つめたまま動かなかった。


 小さく舌打ちをする。


 ――これ以上のことは書いていないのね……。


 静かに頁を閉じる。


 だが。


 収穫がなかったわけではない。


 ティル。


 アルベリヒ。


 第一発見者として記された二人。


 そして。


 フレイア・フォン・ヴォルクナー。


 第一発見者が、真っ先に報告した相手。


 さらに。


 自分もあの現場にいた。


 ――私は……。


 ――何を見たの……?


 赤い床。


 血。


 脳裏を掠める断片的な記憶。


 ユリアは目を閉じ、小さく息を吐いた。


 その時だった。


「そろそろ出ましょうか」


 ケーテンが静かに声を掛ける。


「誰かに見られても良くありません」


 ユリアは小さく頷いた。


「そうですね」


 ケーテンは資料を丁寧に本棚へ戻す。


 机の燭台の火を吹き消した。


 部屋は再び暗闇へ包まれる。


 二人は静かに資料室を後にした。



 長い廊下を歩く。


 やがて。


 ユリアの部屋がある別棟への渡り廊下が見えてくる。


 ケーテンはそこで足を止めた。


「では」


「私はこの辺りで失礼します」


 ユリアは軽く頭を下げる。


「付き合っていただいて、ありがとうございました」


 そう言うと、そのまま自室へ向かって歩き始めた。


 ケーテンはその後ろ姿を静かに見送る。


 ――ライヘンバッハ家の王女……。


 ――ユリア・フォン・ライヘンバッハ……。


 その名だけが胸に残っていた。


 一方。


 ユリアは自室へ続く長い廊下を歩いていた。


 その時だった。


 ふと。


 何か物音が聞こえた気がした。


 ユリアは足を止める。


 振り返る。


 薄暗い廊下。


 揺れる燭台の火。


 誰の姿もなかった。


 ――気のせい……?


 小さく首を振る。


 だが。


 胸騒ぎだけは消えなかった。


 ユリアはもう一度だけ後ろを振り返る。


 そして。


 静かに自室への廊下を歩き始めた。




 自室へ戻ったユリアは、静かに椅子へ腰を下ろした。


 目を閉じる。


 頭の中を整理するように、小さく息を吐く。


 ――お父様とお母様が殺された時。


 ――私は、その場にいた……。


 記憶を辿る。


 あの血の記憶。


 赤い床。


 一瞬、吐き気が込み上げる。


 それでも。


 ユリアは目を逸らさなかった。


 記憶の奥へ。


 さらに意識を沈めていく。


 倒れている人。


 口元から流れる血。


 床を染める赤。


 そして。


 階段の上。


 誰かが立っていた。


 人影。


 顔は見えない。


 だが。


 そこに、誰かがいた。


 ユリアは目を見開く。


 ――ちょっと待って……。


 呼吸が止まる。


 震える声が漏れた。


 ――私……。


 ――見ている……。


 ――お父様とお母様を殺した人物を……。


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