第二十二話 応答
二月四日。
ユリアは朝食を口に運びながら、昨夜のことを思い返していた。
――王妃が……。
――私の名前を覚えていた……。
パンを手にしたまま考える。
王妃と自分の接点など、ほとんどない。
それなのに。
まるで当たり前のように自分の名を呼んだ。
エアですら、前のようには接してくれないのに……。
ユリアは眉をひそめる。
――やっぱり何かある。
王妃は何かを知っている。
そんな気がしてならなかった。
そして。
昨夜、夜会で見た顔ぶれを思い出していく。
外務卿アルベリヒ。
王妃のすぐ傍にいた男。
――あいつは駄目ね。
王妃との距離が近すぎる。
何か知っていたとしても、素直に話すとは思えなかった。
次に浮かぶのは審問院長ブロッケス。
国家反逆事件を受理した人物。
だが。
――あの人も難しいわね……。
王家に逆らうようなことはできないはずだ。
少なくとも今の自分の話を信じてくれるとは思えない。
ユリアは小さく息を吐く。
そして。
一人の人物の名が頭に浮かんだ。
――内務卿ケーテン。
昨夜、一人で食事をしていた男。
王妃の輪には加わっていなかった。
一度会ってみるか……。
――あの人なら、何か知っているかもしれない。
ユリアはそう考えながら、朝食を口へ運んだ。
ユリアは王宮の廊下を歩いていた。
内務卿ケーテンの執務室へ向かっている。
相変わらず長い廊下だった。
歩いても歩いても目的地が近付かない気がする。
ユリアは小さくため息を吐いた。
――誰か部屋を変えてくれないかしら……。
王宮の端。
人の往来も少ない区画。
思い出すだけで腹が立つ。
やがて。
目的の扉が見えてきた。
内務卿ケーテン執務室。
ユリアは扉の前で足を止める。
そして軽くノックした。
「どうぞ」
中から声が返ってくる。
ユリアは扉を開いた。
部屋へ入る。
執務机の向こうではケーテンが書類を整理していた。
来客に気付くと顔を上げる。
そして。
訝しそうに眉をひそめた。
「あなたは……」
誰だ。
そう言いかけたようだった。
だが。
途中で言葉が止まる。
「ああ……」
「昨日の夜会にいた方でしたか」
ユリアは軽く一礼した。
「少し、お話よろしいでしょうか」
ケーテンは書類を机へ置く。
何の用だ。
そんな表情だった。
ユリアは机へ歩み寄る。
その時だった。
ケーテンの目がわずかに見開かれる。
視線がユリアの瞳へ向けられていた。
蒼銀色の瞳。
ライヘンバッハ王家に受け継がれる色。
「その瞳は……」
ケーテンは目を細める。
「ライヘンバッハ家の血筋か……」
そして。
不思議そうな表情を浮かべた。
「失礼」
「お名前を伺っても?」
ユリアは首を振る。
「細かいことはいいわ」
「聞きたいことがあります」
ケーテンはしばらくユリアを見つめていた。
やがて静かに頷いた。
「……分かりました」
「まずは話を聞きましょう」
ケーテンは席を立った。
棚から茶器を取り出す。
手慣れた動きで二人分のお茶を用意すると、そのうちの一つをユリアの前へ置いた。
「どうぞ」
そして自らも席に着く。
カップを手に取りながら、静かに問い掛けた。
「それで……」
「聞きたいことというのは?」
ユリアはお茶を一口飲む。
そして。
真っ直ぐケーテンを見た。
「ライヘンバッハ前国王と王妃」
「その殺害についてです」
次の瞬間だった。
ケーテンが勢いよく立ち上がる。
「なっ――」
思わず声が漏れる。
「どうしてそれを……」
だが。
すぐに口を閉ざした。
窓の外へ視線を向ける。
扉を見る。
周囲を確認するように目を走らせる。
そして再び腰を下ろした。
今度は声を落とす。
「そのことは……」
「この王宮でも、知っている者はわずかです」
「どうしてあなたが知っているのですか」
ユリアは拳を握った。
――やっぱり……。
――お父様とお母様は殺されている……。
「王宮の公文書書庫で見ました」
「ですが、詳しいことは残っていませんでした」
ケーテンは俯く。
「私も詳しくは知りません」
「調査が早々に打ち切られたからです」
ユリアは身を乗り出した。
「犯人は!?」
「目撃者はいなかったのですか!?」
「何かわかることは!?」
ケーテンは片手を上げる。
「落ち着いてください」
その声にユリアは口を閉ざした。
「当時、私は捜査を指示しました」
「ですが」
「途中で捜査終了の通達が下りました」
ケーテンは苦い表情を浮かべる。
「審問院長ブロッケスの名で出されたものです」
「その時点で調査は打ち切られました」
ユリアは唇を噛む。
ケーテンは続けた。
「ただし」
「そこまでに集められた捜査資料は残っています」
ユリアが顔を上げる。
「どこに……?」
「公文書書庫とは別の資料室です」
ケーテンは静かに答えた。
――別の資料室……。
ユリアは小さく目を伏せた。
きっと。
そこに何かが残っている。
「ありがとうございます」
静かに礼を告げる。
そして立ち上がった。
ケーテンへ軽く会釈をする。
そのまま扉へ向かった。
「待ちなさい」
背後から声が掛かる。
ユリアは足を止めた。
振り返る。
ケーテンは何か言い掛ける。
だが。
結局言葉は続かなかった。
「……いや」
「何でもありません」
ユリアは怪訝そうに眉をひそめる。
だが。
それ以上は聞かなかった。
静かに扉を開く。
そして執務室を後にした。
残されたケーテンは、閉じられた扉をしばらく見つめていた。
蒼銀色の瞳。
ライヘンバッハ家の血。
「……いったい誰なのだ」
小さな呟きが部屋へ消えた。
ユリアは足早に廊下を進む。
頭の中にあるのは一つだけだった。
――資料室。
今夜。
必ず確かめる。




