第二十話 試奏
ユリアの自室。
机を挟み。
二人は向かい合って座っていた。
エルザは落ち着かない様子で視線を彷徨わせている。
ユリアと目を合わせようとしない。
部屋には妙な沈黙が流れていた。
先に口を開いたのはユリアだった。
「ねえ」
エルザの肩が小さく震える。
「あなたは私のこと」
「覚えてるってことよね……?」
エルザは一瞬だけユリアを見る。
そして。
不思議そうに首を傾げた。
「覚えている……?」
エルザは困ったように首を傾げた。
その反応にユリアは眉をひそめる。
「じゃあ聞くわ」
「どうして私の部屋の前に立っていたの?」
エルザは目を見開く。
「あの……」
「えっと……」
言葉が続かない。
視線が泳ぐ。
膝の上で握った手にも力が入っていた。
ユリアはそんな様子を見つめる。
そして。
大きく息を吐いた。
「まあ」
「いきなり聞かれても困るか」
少しだけ肩の力を抜く。
机の上のポットへ手を伸ばした。
中に残っていたお茶をカップへ注ぐ。
すっかり冷めてしまっている。
「冷めちゃってるけど……」
そう言いながら。
エルザの前へカップを置いた。
続いて自分の分も用意する。
エルザは目を瞬かせた。
まるでそんな対応を予想していなかったかのようだった。
ユリアは小さく笑う。
――少なくとも。
――私を見ていた。
何度か前の成人の儀。
部屋の前まで来ていたこと。
廊下で振り返ったこと。
書庫の前で見せた視線。
様々な記憶が脳裏を過る。
「まあ」
「エアの言っていた通りね」
「思っていたほど悪いやつじゃなさそう」
エルザはきょとんとした顔をした。
そして。
差し出されたカップへ視線を落とす。
恐る恐る手を伸ばした。
冷めたお茶を一口飲む。
それでも。
二人の間に流れる緊張だけは、まだ消えてはいなかった。
しばらく沈黙が続いた。
冷めたお茶から湯気はもう立っていない。
エルザはカップを両手で包み込むように持ったまま俯いていた。
やがて。
意を決したように口を開く。
「お母様が……」
小さな声だった。
「おかしいんです」
ユリアはカップへ向けていた視線を上げる。
「ずっと……」
エルザは言葉を探すように唇を震わせた。
ユリアは黙って続きを待つ。
「どういう……こと……?」
エルザは俯いたまま話し続ける。
「ユリア様には近付くなって……」
「何度も言われていました」
ユリアは眉をひそめる。
「それに……」
エルザは少し迷うように言葉を止めた。
「昔」
「ライヘンバッハ家の書庫に入っていくのを見たことがあって……」
ユリアの表情がわずかに動く。
「何をしていたのかは分かりません」
「でも」
「見つからないようにしているみたいでした」
エルザはそこでようやく顔を上げる。
不安そうな瞳だった。
「それだけじゃないんです」
「最近も……」
「何だか変なんです」
言葉を選びながら続ける。
「うまく言えないんですけど……」
「ユリア様の話になると」
「すごく怖い顔をして……」
エルザは視線を落とした。
「私……」
「何だか怖くて……」
部屋に静寂が落ちる。
ユリアはしばらく何も言わなかった。
そして。
小さく息を吐く。
フッと笑みが零れた。
「ありがとう」
エルザが顔を上げる。
「話してくれて」
その言葉に。
エルザは少しだけ安心したように肩の力を抜いた。
しばらくして。
エルザは部屋を後にした。
扉が閉まる。
再び静寂だけが残った。
ユリアは椅子へ深く腰を下ろす。
机の上には空になったカップ。
その向こうには、先ほどまでエルザが座っていた席。
ユリアは視線を落とした。
――王妃……。
エルザの言葉を思い返す。
ライヘンバッハ家の書庫。
近付くなと言われていたこと。
自分の話になると変わる表情。
どれも決定的な証拠ではない。
だが。
無関係とも思えなかった。
ユリアは小さく息を吐く。
――今は手掛かりがなさすぎる。
――とにかく。
――王妃のことをもっと知らないと……。
そこまで考えたところで。
ふと、一つの記憶が脳裏を過った。
――そういえば……。
クルトが伝えていた予定。
二月三日。
議会関係者との夜会。
ユリアは顔を上げる。
――王妃も出席するはず。
しばらく考える。
そして。
口元に小さな笑みが浮かんだ。
――少しくらい紛れ込んでも。
――誰も気にしないでしょう。
ユリアは窓の外へ視線を向けた。
いつの間にか空は夕暮れ色へ変わっていた。
沈みかけた陽が王宮の屋根を赤く染めている。




