第十九話 行進曲
――殺された……。
ユリアは卓上暦を見つめたまま動けなかった。
一月三十一日。
変わらない日付。
だが。
胸の奥には、背中を貫かれた感覚が残っている。
――誰かが……。
――私を殺した……。
震える息が漏れる。
国家反逆罪。
処刑。
そして。
昨夜の死。
――私の処刑も……。
――同じ誰かが関わっているの……?
頭の中が混乱する。
次々と情報が押し寄せてきた。
部屋割り表。
そこに自分の名前はなかった。
書庫。
ライヘンバッハ家の記録から、自分に関する記述だけが切り取られていた。
そして。
父王と母后の死。
事故死ではなかった。
誰かに殺された可能性がある。
ユリアは額へ手を当てる。
整理が追い付かない。
考えようとするたびに、新しい疑問が浮かんでくる。
――私を消そうとしている……?
いや……。
それだけじゃない気がする。
そこまで考えたところで。
ユリアは目を閉じた。
切り取られた記録。
存在しないことになっていた部屋。
他殺と記された報告書。
そして。
背中に走った熱。
全てが頭の中で渦を巻く。
気付けば。
窓の外は明るくなっていた。
いつの間にか朝日が高く昇っている。
ユリアはゆっくりと立ち上がった。
卓上暦へ手を伸ばす。
一枚。
静かに捲る。
二月一日。
その日付を見つめる。
もう朝食の時間は過ぎていた。
いつもなら。
とっくにノックの音が聞こえている頃だった。
だが。
今日は何もない。
ユリアは立ち上がる。
扉を開いた。
廊下を見回す。
誰もいない。
朝食も置かれていなかった。
静かだった。
ユリアはゆっくりと扉を閉める。
そして再び椅子へ腰を下ろした。
考えが巡る。
――前の時から。
――クルトは来なくなった。
そして。
今回はリゼも来なかった。
ユリアは小さく俯く。
当然なのかもしれない。
記録の中に。
自分という存在はなかった。
部屋割り表にも名前はない。
ならば。
誰も自分の世話などしない。
そういうことなのだろう。
その時。
不意に涙が零れた。
ぽたり。
机へ落ちる。
だが。
それは自分が一人になったことへの涙ではなかった。
リゼ。
クルト。
エア。
みんな。
ずっと自分を覚えていてくれた。
記録の中には存在しないはずの自分を。
当たり前のように。
王女として接してくれていた。
その事実が胸に刺さる。
ユリアは唇を噛んだ。
涙が止まらない。
しばらくして。
腕で目元を拭う。
そして大きく息を吐いた。
――もう。
――下を向くのはやめなきゃ。
まだ何も分からない。
誰が敵なのかも。
何が起きているのかも。
それでも。
立ち止まっているわけにはいかなかった。
――どうにかしなきゃ。
ユリアは静かに顔を上げた。
そして、ベルを鳴らした。
しばらくして。
扉を叩く音が響く。
「どうぞ」
返事をすると。
ゆっくりと扉が開いた。
入ってきたのは見慣れない侍女だった。
ユリアは一瞬だけ目を瞬かせる。
リゼではない。
侍女はどこか訝しげな表情で頭を下げた。
「どうなさいましたか」
ユリアは静かに口を開く。
「朝食をお願いできるかしら」
侍女は少し慌てたように姿勢を正した。
「かしこまりました」
「すぐにお持ちいたします」
そう言って立ち去ろうとする。
だが。
ユリアはその背中を呼び止めた。
「ごめんなさい」
侍女が振り返る。
「トマトの蜜煮は結構よ」
侍女は小さく頷いた。
「かしこまりました」
そう言うと、足早に部屋を後にした。
それからしばらくして。
再び扉を叩く音が響く。
「失礼いたします」
聞き慣れた声だった。
扉が開く。
朝食を乗せたワゴンを押しながら、リゼが部屋へ入ってきた。
ユリアは思わずその顔を見つめる。
見慣れた顔。
いつもと変わらない表情。
それだけなのに。
不思議と胸の力が抜けた。
リゼは何も気付かないまま、朝食を並べていく。
ユリアはその様子を眺めていた。
そして。
自然と口を開く。
「いつも、ありがとう」
リゼの手が一瞬止まる。
不思議そうにユリアを見る。
だが。
すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「とんでもございません」
それだけだった。
だが。
ユリアには、その言葉が妙に温かく感じられた。
やがて準備を終えたリゼは一礼する。
「それでは失礼いたします」
静かに部屋を後にした。
扉が閉まる。
ユリアは一人、朝食へ視線を落とした。
朝食を口に運びながら考える。
――とにかく。
――今は手掛かりがなさすぎる。
誰が記録を消したのか。
誰が父王と母后を殺したのか。
誰が自分を殺したのか。
何一つ分からない。
ユリアは小さく息を吐く。
そして。
一人の人物を思い浮かべた。
――エルザ……。
何度か前の二月一日。
あいつは私の部屋の前まで来ていた。
偶然とは思えない。
書庫の前でも。
廊下でも。
あいつは私を見ていた。
――あいつが私を覚えているかは分からない。
――でも。
話を聞く価値はある。
ユリアは窓の外へ視線を向けた。
来るかどうかは分からない。
だが。
もし来るなら。
今度は逃がさない。
時間が過ぎていく。
ユリアは窓際に立ちながら、何度も扉へ視線を向けていた。
落ち着かない。
胸の奥がざわつく。
――確か……。
――前にあいつが来たのは。
エアがいつも来てくれていた時間だった。
ちょうど今くらいの……。
ユリアは扉を見つめる。
そして。
気付けば歩き出していた。
扉へ近付く。
ノブへ手を掛ける。
ゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは――。
エルザだった。
ユリアは目を見開く。
――エルザ……!?
エルザもまた驚いたように目を見開いている。
だが。
ユリアは躊躇しなかった。
反射的に腕を掴む。
「ちょっ――」
エルザが声を上げる。
だが構わない。
そのまま部屋の中へ引き込んだ。
そして。
勢いよく扉を閉める。
重い音が部屋へ響いた。




