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忘却曲線上の悪役令嬢――死に戻るたび、世界は私を忘れていく  作者: 直助
第一幕 祝福なき王女

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第十六話 主題

 ――ユリア様。


 その呼び方に。


 ユリアの身体は固まった。


 胸の奥が冷たくなる。


 だが。


 ユリアはすぐに視線を逸らした。


 涙を拭う。


「ごめんなさい」


「少し嫌なことがあって……」


「取り乱してしまいました」


 エアは優しく微笑んだ。


「大丈夫ですよ」


「お茶を淹れますね」


 そう言うと、慣れた手つきで茶器の準備を始める。


 湯を注ぐ音。


 立ち上る湯気。


 穏やかな時間。


 けれど。


 ユリアには、それがどこか遠く感じられた。


 いつもなら。


 他愛もない話をしていた。


 王宮への愚痴。


 退屈な行事の話。


 どうでもいい噂話。


 エアはいつも笑って聞いてくれていた。


 だが。


 今は違う。


 目の前にいるのはエアのはずなのに。


 知らない誰かと向かい合っているような気分だった。


 やがて。


 お茶を淹れ終えたエアは一礼する。


「それでは失礼いたします」


 そう言い残し、部屋を後にした。


 扉が閉まる。


 静寂だけが残った。


 ユリアはカップを手に取る。


 少し冷め始めたお茶を口に運んだ。


 そして。


 自然と涙が零れ落ちる。


 エアの顔を見ることができた。


 生きていた。


 それは確かな安堵だった。


 だが同時に。


 まるで他人になってしまったような喪失感が胸を締め付ける。


 様々な感情が入り混じる。


 苦しかった。


 ――私のことを忘れてしまっている。


 その言葉が脳裏を過った瞬間。


 ユリアは目を見開く。


 リゼも……?


 クルトも……?


 あの時のことを忘れてしまっている?


 違う。


 それだけではない。


 もっと根本的な何かが失われている。


 ユリアは震える指でカップを握り締める。


 ――死に戻る度に。


 ――おかしくなっている……。


 胸の奥が冷える。


 嫌な予感がした。


 ――どんどん……。


 ――忘れていっている……。



 ユリアは気持ちを落ち着かせるように、お茶を口へ運んだ。


 温かい液体が喉を通る。


 それでも胸の奥のざわつきは消えない。


 ユリアは静かにカップを机へ置いた。


 そして。


 一つずつ考え始める。


 ――リゼは……。


 元日の朝。


 私が叱責したことを覚えていなかった。


 トマトの蜜煮を二度と持ってこないようにと。


 リゼ自身も言っていた。


 好き嫌いに関することは覚えていると。


 実際にそうだった。


 リゼが忘れるはずがない。


 普通なら……。


 ユリアは唇を噛む。


 ――クルトも……。


 元日。


 一月の予定を伝えに部屋へ来たことを覚えていなかった。


 私は祝賀会になど参加しない。


 だから。


 あの時間、クルトは私の部屋へ来ていたはずだった。


 それなのに。


 クルトは何も覚えていなかった。

 

 それに。


 今日。


 クルトは部屋に来ていない。


 予定を伝えにすら来なかった。


 それだけではない。


 成人の儀の朝。


 私が出席しないのではないかと心配して。


 クルトは部屋へ来ていた。


 それなのに。


 前に戻った時は来なかった。



 そこで。


 ユリアの思考が止まる。


 違和感。


 今まで気付かなかった違和感。


 ――待って……。


 成人の儀。


 前に戻った時には、それがなかった。


 本来あるはずの行事が。


 最初から存在しなかったかのように。


 ユリアは机へ手をつく。


 胸の奥が冷たくなっていく。


 おかしい。


 あまりにも。


 おかしなことが多すぎる……。


 そして。


 ユリアはもう一度、最初から考え始める。


 リゼは元日の出来事を忘れていた。


 クルトは私のことも忘れていた。


 成人の儀は執り行われなくなっていた。


 ――マテウスも……。


 あの日の言葉を思い出す。


 ライヘンバッハ家の血を引く者がいたとは。


 そう言っていた


 もし。


 マテウスが嘘を言っていないのなら。


 彼が王宮に仕えていた頃。


 私は既に生まれている。


 それなのに。


 マテウスは私の存在を知らなかった。


 そして。


 エアも……。


 私との関係を忘れてしまっている。


 名前で呼んでくれていた。


 私を心配してくれていた。


 なのに。


 今は違う。


 まるで他人を見るように。


 「ユリア様」と呼んだ。


 ユリアは机の上で握った手に力を込める。


 違う。


 そんなはずがない。


 そんなこと、あるはずがない。


 けれど。


 積み重なった違和感は、その考えを許してくれなかった。


 死に戻るたびに。


 私は――。


 私という存在が忘れられていっている。


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