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忘却曲線上の悪役令嬢――死に戻るたび、世界は私を忘れていく  作者: 直助
第一幕 祝福なき王女

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第十五話 狂想曲

 ――ぐはっ。


 ユリアは息を呑むようにして目を開けた。


 暗い。


 荒い呼吸。


 胸の奥が焼けるように熱い。


 身体を貫かれた感覚が、まだ残っていた。


 震える手を胸へ当てる。


 鼓動だけが、激しく鳴っている。


 ユリアはゆっくりと顔を上げた。


 窓際の卓上暦。


 一月三十一日。


 その日付を見た瞬間。


 全てを思い出す。


 処刑台。


 固定されたエア。


 高く持ち上げられた刃。


 そして――。


 ユリアは目を閉じた。


 考えたくなかった。


 思い出したくなかった。


 だが。


 止まらない。


 血。


 血。


 血。


 脳裏へ焼き付いた光景が何度も蘇る。


 エアの血。


 処刑台を赤く染める血。


 その瞬間。


 知らない光景が脳裏を掠める。


 赤い床。


 倒れる誰か。


 血。


 ――今のは……?


 だが思考は続かなかった。


 エアの姿が全てを塗り潰していく。


 ユリアの肩が震えた。


 ――ごめんなさい。


 ――エア。


 掠れた声が漏れる。


 ――私が巻き込んだ。


 ――私が逃げたから。


 ――私が生きているから。


 涙が溢れる。


 止まらない。


 ぽたぽたとシーツを濡らしていく。


「どうして……」


「どうしてなの……」


 ユリアは拳を握り締めた。


 そして。


 何度も。


 何度も寝台を叩いた。


 そして。


 ユリアはゆっくりと寝台から立ち上がった。


 足元がおぼつかない。


 涙で滲む視界のまま、机へ歩み寄る。


 引き出しを開く。


 中から小さな刃物を取り出した。


 掌へ伝わる冷たい感触。


 妙に現実感があった。


 ユリアは刃先を見つめる。


 脳裏に浮かぶのは、エアの顔だった。


 優しく微笑む顔。


 困ったように笑う顔。


 そして。


 処刑台の上の顔。


 ユリアは唇を震わせる。


「ごめんなさい……」


 掠れた声だった。


 何に対する謝罪なのか。


 自分でも分からない。


 ただ。


 もう嫌だった。


 何度も繰り返すことも。


 誰かを巻き込むことも。


 何も変えられない自分も。


 ユリアはゆっくりと目を閉じた。


 血が流れる感触。


 力が抜けていく。


 倒れる衝撃。


 そこで――。


 意識が途切れる。




 ――ぐはっ。


 ユリアは息を呑むようにして目を開けた。


 荒い呼吸。


 激しく脈打つ心臓。


 震える手で寝台を掴む。


 嫌な予感がした。


 恐る恐る視線を向ける。


 窓際の卓上暦。


 一月三十一日。


 変わらない。


 何も変わらない。


 ユリアは呆然とその日付を見つめた。


 そして。


 小さく呟く。


「もう……」


「どうやっても……」


「逃げることができない……」


窓の外が少しずつ明るくなっていく。


 ユリアは窓際へ歩み寄った。


 卓上暦へ手を伸ばす。


 一枚。


 静かに捲る。


 二月一日。


 その日付を、じっと見つめた。


 変わらない。


 また、

 始まる。


 ユリアは小さく目を伏せた。


 その時だった。


 扉を叩く音が響く。


「失礼いたします」


 リゼが朝食を運んでくる。


 慣れた手つきで料理を並べていった。


 ユリアは黙ったまま、その様子を見つめる。


 やがて。


 視線が一つの皿へ止まった。


 トマトの蜜煮。


 甘ったるい香りが鼻をつく。


 嫌な記憶が蘇る。


 本来なら手を付けたくなかった。


 だが。


 ユリアは小さく息を吐く。


 そして。


 一口だけ口へ運んだ。


 次の瞬間。


「っ――」


 強い吐き気が込み上げる。


 ユリアは慌てて口元を押さえた。


 飲み込むことができない。


 そのまま吐き出す。


 呼吸が乱れる。


 しばらくして。


 卓上に置かれていたナプキンで口元を拭った。


 そして。


 ふと鏡を見る。


 口元には、まだ赤い果汁が残っていた。


 その瞬間だった。


 知らない光景が脳裏を掠める。


 赤い床。


 倒れる誰か。


 口元から流れる血。


 一瞬だった。


 だが。


 妙にはっきりと見えた。


 ユリアは目を見開く。


 ――何……?


 ――この記憶……。


 鏡の中の自分を見つめる。


 けれど。


 答えはどこにもなかった。



 リゼは朝食を片付けながら、ふと残された皿へ目を向けた。


 そこには、ほとんど手の付けられていないトマトの蜜煮が残っている。


「トマトの蜜煮は、お口に合いませんでしたか?」


 ユリアは小さく首を振った。


「そうね……」


「苦手だわ」


 リゼは頭を下げる。


「承知しました」


「今後はお出ししないようにいたします」


 そう言うと、手際よく食器を片付ける。


 そして静かに部屋を後にした。



 部屋には静寂が戻る。


 窓の外では春の陽光が差し込んでいた。


 時間だけが過ぎていく。


 ユリアは窓際に座り、ぼんやりと外を眺めていた。


 もうすぐ。


 エアが来る時間だった。


 やがて。


 扉を叩く音が響く。


 ユリアの肩が小さく震えた。


「失礼します」


 聞き慣れた声。


 扉が開く。


 エアだった。


 その姿を見た瞬間。


 ユリアは立ち上がる。


 そして。


 駆け寄るように抱きついた。


「えっ……」


 エアが戸惑う。


 だが。


 ユリアは離れなかった。


 あの処刑台。


 落ちた刃。


 赤く染まった光景。


 全てが脳裏を過る。


 ――でも。


 ――ここにいる。


 エアがいる。


 生きている。


 その事実だけで胸が苦しくなった。


 自然と涙が溢れる。


「どうされました……?」


「ユリア様……」


 その瞬間。


 ユリアは目を見開いた。


 ――ユリア様……?


 胸の奥がざわつく。


 エアは二人きりの時。


 いつも名前で呼んでいた。


 ――ユリア。


 そう呼んでくれていたはずだった。


 なのに。


 今のエアは。


 まるで主従の距離を隔てるように。


「ユリア様」と呼んだ。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


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