08 聖母の複製
少しセクシーなシーンがあります。
「……うん。悪魔の間でも、一時噂になっていたことがあるよ。
『グノーシス調査機関』が聖母マリアのクローンを造って、処女受胎を再現しようとしているって」
リリムの、初見ならあまりに現実感のない話にマリーは真顔でうなずいた。
「はい。その噂通りです」
──グノーシス調査機関。
バチカンの非公式組織で、神秘に関する調査を行い、場合によっては悪魔祓いまで行う世界規模の組織だ。悪魔の天敵とも言える存在だが、機関も躍起になって悪魔狩りをしているわけではないらしい。目立つ行動さえしなければ素知らぬ顔をして会話することもある。古い悪魔はとくに、互いに顔見知りの者もいるだろう。
もっとも、淫魔の中でも若く、ファウヌスの忠告もあって大人しく小市民として悠々自適に暮らしてきたリリムである。機関と直接関わるようなことはこれまでなかった。
「機関は約20年前に、聖母マリアの聖遺物から細胞を取り出すことに成功しました。それを使って、聖母マリアのクローンをつくり、処女受胎を再現して神の子を現代に生み出す『マリエッタ計画』が検討されたんです。
当時から倫理観に問題があるということで保留にされていたはずなんですが、先走ったひとたちがついつくってしまったのが、おねえさまと私、というわけです。ここは機関が運営する、マリエッタおねえさまと私のためだけの孤児院なんですよ」
マリーはさらさらと語るが、リリムは自分の顔がずいぶん険しくなっているのを感じていた。噂やファウヌスからの話で想像はしていたけれど、実際に具体的な話をされると本当に気分が悪い。
「……じゃあ、マリーは……」
「はい。マリアさまのクローンです。おねえさまとは、実際には双子のようなものでしょう。ほぼ同じ遺伝子を使っているらしいですから」
マリーも聞いた話をしゃべっているだけなのだろう。だからこんなに淡々としているのかもしれない。よく理解できていないのかも。そうであってほしい。
「私たちは完全培養体なので、両親はいません。それで、機関はイザベラに私たちを預けました。イザベラは機関の中で、現場調査を預かる監督責任者なんですよ。おねえさまは15歳のころから調査員をしていたベテラン悪魔祓いです!」
「うん……そっか……」
マリーの表情は明るい。なんの葛藤もなさそうに見えるがリリムは自分の方が暗い気持ちになった。
ただ、神の子を孕むためだけに生まれた命──。
人権丸無視にも程がある。悪魔より倫理観のない宗教家ってどうなんだ?
「……ふふ。リリム、怖い顔してますね?」
「……こんな美少年に怖いってなに?」
「リリムはお人好しの悪魔なんですね。私に同情してます」
「当たり前でしょ。……他人に勝手に自分の使命とか将来とか決められて、それでいいわけ? ……そりゃ、マリーはまだ子どもだから、どうしようもないのはわかるけど……」
「もちろん、ふつーに嫌に決まってます」
リリムは、ほっと息を吐き出した。もし自分の境遇を受け入れている子だったら、どう声をかければいいのか悩んでいたと思う。
「私に両親はいませんし、機関の意向で学校にも通えません。でも、イザベラとおねえさまは素敵な家族ですし、修道院や町のひとにも良くしてもらっています。今の生活には満足しているんですよ。
だから、別に神さまとかどーでもいいです。イザベラやおねえさまはちゃんと神さまを信仰しているみたいですけれど、私は違います。だって、もし神さまがいるなら、私たちはきっと生まれていないはずですから」
そうだ。もし人間が思うような全能の神がいるならば、こんな、ひとの命を弄ぶような禁忌が罷り通るわけがないのだ。神のクソ野郎が!
「だから、私は私の人生を生きたいです。機関の言いなりになって子どもとか生みたくないです。
……私、悪い子だと思います?」
「全然! 全然そんなことないよ!」
「本当ですか? それとも、悪魔の誘惑ですか?」
「もし僕の言葉が誘惑だったら、今ごろ体が焼け焦げてるよ」
宣誓はすでに成されている。リリムが誘惑する意図で言ったのなら、誓い通りにリリムの魔力が自らの体を焼くだろう。
「マリーは悪い子じゃないよ。良い子だ」
心の底からそう思った。本心だった。だってこんなに酷い境遇なのに、周囲の善意を信頼している。
マリーはリリムの言葉に一度びっくりした顔をして、それから胸を張った。
「……んふふー! そうでしょ? だからいつか修道院を出ていくことになるとは思うんですが、それにはちゃんと勉強した方がいいって、イザベラには言われてるんです」
「イザベラさまは、マリーの気持ちに賛成してくれてるの?」
「もちろん! 私が修道院を出たくなったら、いつでも出ていきなさいって言ってくれてます。聖女のクローンということで、悪魔に狙われる可能性だってあるので悪魔祓いの経験は積んだほうがいいと言われていますけれど、必ず機関に残るようにも言われていません。
……イザベラがおねえさまの結婚にも強く反対しなかったのは、私たちを自由にしたかったんだと思います」
「……そうか。やっぱりイザベラさまは、素敵な方だね」
「はい! だから私、将来のことはそんなに思い悩んでません。リリムは私が修道院を出るまでと出た後、役に立つことを教えてくださいね」
そういうことか。だからイザベラは、悪魔であろうと正確な知識をマリーに教えたかったのだ。彼女の身を守るために。
……いや。それでもまだ悪魔を迎えるリスクには不足するような気がする。イザベラの中で、どこで帳尻が合うのだろう?
ただ、リリムの側にはあからさまな報酬がある。精気だ。
「もちろん。マリーの役に立つように頑張るよ。それが精気をもらう条件だからね」
「……リリム、本当はイザベラの精気が良かったんですよね? 私じゃ嫌だったんじゃないですか?」
ショコラの箱を大事に抱えながら、マリーが少し申し訳なさそうに言った。自分はこんなにいいモノをもらえたのに、という顔をしている。現金な子だな。子どもらしくて大変よろしい。
「マリーのことが嫌とかはないよ。ただ、僕が子どもから精気を取る趣味がないってだけ」
「おいしくないってことですか?」
「うーん、気持ちの問題っていうか……マリーは卵料理は好き?」
「はい!」
「普段僕らが食べてる卵は無精卵だけど、その目玉焼きが温めたら孵化する有精卵でつくったんだよって言われたら、どう思う?」
「えっ……ちょっとかわいそうな気持ちになって、抵抗ありますね……」
「うん。僕にとってはマリーから精気をもらうのはそんな感じ」
「……やめた方がいいんじゃ……」
「でも、それが何日も食べてなくて腹ペコの状態で出された目玉焼きだったとしたら?」
「うぅ……しっかりお祈りしておいしくいただきます……」
「そういうこと」
淫魔にとって、精気は性的なエネルギーが一番だ。そんなもの間違っても子どもからほしいなんて思わない。リリムは汗であっても抵抗はあるが、今食べるものがそれしかないなら、ありがたくいただくほかはない。
「リリム、そんなにお腹空いてるんですか?」
「……うん。もう3カ月くらいちゃんとした『食事』はしてない」
「3カ月?!」
マリーは悲鳴みたいな声を上げて、慌てた様子でリリムの肩をつかんだ。
「いけません! ごはんそんなに食べてなかったら本当に死んじゃいます! 汗とか血でいいんでしたっけ? 早く食べちゃってください! 精気って、どうやって吸うんですか?」
「ええ? 急だなあ。肌を吸うか、舐めるかすればいいけど……」
マリーは答えを聞くや否や、ブラウスのボタンを上から二個目まで外す。びっくりして、慌ててマリーの開いた首元を抑えた。
「こらマリー! 男の子の前でそんなことしたらダメ!」
「でも首とかの方が血が取りやすくないですか?」
「吸血鬼伝説と混じってるよ! マリーみたいな子どもから血なんかもらわないってば。汗でいいよ!」
「……汗なんて舐めて、ばっちくないですか……?」
「僕たち淫魔にとってはそれでいいんだよ」
「そうなんですか。舐めるのはどこでもいいんですか?」
「頭、顔、首、手のひらならどこがいい?」
「うーんと、頭……?」
「了解。じゃ、こっち向いて座って」
「はい」
ベッドの上でお互い向き合う。マリーの大きな夜の瞳が、これから起こる未知の出来事にわずかに警戒の色を見せる。ただ、警戒だけでなく好奇心も混じっているのか、不快な様子は見られなかった。
リリムはマリーの様子を確認して、ベッドに乗って膝立ちになる。マリーの黒くかがやく髪とまるい頭を眺めた。
わずかにマリーが上を向いてリリムを見上げてくる。
「私はなにをすればいいですか?」
「そのままでいいよ」
リリムはそっとマリーの髪をなでて、白い額に口付けた。
前髪の生え際、うっすらと汗のにじむ部分をちろりと舌先で舐めあげる。
──甘い。
なんだ、これ?
たしかに、数百年ぶりの処女の体液だ。リリムの趣向として処女と巡り合うことはなかなかない。それでも、幾度か口にしたこともあったはずだが──
こんなに、うまかったっけ。
前の婦人が病に倒れてから、約3カ月。その間は食事からの精気しか得ていなかった。ファウヌスと違って積極的に美食を求めていたわけでもないから、かなりエネルギー不足に陥っていたらしい。
猛烈な空腹感に襲われた。
思わず、額だけでなく、頬にも口付けて、ついに開いた首筋にも舌を這わせる。マリーの体が硬直したのに、止めようという気さえ起こらなかった。
「え、ちょ、ちょっと?! なんですか、急にがっついて!」
「ん、ぅ、ちゅ、ちゅっ……」
戸惑うマリーに応えることもないまま、首筋を甘噛みして、舌を這わせる。思わず力が入ってしまって、マリーをベッドの上に押し倒してしまった。白いシーツにマリーのつややかな黒髪が広がる。間近で見るマリーは真っ赤になって、うるんだ瞳でリリムを見上げていた。
──かわいいなぁ。
滑らかな肌が薔薇色に染まって、夜の瞳が涙の膜で星空のように見える。花のような香りが汗とともに漂ってきて、本当に妖精なんじゃないかと思った。
「り、リリム……ちょ、ちょっと待って……!」
マリーが小さな手で肩を押し返そうとしている。手のひらが震えていて、やっぱりかわいい。
こんなの、待てないよ。
だって、ごちそうが目の前に落ちてる。
ぺろりと首筋を舐め上げると、それだけで脳の奥までじんわりと染み込むような甘さが感じられた。
こんな量じゃなくて、もっと、もっとほしい。
「ねえ……汗だけじゃなくて、ほかも食べていい? 僕、もう……」
そう言って、マリーの唇に自分の唇を近づける。少女の浅い呼吸が感じられて、甘いお菓子みたいに吸い寄せられた。この花びらみたいな唇に舌を入れれば、蜜みたいに唾液を吸い上げることができるだろう。
それが、欲しい。早く。
今にも唇が触れそうな瞬間。しかし、まだ成長しきっていない手のひらでぐいと頬を押された。
生理的欲求に飛んでいた理性が、うっすらとマリーの様子を認識する。
「……ッや、やだぁ……ッ!」
マリーの瞳からは、大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。
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