68 運が傾く
リリムは自分の脚に『強化』の魔術を使う。走り出した直後、リリムのいた場所に聖水が打たれた。ドローンの駆動熱で熱されているのか、聖水はすぐに蒸発する。
それを見届ける隙もなく、次弾が絶え間なく射出された。ただの水とは言え、すごい圧力で射出されているらしく、着弾する度に床や壁が削れていく。聖水では体が焼けて溶けるが、あの威力の水鉄砲は肉体も貫通するかもしれない。なんてものをドローンに組み込んでいるんだ。
とにかく止まらないようにしないと、ドローンの聖水鉄砲の的になる。
「淫魔リリム。そんな風に走り回っていて大丈夫? 呼吸をするほど聖水が貴方の体内を灼くわよ」
イワサキの声がモニタールームの中央から響いた。その声には、どこか高揚が感じられる。
うるさいな。そんなコトわかってるよ。
思わず舌打ちしたくなる衝動を、「紳士たれ」という矜持でやり過ごした。そんな不良みたいなことしてマリーが真似したら困る。
「頑張るわね。なら、少し出力をあげようかしら」
イワサキの無機質な声に反応して、ドローンが聖水を射出する。
早い。
とっさに避けた。避けた場所を確認する。コンクリート造りの壁が大きくえぐれていた。当たれば人間の体はコンクリート片より派手にあたりに散らばっただろう。自分の顔が青くなるのを感じた。同じ威力でもう一発水鉄砲に狙われる。カエルみたいに無様に跳んで避けた。もう一度走り出す。
「ひ、ひとに向けて打っていいモノじゃないだろそれ!」
「貴方はひとじゃないでしょ?」
しれっと言いやがった。よほど契約に不満があるらしい。やだね。自分の決断を誰かのせいにする大人なんて、カッコ悪いったらない。
心のなかで馬鹿にするのはほどほどにして、現実を見る。
今の威力で5体、時間差で狙われるとさすがに捌ききれないだろう。
死ななくても手足がもげたらいやだ! すごく痛い! それにそんな姿をマリーに見せたくない!
走って呼吸が荒くなる。気管支が聖水で灼けていった。普通に辛い。『強化』の魔術はマリーの『集中』よりも効果は弱いが、それでもずっと使っていられるほどリリムの体は丈夫ではない。
どうする、と考えていたところで、マリーの声が飛んできた。
「リリム! アレ使ってもいいですか?!」
「ダメだよ! マリーが相手にしてるのは戦車!」
「だからいいですよね!」
どんな理屈だ!
慌ててマリーに視線を向けると、もう華奢な体は嵐のような速さで人型戦車に肉薄していた。
「『集中』」
マリーの動きが、明らかに変化する。一歩踏み出す速さが目に映らないほど。
その速度を使って、人型戦車の分厚い装甲を思い切り殴りつける!
ごぉん、というどこか間抜けな音が室内に響いて、マリーが衝撃で逆に吹き飛んだ。
「きゃん!」
「マリー、大丈夫!?」
慌ててマリーの傍に駆け寄ると、マリーはすぐに立ち上がって人型戦車に向き合った。……が、少し涙目だ。
『集中』はあくまでもマリーが生来持っている能力を120パーセント発揮するための、とても個人的な技術だ。マリーがどう頑張っても鉄より硬くなることはない。
「うぅ……手が痛い……」
「そうだろうね……」
むしろあれだけ分厚い鉄板を思い切り殴っておいて、よく痛いだけで済むな。悪魔より丈夫でびっくりする。
──とは、言え。
「マリー、痛かったの?」
「ふつーに痛いですよ!」
マリーの殴った方の手をとって、怪我の具合を確認する。擦りむいて、赤く腫れていた。痛そう。これはしばらくお風呂の時に痛むだろうな。
怪我をしたマリーはかわいそうだが、しかしリリムにとってはマリーの「痛い」というひと言は有難かった。心中で喝采を上げる。
「イワサキ。マリーを傷つけたね?
──契約を履行する」
イワサキはリリムの言葉に一瞬、思い当たった表情を浮かべたが、なおも薄く笑む。
「……『マリエッタ・エーレンスヴァルド・グノーシスの心身を傷つける度、マリア・イワサキは淫魔リリムに運命の総量1パーセントを譲渡する』でしたか? 確かに、わたしは運の良い方ですが、たった1パーセントなど──」
「やだねぇ、恵まれた人間ってのは。今がどれだけ運の影響を受けているかわからないんだ。この淫魔リリムが、運の有り難みを教えてあげよう!」
自分の内側で、星が巡るのを感じる。
星とは運命であり、運命は魔力に影響する。人知では制御できない途方もない流れが、今、はっきりとリリムに傾いていた。
床に転がっているコンクリート片を、さして狙いを定めずにドローンに投げる。
ドローンが、ぼとり、と一体落ちた。
あまりにあっけなくて、イワサキもマリーも目を見開く。
「えっ、リリムは今なにしたんですか?」
「見た通り、石を投げただけだよ」
もう一度石をドローンに投げる。
また、ごとんと丸い円盤が地面に置いて動かなくなった。
イワサキがはじめて動揺した声を上げる。
「な、なぜ……」
「マリーが確認してごらん」
相棒に壊れたドローンを見るように促す。マリーは落ちて壊れたドローンに近付き、躯体を持ち上げてじっと眺めた。あっと驚いた声を上げる。
「刻まれた『emeth』の文字の、eが消えてる……」
ゴーレムを倒す時は、体のどこかに刻まれた『emeth』の文字を消して、『meth』──『死』の言葉に書き換える。
「でも、こんな小さな文字を、こんなにピンポイントで削るように当てられるんですか……?」
「そう。これが『運』の力だ」
リリムはにやりと口角を上げた。
イワサキのような豪運を持つ人間は滅多にいない。本人も努力して手に入れたものではないから、その本質が理解できないのだ。
なにかをやれば自分の都合がいいように世界が回るなどというチートは、たった総量1パーセントでもピンチを脱出するには十分だった。
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