65 悪魔の、ささやき
ファウヌスが指さす先には、瓦礫に混じって壊れた電動ドアがむき出しになっていた。本来はどこかにドアを呼び出す装置があったのだろう。
「これ、入れますか? ……あ、いけそうですね。道も、崩れてますけど歩けそうです」
歪んだドアから建物の中に入ると、すぐにエレベーターホールが見えた。電気が止まると怖いので、非常階段から地下へ降りる。
「何階まであるんですか?」
「地下3階だって。リリムはどこかな。マリーはなにか聞いてない?」
「うーん、リリムもどこかはわからないって言ってました。警備員とロボットがいて、電気柵もあるかもしれないから気をつけてって」
「結構厳重だな。それなら、やっぱり一番下層の奥かな。そういう場所が一番守りやすい」
「一番追い込みやすいですけれどね」
姉がさらっと怖いことを言った。
普段のんびりして穏やかに見えるけれど、姉は機関でも一番の悪魔祓いだった。魔術もそれほど得意ではないのに、聖水と腕力だけで悪魔憑きを何体も祓っている。全盛期のイザベラと同等という噂も聞いたことがあった。
階段で地下3階まで降りる。
所々で巨大な木の根がコンクリート壁から飛び出しているが、もとは無機質で病院の廊下のような場所だったことがうかがえた。少し歩くと、踊り場のようになった交差路にたどり着く。
そこで、警備ロボットがバリケードをつくっていた。さっきのファウヌスの攻撃で、警戒体制になっているのだろう。警備ロボットはアームが2本付いていて、脚はキャタピラになっているオーソドックスなタイプだ。胸元にバリケード用のプレートが設置されている。
二列になっていて、ざっと20体といったところだろうか。厚みのあるバリケードである。
「マリー、ファウヌス。ここはわたしが受け持つので、ふたりは先に行ってください」
姉が一歩前に出て、そんなカッコいいことを言う。
本当なら「可憐なおねえさまにそんな危険なコトをさせられません!」みたいに言ったほうがいいのかな、と思う。コミックとかではそんな展開だ。
ただ、姉だ。マリエッタだ。悪魔祓いのマリエッタは、物理も強い。
姉が、滅多に身に着けないメリケンサックを握り込んだ。本気の度合いがうかがえる。
「……行こうか、マリー」
「……はい。おにいさま」
「ええ! 道はわたしが開きます!
──人間ならいざ知らず、ロボットなら手加減なしでいいですよね。ひさびさです! 思いっきり殴ります!」
マリエッタは一歩踏み込んで、ロボットに肉薄した。まずロボットの頭部に設置されたカメラを破壊する。それから回し蹴りで頭部を完全に破壊した。さらにプレート部分を思い切り殴りつけて、背後で控えていたロボットともども吹き飛ばす。
バリケードが崩れて道ができたので、マリーとファウヌスはすかさずそこを駆け抜けた。
「おねえさま! 頑張ってくださいね!」
「危ないことしちゃダメだよ、マリエッタ」
「ええ! 二人ともリリムくんを助けてあげてくださいね!」
* *
ダニエルに連れられて行った施設の一番奥にあるモニタールームは、アラートが鳴りっぱなしだった。モニタールームの壁からは巨大な木の根が貫通していて、一部モニターは使い物にならなくなっている。その混乱した中でイワサキがほうぼうに指示を出して忙しそうにしていた。
「データと聖遺物、それからほかの実験結果や研究に必要なものは全部運び出して。世界的にも貴重な文化財よ。破損させるわけにはいきません。大丈夫、この侵入者はそんなものに興味なんてミジンコほどもありませんから、貴方がたは無事に脱出できます。急いで。
……ああ、淫魔リリム。よかったわね、お迎えよ」
「じいちゃんが来たんだね」
こんなことができるのは、悪魔の中でもファウヌスただひとりだけだろう。
イワサキはやや青ざめた顔でリリムを見る。
「……意外だわ。淫魔ファウヌスは貴方よりもさらに温和で善良な悪魔だと聞いていたけど」
「そうだよ。だから身内を攻撃されるとすごく怒る。それでも、僕だからこの程度なんだよ。もしマリエッタ義姉ちゃんに手なんか出したら、多分お前たちだけじゃなくてバチカンまで巻き込んでお前たちのこと物理的にも社会的にも塵一つ残さず消すと思う」
「……それは、貴方もそうだ、ということ?」
「気持ち的にはね。ただ、僕にはそんな力はない。僕の存在と財力を全部つっこんでも、多分お前たちの班をひとつ潰して終わりでしょ。
でもじいちゃんは違う。人間のルールで長年生きてきたからこそ、人間の一番困ることをたくさん知ってる。それに、人間の協力者もいっぱいいるからね。『善良』というのは、すごい武器だよ」
「……聖職者としても、反論はありませんね」
「まあ、今回のことは僕がじいちゃんもマリーも説得するからさ。悪魔は契約に忠実なんだ。安心していいよ」
リリムが笑って手近なデスクチェアに腰掛ける。その様子を、イワサキは不審そうに見つめていた。
「……ダニエル。リリムくんになにかおかしな動きは見られなかった?」
「ぼくのテトリスの最高点書き換えられちゃったよ……」
「さすが悪魔ね。ほかには?」
「とくには。眠ってもいなかったし、部屋は魔術遮断の結界を張っていたから、外部と連絡を取ってることもない」
「そう」
「なに? マリーがちゃんとココへ来るかどうか心配してるの? じいちゃんとマリエッタ義姉ちゃんがついてるんだから、迷わずここまで来られるよ」
ふと、ひとつのモニターに目が止まる。
マリーだ。
いつもの白いブラウスと地味な茶色いスカート姿で、髪にはリリムのあげたバレッタが飾られている。隣にいるやけに脚の長い男はファウヌスだ。まっすぐ奥のこの部屋へと向かって来ている。
時折警備員が立ちふさがっては、マリーに殴られていた。
「よかった。元気そうだ……」
「いつも思ってたけど、マリーさまって元気が良すぎるタイプじゃない?」
「子どもの元気がいいのは良いことだろ」
「それもそうかぁ」
ダニエルと軽口を叩いていたら、もうマリーはこの部屋の扉の前に立っていた。マリーは脚が速いな。いつの間にかファウヌスがいなくなっている。どこかでルートを分けたのだろうか。
リリムは慌ててデスクチェアから立ち上がって、自分の姿を確認した。着替えたばかりの白いシャツと黒のツーピース、揃いのスラックスは皺になっていないだろうか。
そんなリリムを見て、ダニエルが嘆きの声を上げる。
「ぼくの一張羅、すごくカッコよく着こなされて複雑な気分……こんなに身長違うのにスラックスの裾が余らないとかあるんだ……」
「気にすることないよ。僕は淫魔でカッコいいのは当たり前だから」
ダニエルの肩を慰めるつもりで叩く。
次の瞬間、出入り口の扉が勢いよく吹き飛んだ。
こじ開けられた出入り口に目を向けると、逆光でもわかるほど小さな影が立っていた。
汗だくで息を切らしたマリーが、夜のきらめくまなざしをリリムへ向けていた。
「リリム! 助けに来ましたよ!」
「マリー!」
お互いに駆け寄って、リリムはマリーの体を抱きしめる。
柔らかくて、温かい。華奢な体から花の蜜のような香りが漂った。マリーの腕も力強くこちらを締め付ける。
「リリム、リリム! 無事ですか?! 死にそうだったって言ってましたけど、怪我は?!」
「今はもう大丈夫。マリーが夢で渡してくれた精気で治療できたから。ありがとうね、マリー」
そう言って頭をなでたら、夜の瞳にみるみる涙が溜まっていった。
「……うぅ〜〜〜〜〜よがっだぁ〜〜〜〜〜! リリム、元気なんですね……!」
「……うん。大丈夫。心配かけてごめんね」
マリーの涙を指先でぬぐう。水滴を少しだけ舐めてみた。甘いけれど、苦い。やっぱりマリーの涙よりも、汗や唾液の方がずっと甘くて好みだ。
「泣かないで、マリー。用事を済ませて早く帰ろう?」
「はい!」
「……淫魔リリム」
背後から低い声が響く。イワサキがこちらを冷ややかに見つめていた。
「契約はしっかり履行してちょうだい」
「……慌てないでよ、お姉さん」
「契約……?」
マリーが眉をひそめた。リリムは少しマリーの体を離して、整った泣き顔をやさしく覗き込む。
「……マリー。あのお姉さんがね、マリーが『神の子』のクローンを出産したら、その後は僕たちの好きに生きていいって言ってるんだ」
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