62 ダニエル・コーヘンという悪
思いもかけないことを聞いて、リリムはゲームをソファに置いた。
「……つまり、あの外見はお前の好み?」
「うーん、まあ、平たく言うと?」
「きもい」
「ええー!」
「きもいけど、いいしごとしたと思う」
「そうだよね!」
「幼く見えるけど凛々しくて、セクシャリティを感じないのに女の子らしい。細いけど触るとちゃんとやわらかくて、お砂糖とお花でできてるみたいだ。黒い髪と瞳は大陸では珍しくて神秘的だし、穢しちゃダメな存在だって思わされる。マリーたちの外見については、センスを認めてあげるよ」
「わー、リリムくんの感想もきもい」
「は? 殺すぞ」
リリムの本気の殺気に、けれど男は気にした様子もなく笑みを浮かべた。
「でも、ぼくのつくった外見をそんなに褒めてくれるのはうれしい! とくにマリアさまの神聖なイメージを外見でも表現したかったんだよね!」
「ただ、日本人の遺伝子が強すぎてあれはさほど加齢しなさそうなのが残念……」
「なんでだよ。いいだろ、永遠の若さ。イワサキなんかその筆頭だぞ。アイツぼくと同じ歳」
「ええー、マジか。若作りなんだろうとは思ってたけど。日本人ってみんなそうなの?」
「まさか。アイツがおかしいんだよ。だから遺伝子提供者の候補になったんだ」
「でも、マリエッタ義姉ちゃんの遺伝子提供者なら、当時は本当に若かっただろ?」
「まぁね。でも彼女の親族や遺伝子の状態でだいたいわかる」
「ああ、若作りの家系かぁ」
「そういうこと。本当に優秀でもあったしね」
リリムは体を起こして、ちゃんとソファに座って男を改めて見た。男はすっかり打ち解けた様子で前のめりの姿勢になっている。なんだか妙に話しやすい奴だな。
「……なあ。お前、名前は?」
「ダニエル。ダニエル・コーヘンだ」
コーヘン。ユダヤで司祭を意味する、イスラエルでありふれた苗字だ。
ダニエルは名乗ってから、リリムが悪魔だと思い出したらしい。一瞬しまった、といわんばかりに視線をさまよわせたが、次には覚悟を決めたように恐る恐る近付いて、握手を求めてきた。リリムも一応握り返す。
「ダニエルは、イワサキの同僚?」
「そうだよ。結構長い付き合いになる」
「……お前、『マリエッタ計画』についてはどう思ってるんだ」
「やめて殺さないでお願い!」
「それは回答しだいだね」
「もちろん酷い計画だと思ってました!」
「本音は?」
「そりゃあ──こんなに研究者冥利に尽きる計画はないと思ったよ」
ダニエルはあっさり応えて、手元の書類をソファの近くのテーブルに置いた。
「マリアさまの聖遺物が発見されて、さらにそこから遺伝子を解析する。すごいプロジェクトだ。その研究者に選ばれたことは本当に光栄だと思った。いままで芸術作家の理想の女性像が投影された絵画や石像しかなかったのに、本当の聖母さまの姿が蘇るかもしれなかったんだから」
「……それは、解析までの話でしょ。どこでクローンをつくろうなんてアホな話になったの」
「いやぁ、復元した遺伝子の状態が、思ったより良くて。つい」
「は?」
「これはね、本当に罪深い話だよ。悪魔に告解するのもヘンな話だけど。
……完全に、研究者の欲だ。そこに『できるかもしれない』可能性があるなら、挑戦したくなる。それは人類の進化に欠かせない知的好奇心と言えるかもしれないけれど……」
ひとの命をひとの手で生み出す。
これを七つの大罪──傲慢と呼ぶ。
「……平たく言うと、出来心ってコト?」
「そうだね。……酷いよな。本当に。上手くいってからようやく罪悪感が芽生えたよ。あ、この子ってこれから人間として生きていくんだって。ぼく、親のいない子どもをつくっちゃったんだって。首くくろうかと思った」
普通の顔をしてダニエルは言った。リリムは思わずにらみ付ける。人間が命を粗末にすることを悪魔は嫌う。その分食糧が減るからだ。
「こんなコトはこれっきりだと思った。もともと機関の中でも賛同者の少ないプロジェクトだったし、マリエッタさまおひとりでこの計画は閉じるはずだった。……でもその後、マリエッタさまに不妊の可能性があることがわかった。
どうしてもね、完璧がほしかった。罪を犯したのなら、せめて完璧なデータを後世に残したいと思った。いや、残さなくてもいい。ぼくはやりきったんだって思いたかった。
どうせ地獄に堕ちるなら、最後まで」
──ああ、なんて……彼は、人間らしいのだろう。
一度の罪にとどまらず、罪を犯した快楽に抗えなかった。きっと、関わったのが聖女復活などでなければ悪魔のいい餌になっていただろう。
「リリムくんはさ、ぼくを殺す?」
「……どうかな。僕を殺しかけたことについては本気で殺意を抱いてるけど」
「あーそっちかぁ」
「……少なくとも、お前がいなきゃマリーは生まれなかった」
リリムは、マリーの人生を変えようとしている『処女受胎』はぐちゃぐちゃにしてやりたいと思っている。
でも、マリーを誕生させた『マリエッタ計画』そのものは、アホだとは思っても否定はできなかった。
「マリーは僕の大事な相棒だ。だから、お前がその研究をしなければよかったなんて、どうしても思えない」
「……そうかぁ……リリムくんは、小さなマリエッタさま……マリーさまのこと、本当に大事にしてるんだなぁ……」
「うん。……ダニエルのしごとそのものは、悪くないよ。マリーと出会わせてくれて、ありがとう」
ダニエルの茶色の瞳から、涙がこぼれた。
やっぱり、この男も聖職者なんだろう。善良だな。善良なのに、道を誤った。彼はきっと傲慢の罪で地獄に堕ちる。
「……それで、『処女受胎』はイワサキの計画?」
「うん……彼女は最初、ただの遺伝子提供者だったんだ。それが、いつの間にか大口の出資者になって『神の肉体』を現代に復活させようって話になってた。ぼくは遺伝子解析チームにいたから、そのあたりの交渉事について詳しくはわからない」
「そう……」
「……リリムくんとしてはイワサキを殺したいかもしれないけれど、それはちょっと留まってほしい。彼女はああ見えて、本気で信仰のためにやってる。あれだけ莫大な私財の8割を教会と機関に寄進するなんて、娯楽じゃできないさ」
あの女は本気で信仰心のためにマリーを使おうと考えている。さっきの問答でも十分わかってはいたが、同僚からも証言されるとは。信仰心なんてものは本当にろくでもないな。
「マリーが望んでもいない出産なんて、冗談じゃない」
「ぼくのしごとは遺伝子の解析と復元までだから、『処女受胎』についてはなにも言えないんだけど……やっぱりリリムくんがマリーさまをお嫁さんにしたらいいんじゃない?」
「年齢」
「いや、こう、物理的に。肉体的に」
ダニエルに向かってゲームを投げた。意外と反射神経が良くて、上手くキャッチされてしまう。
「マリーとはそういうコトしないから!」
「ええ? だってリリムくん、マリーさまのこと好きでしょ?」
「マリーが僕のこと好きなんだよ!」
「じゃあ両思いだ」
「そういうんじゃない!」
「──真面目な話、イワサキはどうしても教会にも機関にも必要な人材だ。彼女は善人だし、信仰も厚い。そういう人格的に問題のない人間が莫大な寄付をしてくれるというのは、本当にありがたいことなんだよ」
「人格的に問題ないヤツがこんな非人道的な計画進めないだろ」
「人間だから。道を踏み外すこともある。きみは悪魔だから知ってるだろ」
そう言われては、口をつぐむしかない。一貫性のある人間なんて、ロボットみたいで不気味だ。人間は矛盾して、回り道をして、間違える生き物だ。だから悪魔が生まれるし、だから人間は進化する。
「ぼくはこれでも反省してる。イワサキにも、反省するチャンスを与えてやれないかな」
「無理だね。僕を攫った時点で、マリーにもファウヌスにも敵視された。ふたりともすごく怒ってるよ」
「ファウヌス?」
「僕の親代わり……師匠っていうか、すごく長生きな悪魔」
「ふぅん……昔文献で読んだ森の賢者がそんな名前だったな。なにがあったのかはわからないけれど、後世の文献でその賢者の名前が淫魔の代名詞みたいに変わってた。本人かな?」
「さあね。これから本人が来るから直接訊いてみれば?」
ダニエルが怯えた表情を浮かべた瞬間。
轟音とともに建物全体が大きく揺れた。
「な、なになになに?!」
「よかったね、ダニエル。来たみたいだよ。
──最も長く地上に生きる、最弱の淫魔が」
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