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【完結】淫魔リリムと悪魔祓いマリーは、善悪の境界線でステップを踊る。  作者: 芝村あおい
第四章 ナザレ・ふたりの芽生え編

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60 悪魔を誘惑する人間


「……アホくさ。人間は昔から他者を見下し、憎み、怒り、怠け、執着し、暴食し、肉欲に溺れる。それは今にはじまったことじゃない。そのことを一番よく知っているのが、悪魔(僕たち)だ」

「……ええ、そうね。淫魔リリム。悪魔は、そうした人間の感情を糧に生まれる存在と聞くわ。貴方がたがこの地上から消えることはないんでしょう。けれど、それでも──貴方がたの誘惑に打ち勝つような人間が増えてほしいと、わたしは心から願っているわ」


 イワサキの言葉は、ずっと力強かった。

 人間はどれだけ悪徳を重ねても、根本では善き存在であろうと願っているのだと。神はそんな人間を支える存在なのだと、彼女は心底信じているらしい。そして、人間は内に抱える悪徳を、人間自身で克服できると信じている。


 ──その点だけは、リリムも同感だ。

 己の欲を乗り越えようとする人間を、悪魔は愛しているから。


「どうかわかって、淫魔リリム。小さなマリエッタさまが愛する善性の悪魔。

 貴方が小さなマリエッタさまを説得してくれれば、わたしから貴方と小さなマリエッタさまへ、できる限りの金銭援助をさせてもらうわ」

「……金銭援助……?」


 思いもかけない方向からの言葉に、リリムは一瞬間の抜けた顔をしてしまった。一瞬、イワサキの瞳がきらりと光るのを見る。しまった。隙を見せたかも。


「ええ。これから……もし小さなマリエッタさまが神の道を目指さなくとも、わたしたちはそれを阻むことはない。ご出産後に必要な生活費や遊興費は上限なしで支援するし、しごとが必要なら紹介するわ」


 リリムは、思わず目をまたたいた。


「……マリーだけじゃなくて、僕も?」

「ええ。小さなマリエッタさま──マリーさまのことは、もともと援助しようとしていたの。でも、なぜかイザベラに断られていて……けれど、貴方への援助はイザベラにも断る権利がないもの。貴方経由からマリーさまを援助することができるなら、それにいくらかかろうと、惜しむ経費ではないわ」


 イワサキの表情は真剣そのものだ。少なくとも、思いつきだけでてきとうなことを言っている様子はない。


「……ふたり分の人生を面倒見るなんて、ずいぶん太っ腹だね。僕もマリーも、別に遠慮するような性格じゃないけど、大丈夫なの? そもそも機関って、お金がないって聞いてたけど」

「……やっぱり。イザベラから最低限の金額以上はいつも突き返されるのよ。『足りてる』なんて言ってたのに」

「よっぽどお前からのお金を受け取るのが嫌だったんだろうね」


 リリムが煽ると、予想に反してイワサキはうれしそうに笑った。


「……ふふ。相変わらず清貧の教えに忠実なのね。やっぱりイザベラは素晴らしい女性だわ」


 確かにイザベラは素晴らしい女性だが、別に清貧の教えを守るために金を受け取らないのではないと思う。イザベラは子煩悩な母親だ。愛娘に酷な運命を要求してくる相手から金など受け取りたくないのだろう。


「……じゃあ、僕とマリーを支援するお金はどこから出てくるの? 僕は悪いお金でも気にしないけど、それをマリーに渡したくないな」

「もちろん、正当な報酬として受け取っているお金よ! ……わたしの実家は多少裕福なの。いくつか大きな会社を経営しているし、わたし自身もそれらの株主よ。そうした出自のせいか、お金に関する苦労をしたことがなくて……清貧の心や行動については正直わからなくて、いつもイザベラには教わってばかりなの」

「……ふーん。お金持ちのお嬢さまってコトか。だから赤の他人を『一生面倒見る』なんてカード切れちゃうんだ」

「わたし自身の研究成果もあるし、諸々からの収入を集めると貴方たちの一生を面倒みるくらいは問題なくできるわ。まあ、()()()贅沢を望まれるとちょっとわからないけれど」


 この口ぶりからすると、イワサキはリリムがこれまでお世話になってきた女性たちと同じような社会階級だと思ってよさそうだ。彼女たちの”すごく贅沢”は、小市民のリリムやマリーは思いつきもしないようなお金の使い方である。城を買うとかのレベルじゃない。城を建てたりするのが彼女たちの贅沢だ。

 もちろん、本当にそんなお金の使い方をしているひともあまりいない。意外と上流階級のひとびとの生活は質素だったりする。理由も明快で、目立つと強盗などに狙われるから。実に悪魔が住みやすい環境である。


 リリムは、少し考えた。

 お金は大事だ。過去から現在に至るまで貨幣経済の中で生きてきたリリムにとって、上限なしの支援は相当魅力的である。死にかけた怒りはあるが、マリーがどこでも行きたい学校に行けて、行きたい場所に行って、自分も傍でマリーを見ていられるのなら、自分が死にかけた恨みくらいは引っ込めてもいい。


「……僕がマリーを説得したら、金銭の支援を受けられるの?」

「ええ。ご出産するまで、そしてその後も、わたしが生きている限りマリーさまと貴方の生活は保証します」

「なるほど。上手いね」


 イワサキが生きている限り──つまり、彼女を殺してしまっては、マリーに自由になるお金を渡せない。まあ、マリーのためだ。仕方がないか。


「わたしの要求は、いかが? 淫魔リリム」

「そうだね……」


 ムカつく提案だが、報酬は悪くはない。


 マリーが子を産む、ということ以外──。


「……ちなみに、その”無原罪の御宿り”はどういう風に実現するつもり?」

「……イエスさまの聖遺物からも、わずかだけれど遺伝子の痕跡を得ているわ。その遺伝子情報からつくった胚を、小さなマリエッタさまにお宿しいただく」


 ──なにからなにまで、神を人間の手でつくる気なのか。


「……そこまでやったらさあ、もうマリーの肚じゃなく、普通に人工培養したら?」

「……人間の肚から生まれることが重要なのよ。そのことは、貴方が一番よくわかっているでしょう」


 人間から生まれていない存在は、人間社会で迷子になりやすい。

 自分は人間ではない。けれど人間のように振る舞っている。ときに人間を理解したいと思う。

 そして人間ではない自分が、人間の気持ちを理解できるのか不安になる。自分の抱える感情は、人間では持ち得ないものではないのかと疑念が生まれる。

 ──かつてのリリムも、そんな風に思ったことがあった。

 もっとも、それはリリムが今より若い時の話だし、今そんな迷いはないけれど。


「……マリーとよくわからない男の子どもをつくる、とか言い出したらどうしてやろうかと思ってたけど、そうじゃないんだね」

「そんなことしないわ! ……肚を借りることさえ心苦しいわよ。けれど、これはどうしても……マリーさまにしていただかなくては、意味がないの。誰も代われない、彼女だけに望まれたことなの」


 イワサキの顔は、懊悩に暗く歪んだ。表情を見る限り、この女でさえも自分たちがどれだけ非人道的なことをしているか、自覚くらいはあるらしい。

 その上で、マリーに子を産めと要求しているのだ。

 なんて身勝手で、傲慢なのだろう。


 ──悪魔としては、悪くないと思う。


リリムは、悪魔です。

ーーー

完結まであと16話です。最後までお付き合いのほど、よろしくお願いします。評価・ブックマークも励みになります。ありがとうございます!

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