55 絶対に、取り戻します
* *
『集中』」
ためらわずにマリーは能力を使った。
石畳の道を割って跳ぶ。近くを走行していた車のルーフに乗って、リリムを奪った車を追いかける。リリムを攫ったのは黒塗りのワゴンだ。車は狭い車道を無理矢理突っ切ろうと、接触も厭わずスピードをどんどん上げる。マリーはいくらかの車のルーフを伝って、ワゴンに肉薄した。ルーフに飛び移って、真下のスチール板を思い切り足蹴にする。
ルーフはおもちゃみたいにぐにゃりと曲がって、走行スピードのGを受けて弾け飛んだ。破壊したルーフの穴から、ぐったりとしたリリムと、黒いスーツを着た男が見えた。男はサングラスをかけているが、この状況でも無表情貫いている。訓練された機関の兵士だろうか。
男は迷わず走行中の車のドアを開けて、リリムを抱いてそのまま外に転げ落ちる。
なんて無茶を! リリムが怪我したらどうするんですか!
腹が立って、マリーもさらに速度を上げて追いかけた。
人間の足なら、『集中』を使ったマリーに敵うわけがない。
スーツの男は路地裏に入ったところで観念して立ち止まった。
リリムの額に、美しいガラス瓶を当てて。
「聖水だ。止まらなければ悪魔リリムの頭蓋を溶かす」
人間味のない声だった。マリーに追い詰められても、なんの感情も、疲労も感じないロボットのような抑揚のない声。
マリーは、咄嗟に足を止めてしまった。
リリムは悪魔だ。頭蓋を灼かれても、おそらく生きていられる。
でも、痛いのは痛いのだ。リリムに痛い思いはさせたくない。
マリーの足が止まった瞬間、男の姿が見えなくなった。姿隠しの魔術だ。
あの男、魔術も使えたのか!
魔術を使ったことはわかる。術の内容もわかる。
でも、今のマリーには魔術の破り方も、追跡する手段もなかった。
「やだ……リリム……どこですか……リリムッ!」
声を上げても返事はない。
どこかからひょっこり現れて「泣かないでよマリー。すぐに僕が見つけてあげるから」と言って笑ってくれる相棒はいない。
『集中』が切れた。体に反動がくる。全身が筋肉痛に襲われて、足ががくがくと震えた。道にうずくまって、それでもリリムの気配を追う。追う。追う。追う。追う!
「リリム……リリムリリムリリムリリム‼︎」
それでも──
リリムの気配は、もうどこにもなかった。
すぐに姉と義兄が追いかけてきて、マリーを見つけてくれた。傍にリリムがいないことも、察してくれる。
駆け寄ってきた姉の優しい腕が、マリーをぎゅっと抱きしめてくれた。
「マリー、大丈夫ですか!?」
「平気です。すぐにリリムを追いかけましょう!」
口だけだ。自分でもわかっている。本当は体が全然動かない。『集中』の反動もあったし、なにより、自分の目の前で、リリムがさらわれた。
リリムはよわっちいのに。自分が守ってあげなきゃダメだったのに!
いや、違う。リリムは本当は強いのだ。だって二千年生きた悪魔で、魔術の天才なのだ。だからきっと大丈夫。
姉の後ろから追いかけてきた義兄に視線を向ける。ファウヌスは珍しく青い顔をしていた。
「おにいさま……リリムは強いんですよね……? 大丈夫ですよね?」
「……機関がもし、マリーの『処女受胎』の障害になると判断してリリムを排除しようとしたなら、リリムが無事である必要はない」
「……ッ」
「ただ、もしそうなら、しばらくマリーに危険はないだろう。機関は『処女受胎』を実行するために、これまで通りマリーの健やかな成長を支援するはずだ」
「リリムがいなくてなにが“健やか”ですか!」
裏路地に自分の声が響く。すごくヒステリックだ。けれど、マリーにも止められない。
リリムは面白い歴史の話をたくさん聞かせてくれた。おいしいお料理のお話も、おかしのお話も、魔術の話もたくさん話してくれた。
マリーが頑張っても行き詰まった時は手伝ってくれた。悪魔祓いの時はたくさんサポートしてくれて、すごく心強かった。
毎日「マリーは世界一かわいいよ」と言って、髪を梳かして、ぎゅっと抱きしめてくれた。お姫さまみたいに接してくれたし、家族以外に大事に思われているのがうれしかった。リリムがいたから、姉が嫁いでも大丈夫だった。ひとりぼっちにならなかった。
リリムがいなくちゃダメなのだ。
自分の過去にも現在にも未来にも、リリムは絶対に必要なのだ。
「……取り戻します」
「マリー……」
「あのひと……マリア・イワサキってひと、普段はナザレの教会で研究してるって言ってました。ひとまずそこへ向かいます」
もしリリムが無事じゃなかったら──
私が。全部。全部、全部!
──全部、めちゃくちゃにしてやる。
マリー、ブチ切れ。
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