54 少年淫魔の危機
「……やっぱりリリム、なんか変ですね。本当に大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫だよ。変なんかじゃないから!」
「そうですか?」
ずっと一緒にいた弊害だ。マリーに様子がおかしいことに気づかれている。あまり長くは誤魔化せないだろう。
だからと言って、離れて歩く気にはなれない。今はマリーの身柄が危険だし、リリムが彼女を守ってあげないといけなかった。
「あ、リリム見てくださいよ! あの花屋、はじめてリリムと会ってかくれんぼした花屋さんじゃないですか?」
「え?」
マリーが指差す先を見ると、屋台の花屋が軒先に季節の花々を品出ししていた。市場から仕入れてきたばかりのものらしく、花は生き生きと花弁を揺らしている。あの時と同じように、古い建物の間でドローンがふらふらと浮かんでいた。
「ライラック、ガーベラ、早咲きのミモザ……クリスマスローズもあるね」
「わあ、素敵ですね」
後ろを歩いていたマリエッタもうれしそうに手を叩いた。
「マリエッタはどの花が好き?」
「今買ってもお世話できませんよ。これから移動するのに」
「なら少しだけ買って車に飾ろう」
「……じゃあ、ミモザにします」
「リリムは、どのお花が好きですか?」
「えっ」
ファウヌスに続いてマリーが不思議なことをリリムに尋ねてきた。
「……ここは僕がマリーに訊くところだと思うんだけど……」
「前はリリムが買ってくれましたから、今日は私が買ってリリムにプレゼントします!」
そう言えば、マリーとはじめて出会った時、この花屋でバラを買って髪に飾ってあげたのだった。あの時のマリーはドレスを着ていて、まるでバラの妖精みたいだった。
「……じゃあ、バラをひとつもらおうかな」
「はい!」
マリーも、なんの花を貰ったか覚えていたらしい。すごくうれしそうに、満面の笑みを向けられた。
胸の奥が、またきゅっと絞られる。
「一番キレイなの選んで買います!」
「そうだな。マリー、お小遣い持ってる?」
「もちろんです! リリムへのプレゼントですから、私のお手伝いのお駄賃から払います!」
「そうか。じゃあ、マリエッタとリリムはここで待ってて」
ファウヌスがそう言って、マリーと軒先で花を選びはじめる。
その様子を、ほかの客の邪魔にならないように道路側に立って見守った。
「あはは! これは長くなっちゃいますね」
「そうだね」
隣に立ったマリエッタが声を上げて笑う。
マリーもファウヌスも真剣な目だ。お互いああでもない、こうでもないと言って店員を困らせている。
「……リリムくん」
「なあに?」
「マリーのお友だちになってくれて、ありがとうございます」
思いもかけないことを言われて、思わず義姉を見た。
「……僕は悪魔だよ。そんなのでお礼なんて言わない方がいい」
「でも、マリーは貴方が大好きみたいですから。マリーはわたしと同じように、魂を見分けます。わたしにも、貴方は悪魔ですけれど、善良な輝きの存在に見えますよ」
「……善良な魂とは言わないんだね」
「……わたしは、還俗しても悪魔祓いですから」
そう。
リリムたち悪魔の魂は、はじめから穢れている。
そもそも、いきものの負の感情が大地に定着して、実体を獲得するにまで至った存在が悪魔だ。悪魔という存在に救いはなく、ただ永らえて消滅する瞬間まで怠惰に生き続けるしかない。
「義姉ちゃんは正直者だ。それに物知り。悪魔がどんな存在か、ちゃんとわかってる。どうしてそれでじいちゃんと結婚しようと思ったの?」
「それは、ファウヌスが素敵なひとだからです!」
言い切った。彼女の愛もそれなりに重い。
「わたしにはファウヌスの魂は、穢れていてもとても美しく見えます。誰よりも綺麗です。
きっと、マリーにもリリムくんはそんな風に見えていると思いますよ」
「……どうかなあ」
さまざまなバラに囲まれたマリーを見る。とても楽しそうだ。あの子がそんなに深いことを考えているようには思えないんだけれど。
「……ただ僕のことが好きなだけなんじゃないかな?」
「んー。そういうところ、ちょっとマリーに似てますよね。リリムくんって」
「ええ? どこが?」
「相手の気持ちに自分の気持ちを混ぜようとするところ。どこで覚えてきちゃったんでしょうか」
困った子たちですね、などとため息を吐かれて、リリムは口を曲げる。
「別にそんなんじゃないよ。事実だし」
「……本当に事実なので注意もしづらいんですよね……」
マリエッタは苦笑して、ふと空を見上げた。
「あれ。雨でしょうか。お天気はいいのに、水滴が……」
「ええ? お天気雨かなあ」
魔術的に晴天での降雨は、『局面が大きく変わる』ことを意味する。吉兆は問わない。旅に出る前だと、ちょっと気を引き締めなければと思う。
たしかにマリエッタの言う通り、ぽつぽつと雨粒が落ちてきた。手のひらで受け止める。
雨が、リリムの手のひらを焼いた。
「じいちゃん! これ聖水だ!」
慌てて声を張り上げた。ファウヌスは花屋の軒下にいて、聖水は被っていないらしい。頭上にはドローンが飛んでいた。撮影用のドローンじゃない。小型の薬剤散布用ドローンらしく、散布口から聖水をばら撒いている。人間にはまったくの無害で、人工的な水しぶきに気がついた通行人は興味深げにドローンを見上げていた。
マリエッタがファウヌスに駆け寄って、逆にマリーが花屋を飛び出す。
「リリム!」
「マ」
名前を呼ぼうとして、一瞬。
背後を車が通り過ぎる。車から乗り出していた誰かが、リリムの口元を抑えて体ごと抱えた。そのまま車の中に詰め込まれる。
「リリムッ‼︎」
マリーの叫び声がもう遠い。物理的にも、意識的にも。
なにか薬を嗅がされたな。
それだけはわかって、けれど肉体では抵抗できなかった。どんどん力が抜けていく。
しくじったなぁ。
マリーには注意してたのに、本当に子どもを攫うのって一瞬だ。
それでも、これがマリーじゃなくてよかったな、と。
それだけは、安心できた。
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