53 ふたりの“いつも通り”
「え、どういうこと?」
「お前、出先でもマリーと昨日みたいに四六時中いちゃついてたんだろ?」
「いちゃついてないってば」
「自覚もないんだな。なら、マリア・イワサキがその様子を見て、思ったんじゃないか? 『このままだと母体候補が自然な形で悪魔と性交してしまう』ってな」
──あの時。イスラエルの『岩のドーム』前で、自分たちはどうしていたっけ。
マリーと手をつないで、イスラム教の説明を聞いていた。二人並んで歩いて青いタイルの美しさに目を奪われていた。青いタイルを見てはしゃぐマリーはとてもかわいかった。
あれが? あれだけでダメ? 誤解もいいところだ!
「その顔は、心当たりがあるんだな」
「ないよ! 本当にいつも通りだったよ!」
「じゃあ、その”いつも通り”を振り返っておけ。それは大抵、恋人同士にしかしない
……とにかく。もしそうなら、マリーも危険だが、お前だって危険だぞ」
「え?」
「平たく言うと、今のお前たちの状況は『彼女の実家の親族が交際に大反対していて、どんな手を使ってでも別れさせようとしている』みたいな感じだ」
「ええー?」
酷い。付き合ってもいないのに、そんな理由で命を狙われるのか?
いや、相手はそもそも、倫理観が欠けてはいるがかろうじて聖職者だ。マリーに非人道的なことをするより、リリムを消滅させた方が良心は痛まない。
「大丈夫ですよ、リリム!」
ばたん、と騒々しい音を立てながらリビングに高い声が響いた。
マリーだ。青いシャツに白いショートパンツを身に付けている。マリーのすんなりと伸びた白い足がぴかりとかがやいていた。
「よわっちいリリムは、私が守ってあげますからね!」
「昨日マリーは僕に負けたでしょ」
「相手が悪魔祓いなら、私にだって勝機はあります! 主に物理方面では負けません!」
「マリーはまだまだ鍛錬が必要です。あんまりカンタンにそういうことを言ってはダメですよ」
後ろから入ってきたマリエッタがマリーをたしなめる。マリエッタは白いトレーナーにジーンズのパンツを履いていた。どちらも軽く散歩をしてきた、といった出で立ちである。
「お帰り、ふたりとも。地下神殿はどうだった?」
「あんなところがあるなんて知りませんでした。とても便利ですね。これからもわたし、使っていいでしょうか?」
「うーん、もうマリエッタは機関の関係者じゃないからダメかも……」
「そうですか……残念です……」
ファウヌスはマリエッタとマリーにもオレンジジュースを出して、ふたりともダイニングテーブルに座った。四人がけのテーブルは満席だ。
マリエッタはリリムの顔を覗き込みながら、愛情深いまなざしを向けてくる。
「リリムくんは十分強いとファウヌスから聞いています。でも、無茶はしないでくださいね。『グノーシス調査機関』は神秘調査を主とした、悪魔祓いが本職の人間ばかりです。悪魔である貴方にとっては相性が悪いと思います。遠慮なく、わたしやファウヌスを頼ってくださいね」
マリエッタの優しい笑みは、本当に聖母みたいだ。リリムには少し居心地が悪い。マリーの方が、僕は好きだ。
「うん……義姉ちゃん、ありがとう」
「私も頼っていいんですよ!」
「マリーは一緒に狙われてる側でしょ」
「リリムの方が命の危険があります。私、リリムがいなくなったら嫌ですから」
マリーが、真剣な瞳でリリムを見つめる。
夜の瞳が朝陽にきらめいて、妖精みたいだな、と何度目かの感想を抱いた。胸がとくん、と大きく跳ねる。
「……マリーは、僕がいなくなったら嫌?」
「はい! 嫌です。さみしいです」
マリーの素直な好意が、じんわりと全身に広がる。胸の奥がきゅっと引き絞られる感覚がした。
「……リリム?」
「んンッ! ……そっか。じゃあ、僕も自分のことは大事にしないとね。マリーが泣いちゃったら嫌だし」
「はい。そうしてください。あ、そうだ。リリムご飯食べたら、精気を分けてあげますね」
「えっ」
「? なんですか。いつものですよ。額へのちゅー」
毎食後、マリーからはキスで精気をもらう。汗を舐めるだけで、マリーにとっても負担はない量だ。もう習慣になっていて、今まで意識したことなんてなかった。
ただ、ちょっと今のリリムはおかしくなっていた。
マリーと、キス、するのか。
それで、精気を、もらうのか。
「えっ、リリム、顔真っ赤ですよ?! どうしたんですか!」
「リリムくん、風邪ですか? えっ、悪魔って風邪引くんですか?」
「引かないよ。……ふたりとも、落ち着いて。リリム、ちょっとむせちゃったか? おしゃべりはそれくらいにして、ご飯食べて。カフェも入れてやるから」
「…………うん」
事情を察しているファウヌスがてきとうに誤魔化してくれた。リリムは顔の熱が覚めるまで、もそもそとゆっくりタルティーヌを咀嚼する。
──僕、どうしちゃったんだろう。
急に、マリーとキスするの、ドキドキしてきた。
移動は午後からなので、午前中は必要なものを買い出しに街へ出かけることになった。
マリーと手をつないで、リヨンの街を歩く。石畳の道は歩きづらいけれど、雰囲気があってリリムは好きだった。きっとマリーも好きだと思う。
隣のマリーが、心配そうにリリムの顔を覗き込んできた。
「リリム。精気ホントにいらないんですか? 倒れたりしません?」
「だ、大丈夫だよ。リヨンのご飯はおいしいからね。それに、マリーとは昨日一緒に寝たから、それでも少し精気をもらえたし」
「そうですか? 必要になったら言ってくださいね。お腹減ったら悲しい気分になりますから」
マリーは、修道院に来たばかりで空腹のリリムに襲われたことを『腹ペコリリムがかわいそうな思いをした事件』として記憶しているらしい。以来リリムが精気不足にならないように気を遣ってくれていた。主にちゅーしろと迫ってくる。今まではかわいいなと思うだけだったのに、なぜか今日は緊張して、恥ずかしくなってしまった。特にファウヌスとマリエッタの目があるところではしたくない。朝はいたたまれずに遠慮することにした。
「……その。夜に二人きりの時にもらうよ」
「わかりました。いいですよ。今日も一緒に寝ましょうか」
「う、うん……」
「んふふー。リリムと一緒に寝ると、よく眠れるんですよね。知らない場所ならリリムと一緒に寝るに限ります!」
「そ、そう……」
一緒に。ベッドで。
いや。なにを思春期の少年みたいな意識の仕方をしているんだ。リリムに思春期はなかった。生まれてからずっと成人だし、生きていくために誕生3日目でセックスを経験している。これまで数多の女性と一夜をともにし、時には愛した女性の最期を見送った。酸いも甘いも噛み分けた色男だという自負がある。マリーみたいなちんちくりんの子どもと一緒に眠ることに、なにを緊張することがあるのか。大体、マリーと一緒に寝るのなんて珍しくもない。
だから僕の心臓、別にそんなに激しく動かなくてもいいんじゃない⁈
メロ付いているちょろ淫魔。
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