52 意外な解決案
* *
「おはよう、じいちゃん」
「おはよう、リリム」
リビングに出ると、ファウヌスがひとりキッチンで後片付けをしていた。マリーとマリエッタ、ファウヌスは、もう朝食を済ませてしまったのだろう。時計を見ると、七時を少し過ぎたあたり。遅すぎるということはないけれど、この家ではリリムが一番の寝坊助ということになる。
ダイニングテーブルに座ると、ファウヌスが水とオレンジジュースを差し出してくれた。
「マリーは?」
「マリエッタと一緒に地下神殿に行ってる。今日からマリエッタも休みを取ってくれたから、郊外に行こう」
タルティーヌ──バケットにバターとジャムを塗ったもの──をリリムに差し出して、ファウヌスも席に着いた。
「郊外って、どこ?」
「ペルージュに俺の古いハウスがある。田舎だからよそ者が来たらすぐにわかる」
「ああ。あのきれいな村だね。いいと思う。近くに森があるし」
「じゃあ、車借りて、午後から出発しよう。二時間くらいで行けるから」
「わかった」
ファウヌスもリリムもそれなりに長生きなので、縁のあった場所にいくつか拠点を持っている。ファウヌスはフランスやイタリアに多いらしいが、詳しいことはリリムも知らない。リリムはあちこち出かけないのでフランス国内にいくつか拠点があるが、パリやヴェルサイユみたいな場所で、潜伏には不向きな家が多かった。なにせ、貴族の女性に譲られた場所が多いので。理由もマリーには説明しづらいから、今回はファウヌス頼りだ。
きっとイザベラは、潜伏先や手段の豊富さも見込んだ上でファウヌスに一番に頼み込んだのだろう。
「……イザベラさま、大丈夫かな」
「……彼女自身はきっと問題ないだろうけれど……マリーの方はわからないな。俺に連絡してくるってことは、良くない状況なのは間違いない」
イザベラも神の女だ。いくらファウヌスが稀に見る善良な悪魔といっても、頼りたくないのが本音のはず。あと、娘婿に頼るのはやっぱり抵抗があるだろう。
「そもそも、今ってどういう状況なのかな。僕たちがエルサレムで出会ったのは、シスター・メアリ……マリア・イワサキって日本人の聖書研究者だ。彼女が『グノーシス調査機関』の科学調査班で、マリーたちへの遺伝子提供者だった。でも、彼女と接触したからって急に計画が早まるなんてことある? そもそもマリーはまだ15歳だよ」
「さあ。書類上は18歳まで待とうと思っていたけれど、実際見てみて15歳でも大丈夫そうだな、と思ったとか?」
「マリーは健康だけど、出産ができそうなほど女性的な体じゃないよ。まだまだ子どもだから。それなら義姉ちゃんを狙うんじゃない? ちょうど出産適齢期だ」
「……リリム」
「わかってるよ」
義姉は、生来子どもを産む機能が欠けている。それが理由で妹のマリーが造られたのだ。
「でも、マリーや義姉ちゃんを造れる技術を持った組織なんだよ。不妊なんか治せるに決まってる。貴重な聖母のクローンなのに、どうして義姉ちゃんは放置されてるんだろう」
「……俺と結婚したからだろうな。お前の言う通り、処女の状態なんていくらでも再生できるだろう。でも、いくらなんでも悪魔と姦淫した体を聖母にはできない。だからマリエッタはひとまず神の母体候補からは外れたんだ」
「そっか……」
『処女受胎』を再現して神の子を再び地上に産み落とす『マリエッタ計画』。
それを成すには、聖母マリアの遺伝子を持った処女の肉体が必要だ。
処女という条件でさえ今は生体科学でどうにかなるが、悪魔の伴侶というのはいかにも外聞が悪い。
となると、現在はマリーしか母体候補がいないことになる。
「なあ、リリム。お前、気がついてるか?」
「なにを?」
「つまり──一回でもお前がマリーを抱けば、マリーは『マリエッタ計画』から抜け出せるんだよ」
「──は?」
なにを言っているのだ、この淫魔。
僕が、マリーを、抱く?
「……ファウヌスでも、言って良いことと悪いことがある」
「……怒るなよ」
「怒るよ! マリーはそもそも、こんな馬鹿げた計画に付き合うことなんてないんだ。たとえその計画のために造られたとしても、そんなの親の勝手だ。子どもに付き合う義理も責任もないよ。なのにこれまでだって学校にも通えずに、修道院で過ごしてたんだ。それで、成長したら悪魔と交われって? 冗談でしょ!」
「……リリム」
「ファウヌスと義姉ちゃんはいいよ! 好き合って結婚したんでしょ! 好きになったひとがたまたま悪魔とシスターだったんでしょ! よかったね、おめでとう! でもマリーはこれから好きなひとを見つけて、そのひとと幸せになる権利が……ッ?」
そこまで言って、激昂した頭が急速に冷えていった。
マリーは……悪魔のことが好きなんだった。
ぶわり、と一気に頬に熱がこもる。
ファウヌスがあきれた視線を向けてきたけれど、そんなの気にしている場合じゃない。
そうか。マリーは僕のこと好きなんだ。だから、僕もマリーのことが好きなら、別にそれ、問題ないんだ。
「……リリム。お前こそ、別にこんな人間たちの計画に付き合うことはないんだぞ。俺はマリエッタのことがあるから最後まで付き合うつもりだけど、お前はたまたまその場に居合わせただけの悪魔なんだから」
その場に居合わせただけ。
そうだ。たまたまイザベラを口説こうとして、ずるずると5年も引っ張った情けない淫魔なだけだ。
なのに、そんなことを言われたら胸がざわつく。居合わせただけ、なんて言われたくなかった。
「……違うよ。僕は、マリーの友だちだから。だから、マリーには幸せになってほしい……そのために、僕にできることならなんでもしたい……」
「……リリム。お前も友だち少なかったから、わからないんだな」
「え?」
思わず顔を上げると、ファウヌスはどうしようもない弟子に苦笑いを向けていた。
「お前のそれはな、友情にしては重すぎるぞ」
「えっ」
「ただの友だちには、そこまで入れ込まない。もちろん、ジョンが困ってたら俺だってできる限りのことはする。でも、せいぜいしごとを紹介したり金を渡すくらいだ。アイツの将来のことまで考えたりしないさ」
「そ、そうかな……? でも、マリーは一番大事で大好きな友だちだよ?」
「俺にとってだってジョンは大好きで大事な友だちだ。でも、リリムみたいに朝から晩まで一緒にいて、着るものや食事の世話なんか焼かない。そういうコトをするのはマリエッタにだけだ」
「……それは、じいちゃんがそういうヤツってだけじゃない?」
「お前が知り合う人間全員にそれだけ情が厚かったら、お前はもっと世界中に友人がいただろうよ」
リリムに人間の友人は少ない。女性関係で揉めることの方が多かったので、関わることも控えるようになっていた。ファウヌスだって淫魔なのだから女性関係で揉めた経験がないわけがない。それなのに、ファウヌスは人間の、しかも同性の友人が大勢いた。
「…………」
「もちろん、強要なんかしない。ただ、案外それが一番カンタンな解決方法で……相手が嫌がっているのは、そっちなのかもな」
リリムがファウヌスにケンカ腰になるのは500年に一回あるかないかのレベルです。
ーーー
面白いなと思われたら、ブックマークや評価で応援よろしくお願いします!




