49 お友だちと恋人は両立する?
「……リリムって、もしかしてすごい悪魔だったりするんですか?」
すっかり落ち込んでしまったマリーが、しょんぼりとそんなことを尋ねてきた。
隠し通路から地上に出て、ローマ劇場を見下ろせる場所に立つ。地下よりはずっと暖かな秋の陽気を感じながら、リリムは笑った。
「ぜーんぜん! 僕は悪魔の中でも若手で、やっぱりよわっちい淫魔だよ。マリーが僕よりさらによわっちいだけ」
「むぅ! リリムのいじわる!」
「あははは! たしかに、今のはリリムがいじわるだ」
ファウヌスが声を上げて笑うので、マリーは顔を上げた。
「俺たち淫魔は、やっぱり悪魔としては格下だよ。ただ、リリムは魔術の天才だ。これだけ多様な魔術を習得した悪魔はほかにはいない。
もっとも、どんなに偉大な魔術が使えても、精気が確保できなきゃエネルギー不足で消滅するから滅多に使わない。リリムが言ってただろ。本当に、ただのリリムの趣味なんだ」
「……使う予定もないのに、魔術を覚えたってコトですか?」
「まあ、本音は魔術っていうより、魔術体系の方に興味があって調べてたら、魔術も使えるようになったってだけなんだけどね」
魔術は人間の風俗や信仰に基づいている。病気を治したり、悪い出来事から遠ざかるようにお祈りをしたり。現代では、それは科学や化学に成り代わっている。
けれど、どちらも社会に対する役割は同じだ。ひとの安寧の礎になるもの。誰もが信じて疑わない共通概念。
それも今は変わりつつあって、いずれ科学・化学からコンピュータ・サイエンス──AIにとって代わられるだろう。いつかはAIが人間の生活にとってなくてはならない存在になる。かつての魔術のように。
ファウヌスは人間の風俗、ひいては人間そのものが好きだ。だから、今はコンピュータについて学んでいるのだろう。リリムの人間への興味は、魔術の時代で止まってしまっていた。だからリリムには魔術しかわからない。
「でも、リリムはすごく頑張ってた。若い悪魔だから『全部』なんてできたんだろうな。俺たち古い悪魔は、自分の存在の成り立ちや神との因果に引っ張られて、どうしても使えない魔術があるから」
「ああ、それもそっか」
ファウヌスに褒められると、ちょっとくすぐったい気分になる。と言っても、古い悪魔が”得意”だと言う魔術は、とうていリリムや人間が及ぶ威力と範囲ではない。ファウヌスはそんなに多くの魔術は使えないが、森の中だけでならどんなことでもできる。彼はもともと森で過ごしていた存在だから。
それに、淫魔は人間の夢をある程度思いのままに操作できる。最弱と言ったって、人間からすれば十分に大きな脅威なのだ。
「……リリムは、いっぱい勉強したんですか?」
マリーの大きな瞳が、じっとこちらを見つめてくる。それが、驚いたままこちらを警戒する猫ちゃんみたいで、ちょっと楽しくなってきた。なんだかマリーのこういう顔、久しぶりだな。
「魔術についてはね」
「……私も、勉強したら、リリムみたいにたくさん魔術が使えますか?」
「それはやってみないとわからない。魔術には相性もあるからね。でも、魔術を学ぶことはきっとマリーの役に立つよ」
マリーはその生まれから、宗教や魔術の世界と無縁ではいられない。
なら、しっかり学んで、自分の身を守れるようになった方が良い。それが、イザベラの目指したマリーの教育方針だ。リリムも大賛成である。
「……わかりました。これからも、ちゃんとお勉強します」
「うんうん! そうだね! それじゃあ、せっかくリヨンにいるんだし、土地にまつわる魔術や歴史について勉強しよう! 古代ローマ劇場の地下神殿はロマンがあるけど、僕あんまり詳しくないんだよね。多分、イザベラさまに言って機関の古文書を読ませてもらった方がいいかな。ノストラダムスの予言書がリヨンの出版社発信っていうのは知ってたかな? 近代オカルト史だって社会現象にもなれば魔術世界も無視できないもんね」
「り、リリムがイキイキしてます……」
「俺も知らなかったな。リリムって教えたがりだったんだ」
「マリーにだけだよ」
そう言ったら、マリーの夜の瞳がぴかぴかとひかめいた。滑らかな頬がアーモンドの花の色に染まる。
「そうですね! リリムは私がはじめての生徒ですもんね!」
「そう言われたらそうだね。マリーに教えてるのは楽しいよ。ちゃんと勉強しようね」
「はい!」
マリーがうれしそうに笑って手をつないできたので、後ろでファウヌスがにこにこしているのもどうでも良くなった。
「それで、午前中はリリムくんとお稽古して、歴史地区を巡ってたんですか」
しごと上がりのマリエッタと合流して、ビストロで昼食を取る。
フランスはどちらかというと昼食が重めだ。朝は甘い物、昼は前菜からデセールまでしっかり食べて、夜はパンとサラダ、スープなどで軽く済ませる。
コースではなくアラカルトにして、マリーが好きそうなものをみんなで注文した。前菜はカリカリベーコンとポーチドエッグが乗ったリヨン風サラダ、ポテトフライ、パテ・ド・カンパーニュ、野菜のキッシュ。メインは牛肉のタルタル、鴨のコンフィ、リヨン名物のクネルにして、デセールはそれぞれ好きなものを頼む。
マリエッタがサラダをとりわけながら、マリーの話を楽しそうに聞いていた。マリーもうれしそうにバケットをかじりながらうなずく。
「はい! リリムはとっても物知りなんですよ! ノートルダム大聖堂を見学しました」
「マリーには縁がありそうだしね」
ノートルダム大聖堂には教会堂が二つあり、フルヴィエールの下側の教会堂は聖母マリアに奉献するために建造された。毎年、「無原罪の聖母の祝日」である12月8日から12月11日にかけて、リヨンは聖母マリアのために街中にキャンドルを灯す。リヨンは聖母マリアを敬愛する土地柄だった。
「わたしも結婚する前にファウヌスに連れて行ってもらいました。とても豪奢な建物ですよね。黄金のマリアさまはちょっとやり過ぎな気がしなくもないですけど」
「けっこうな成金趣味だよな。わざわざ街が見渡せる丘に建ててるし、見せびらかそうと思ってつくったんだろう。おかげで現代まで残っているんだから、意味のある金の使い方だったのかもしれないけど」
「ファウヌスったら。教会に預けられた浄財で聖なる場所が増えたんですよ。当時のお金持ちの方には感謝です!」
「俺は悪魔だから、そこは別に感謝ポイントじゃないな。マリエッタが喜んでるから良かったなと思うだけだ」
そうか。ファウヌスとマリエッタは、普段こういう感じなのか。あまり長くふたりと過ごしたことはなかったから、ちょっと新鮮だ。
ファウヌスがなんだか、ただの男に見える。今のファウヌスを見ていると、やはりリリムに見せる顔は師匠面だ。少し線を引いた感じ。今朝ジョンに言ってたけれど、カッコつけてたのかな。
「リリム、リリム! これすーっごくおいしかったですよ! 食べてみてください!」
マリーは大人しくしてると思ったら、料理に夢中だったらしい。パテ・ド・カンパーニュを切り分けて嬉々として口に運んでいる。一切れ切った肉のかたまりをフォークに指して、リリムの口元へ差し出す。
「はい、あーん」
「ん。……うん、おいしいね。すごくお肉って感じがする」
「冷菜なのにジューシーですよね!」
「でもお肉ばっかりじゃなくて野菜も食べて。この野菜のテリーヌ、きれいだよ」
「…………」
「…………」
ファウヌスとマリエッタが、なにか言いたげにじっとこちらを見ている。
「なに?」
「……リリムくんは、うちのマリーのことはちゃんと考えてくれてるんですよね?」
「またその話?」
「マリエッタ、それもう俺が聞いたから」
「どんな回答でも自分を抑えられないかもしれません。ファウヌス、手を握っててくれますか?」
「手だけでいいのか? 羽交締めとかじゃなく?」
「マリーは友だちだよ。それ以外にないから」
昨夜ファウヌスに言ったことを繰り返す。隣でマリーがうれしそうにうなずいていた。
「んふふー! リリムは私のことが一番好きなんですよ!」
「マリーは僕のことが三番目に好きなんだよね」
「……ちなみに、一番と二番は誰なんですか?」
「おねえさまとイザベラです!」
満面の笑みを浮かべるマリーに、マリエッタはなぜか悲しそうな表情を浮かべる。
「そ、それは……マリーにとって、家族以外で一番好きなのはリリムくんということです、か……?」
「そうですね」
マリエッタは絶望に両手で顔を覆った。テーブルに肘をつけて項垂れる。そこまでのこと?
「……マリーは、まだ15歳なんです……」
「う、うん。そうだね。もう15歳だね」
「……同じ歳のころ、わたしはイザベラさまに勝つことしか考えていない子でした……」
「そうかー。だから義姉ちゃんはそんなに強いんだね」
「マリーは、わたしよりおませさんですね……その……リリムくんはマリーの、こ、恋人、なんですか……?」
「だから、友だちだって言ったでしょ」
「友だちと恋人は両立しないんですか?」
「しないよ!」
「えっ」
急にマリーが声を上げたので、隣を見る。マリーもこちらをじっと見ていた。大きな夜の瞳からは、なぜか感情が読み取れない。
「お友だちと恋人は両立しないんですか……?」
「僕はしないよ」
少なくとも、リリムは友愛と性愛は全く別だと思っている。リリムはファウヌスを見上げた。
「うーん。俺も両立しない派だけど……こればっかりは個人の趣味だからなあ。俺たちは淫魔って属性も影響してるだろうし」
「マリーはする派?」
「だって、リリムはお友だちですし、大好きなので」
「マリーの『大好き』は、友だちの『大好き』でしょ」
「リリムの『大好き』も、お友だちの『大好き』?」
「そうだよ」
正直に答えたのに、まだマリーは首を傾げている。
「……リリムは私が別の男の子のお嫁さんになっても平気なんですか?」
「少なくとも、僕とイザベラさまと義姉ちゃんが認めた男なら」
「認める気があるんですか?」
「もちろん。僕よりマリーが好きで、僕よりマリーの役に立って、僕よりマリーを大事にできる僕よりカッコいい男なら」
「そんな人類いないと思いますけど」
「いてくれないと困るよ!」
マリーは少し機嫌が治ったようで、満足そうに笑った。今の会話のどこにマリーが満足する要素があったのだろう。
「……まあ、今ははいいです。別に急ぐ話でもないですし」
「…………」
「ねえリリム。私、タルタルも食べてみたいです。わけっこしましょう」
「う、うん」
マリーはけろりとした表情で、すぐに食事に戻ってしまった。
マリエッタとファウヌスからは、じっとりとした視線を感じる。ただ、現状どうすることもできずに、リリムはマリーに黙って従った。
ただ、内心はわりに混乱している。
「………………」
えっ。
マリーって、僕のこと好きなの?
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