47 やきもちなんかじゃないよ
ファウヌスが会議をしているのとは反対側のテーブルで、マリーにパン・オ・ショコラとカフェ・オ・レを出す。リリムは昨日の残りの豚のリエットとバケットを並べた。どちらもマリーと半分ずつにする。
バターがたっぷり練り込まれたさくさくのパン・オ・ショコラをほおばるマリーを見ながら、リリムはお小言を言う決意をした。……あんまりうれしそうでご機嫌だから。
「マリー。さすがに、初対面のひとにいきなり物を教えてもらおうとするのは失礼だよ。大体、ジョンがどのくらいの腕のひとかわからないでしょ」
「そうですけど……なんか『このひとだ!』って思ったんですよね。腕だって、まあ、おにいさまと一緒におしごとしてるくらいですから、きっとすごく優秀なひとなんだと思いますし」
ファウヌスはさすが長命とあって、知識と技術と経験を兼ね備えた、腕のいいエンジニアらしい。詳しいことはリリムにはわからないが、人間のルール内でもそれなりの稼ぎと聞いている。まっとうに働いたことのないリリムにはよくわからない世界だった。
マリーは悪魔を見分けるし、ひとの悪意にも敏感だ。画面越しとはいえ、マリーにここまで言わせるほどジョンは善良なのだろう。
実際、相当いい奴だとリリムも思う。例え悪魔が寄ってきても持ち前の善性で秒で論破しそうだ。
「……マリーって、ジョンみたいなひとが好みなの?」
「はい?」
マリーがリリムを見て、首を傾げた。
あれ、僕なんでこんなこと訊いちゃったんだろう?
「いや、あんまり急だったから。一目惚れってやつかなって」
「やですねえ、リリムってば! 妬きもち妬いちゃったんですか?」
マリーが本当におかしそうに声を上げて笑う。なぜだか、自分の頬が熱を持った気がした。
「そ、そんなんじゃないよ!」
「それこそ、私もそんなんじゃないですよ。本当に、アプリ関係のことはネットやAIで調べるのがそろそろ限界だったんです。でも、こっち方面のことはイザベラにもリリムにも教えてもらえないでしょ? だから、本当にちょうどタイミングが良くて、ダメ元でお願いしてみただけです。ジョンさんがいいひとそうなのは、決め手のひとつですけどね」
マリーは食べかけのパンをお皿に置いて、ていねいに手をふいてから、リリムの頭をなでてきた。
「私はリリムが世界で三番目に好きですよ」
「……一番は?」
「おねえさまです」
「……二番目は?」
「イザベラです」
「……僕が三番目?」
「はい」
「…………よし」
「機嫌直りました?」
マリーが満足そうに笑うのが、なぜだか悔しい。
とっさに頬に唇をくっつけた。マリーの甘い味がチョコの味を消してしまう。
「あははは! リリムってば、チョロすぎー!」
「うるさいな! お勉強を教えてってお願いしたんだから、ジョンの課題をやりながら、僕やイザベラさまの課題もやるんだよ? 手抜きはしないから!」
「あっ」
「考えてなかった? でももうダメだからね。反対する理由もないし、ジョンにはもうお願いしちゃったんだから」
「ぅう……リリム、ちゅーしてあげるので、ちょっとだけ負けてください……」
「ダーメ!」
「こら、いちゃついてないでちゃんと食べなさい」
低い声で注意してきたのはファウヌスだ。どうやら会議は終わったらしい。ノートパソコンを片付けている。
「しごとはジョンに引き継いだから、しばらくはマリーと一緒にいられる。どう過ごそうか? 修業するんだっけ?」
「戦闘の方は義姉ちゃんに任せるとして、僕が教えられるのはやっぱり勉強かな。魔術について重点的に教えようか」
ファウヌスに相談するつもりで考えていたことを話したら、隣のマリーが嫌そうに顔をしかめた。
「ええ? 直接狙われそうなのに、お勉強なんですか?」
「相手が宗教家だからね。『グノーシス調査機関』の人間なら、体術か魔術、あるいは両方使ってくるだろ。場合によってはロボットと組み合わせた魔術なんてのが出てくるかもしれない。そういうのは、魔術の仕組みがわからないと解体できないからね。勉強は大事だよ」
「なんか、ぴんときませんね。実際のところ、魔術って戦闘で役に立つんですか?」
「マリーだって結界張ったりするでしょ」
「それくらいしか使いません。イザベラだってルーン文字を使うくらいです。おねえさまに至っては、ほとんど魔術なんて使いませんよ」
義姉はちょっと規格外なのでノーカンでお願いしたい。
ただ、マリーの言う通り戦闘に向いた魔術というのは、実際さほど多くはない。多くはないが、知っておいて損はないのだ。それが座学だけでは分かりづらいのだろう。
「うーん、そうだなぁ。……なら、試してみようか」
フランス・リヨンはスイス、イタリアと国境を接するフランス南東部地域だ。人口は約50万人。ヴォージュ山脈に源をおくソーヌ川と、アルプスから流れ出るローヌ川が合流する地点にあり、昔から商業都市として栄えてきた。ローヌ・アルプ地方の中心都市であり、現代ではパリ、マルセイユに次ぐフランス第三の都市と言われている。
名所として名高いのは、やはり旧市街地だ。「フルヴィエールの丘」と呼ばれる場所を中心に古代から中世の建築物が残されていて、特に目立つのは紀元前1世紀に造られた史上最古のローマ劇場だろう。
この古代劇場の収容人数は一万人を越え、現在もコンサートや演劇が開催されている。古い上に最も長く使われている劇場とも言えた。広大な敷地の下には神殿、地下水路が発見されていて、考古学的にも保存が進められている。ただし、地盤沈下が進んでいてなかなか調査は進展していない。
その今にも崩れそうな地下神殿を魔術的に補強しているのが『グノーシス調査機関』だった。
「……なんでリリムがこんな場所知ってるんですか?」
ふてくされた様子のマリーの声が地下神殿に反響する。
地下神殿にはしっかりとした石柱が何本も立っているが、広いだけでなにもない。最奥には祭壇のようなものが見えたが、そこに神性はもはや欠片も残されてはいなかった。神殿としての格も用途も、今のこの場所にはないのだろう。ただ広大な空間だけが広がっているだけの、忘れ去られた聖域だった。
空気はひんやりと冷たい。地上はそろそろ暖かな空気が漂う季節なのに、この地下神殿は吐く息さえ白かった。
「出掛けしなにイザベラさまが教えてくれたんだよ。『マリエッタと使う時はほどほどに』って言われてたけど、マリーと僕が使うのならあんまり遠慮はいらない程度には補強されてるんじゃないかな」
試しに石柱に触れてみる。結界と強化の魔術が施されていた。なかなか強固で、この辺りで大型の地震が起きたとしてもなんとか持ちこたえられるんじゃないだろうか。
そして、高い高い天井には、わずかに電気信号が赤く光っている。防犯カメラが設置されているのだろう。神秘を失った地下神殿にも電気は通っているらしい。一応、目隠しの魔術を使っておこうかな。
「それで? よわっちいリリムがこんなところで私になにを教えてくれるんですか?」
「そりゃ、あの話の流れだろ。戦い方に決まってる」
そう言ったら、マリーは可愛い顔を悪そうに歪めて鼻で笑った。マリーって時々すごく性格が悪く見えるな。
「ふふーん! ひょろひょろリリムが、私にケンカで勝てると思ってるんですか? イザベラやおねえさまには及ばなくても、私、いくらなんでもリリムにケンカで負けたりしないです!」
「そりゃ『集中』を使われたら微妙だけど、普段のマリーなら、魔術を使ってよければ僕だって勝てるよ」
「淫魔は弱いって、普段自分で言ってるくせに」
「弱いよ。肉体強度は人間と同じだし、不老でも肉体は普通に傷つくからね。それに、基本的に淫魔だからって魔術が扱えるわけじゃない。僕は趣味で使ってるだけだ。ケンカ目的じゃないし、人間にも悪魔にも向けて使うことはほとんどない」
「じゃあやっぱりよわよわじゃないですか」
「よわよわの僕にも、今のマリーじゃ敵わないってコト」
「む」
マリーはかわいい顔を不愉快そうに歪めた。今まで散々よわっちいと思ってきたリリムにケンカを売られて、プライドが傷ついたらしい。
マリーは静かに拳を握り込んで、姿勢を低く保った。運動しやすいようにと身に付けた長袖のTシャツとパンツが、普段よりマリーの体の線をしっかり見せている。細いけれどしなやかな筋肉が感じられて、子どものころとはやっぱり違うな、と思った。
リリムは、あえて挑発的に笑った。
「おいで。マリー。今日は僕が、ただかわいいだけのお前のリリムじゃないってところを見せてあげる」
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