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淫魔リリムと悪魔祓いマリーは、善悪の境界線でステップを踊る。  作者: 芝村あおい


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04


 リリムの間抜けな声に、マリーはやれやれ、とあからさまに肩をすくめてみせる。


「人間が身体を動かそうとする時、脳から四肢へ『動け』と電気信号が発します。それによって体の中のホルモンとかいろいろ組み合わさることで、体は命令通り動くんです。

 私は自分の体の電気信号とホルモンバランスを調整して、都合の良い力を生み出します」


 えへん、と胸を張る仕草は、生意気に見えるがてんで幼い。おそらくシスター・イザベラあたりの解説をそのまま丸暗記しているのだろう。

 それなりに微笑ましい様子だが、その内容にリリムは眉を上げた。

 彼女の話は、要する体内ドーピングで無理矢理体を基本性能以上に動かしているということだ。


「……そんな風に体を使って、無事なのか?」

「……だからイザベラからうるさく言われているんです」


 なんてことだ。絶対やらない方がいいやつじゃないか!


「……本当に使うなよ、そんなモノ」

「助けられた側が言うセリフですか?」

「言わせてもらう。さっきも言ったが、子どもってのは守られるべき存在だ。お前は僕より強いかもしれないが、お前は守られる側なんだ。絶対忘れるなよ」

「ふん。別に私のこと守れるわけじゃないくせに」


「──守れるよ。いくら僕が非力でも、お前みたいな女の子ひとりくらいは」


 その程度にはプライドがあった。淫魔として、男として、子どもひとりくらいは守れる。大人としてそうであるべきだ。きっとファウヌスも同じように言うだろう。

 マリーは驚いたように目を丸くして、それから少し頬を赤らめた。ぷいと顔を背けてしまう。


「……非力な淫魔が大口叩きますね」

「言ってろ。非力でもできることは山程ある」

「……じゃあ、もし私が誰かに襲われてたら、守ってくれるんですか?」

「僕がその場にいればね。当然だろ」


 子どもを守るのに理由は不要だ。理由は悪魔としての生産者保護と、人間社会に馴染みすぎた倫理観から。マリーは黄色人種にしては白っぽい頬ををますます赤くして、ちらりとリリムを見上げてくる。


「……ふーん。本当にお人好しなんですね……」

「こういうのはお人好しとかじゃないだろ」

「自覚ないんですね。まあいいですよ。ほら、さっさと行きましょう。べつに私の歩幅に合わせなくてもいいです。走っちゃえばいいですからね!」

「廊下は走らない!」

 




 

 レストランスペースの隣に設けられた簡易の祭壇で、新郎新婦のふたりはシスター・イザベラの前で結婚証明書にサインを入れた。誓いの言葉を交わす美しいふたりの姿を、リリムはぼんやりと眺める。

 悪魔は人間の精気を食らって生きている。淫魔であれば、性欲がともなうものならなお良い。淫魔が人間の伴侶を持つことも珍しくなかった。その方が定期的に精気を摂取できるからだ。

 けれど、これまでファウヌスもリリムも、伴侶を持ったことはない。

 理由は単純で、人間の最期を見送るのは寂しいからだ。いつだって、何度繰り返したって、寂しい。つい最近も、リリムはお世話になっていた女性を見送っていた。

 たったひとりだけの、代わりのきかない大事なひとを選ぶ覚悟──それを決断したファウヌスの気持ちを、リリムはどこか遠くに感じた。

 

 




 宣誓式の後は、同じ会場のテーブル席へ移動する。

 新郎新婦は主賓の席へ。司祭役だったシスター・イザベラは親族の席に着いた。イザベラの隣にはマリーもいる。遠目で見ても花の妖精みたいな顔をしていた。すぐに目が合うと、大きな夜の瞳がまたたいて、ためらいがちに小さく手を振ってくる。ほほえましくて、思わず笑って手を振った。気に入られたかな。まあ、僕は女児にもわかる格好良さだから、仕方ないな。


 改めてテーブルへ視線を向けると、ちょうど給仕がアペリティフを運んできた。

 フランスの結婚式はここが長い。つまみと酒を味わいながら、小一時間もしゃべり通す。立食のことも多いが、今回は場所がなかったのか親族や友人、知人(悪魔)とそれぞれテーブルが分かれていた。

 アペリティフにはクネルのエビソース添え、グジェール(チーズを入れた甘いシュー生地)、ブレス鶏のリエット、ロゼット・ド・リヨン(豚肉100パーセントのドライソーセージ)、ジャンボンなどが並ぶ。

 ファウヌスは美食家だ。食べ物にうるさいので、きっとおいしいのだろう。ファウヌスはよく「極上の食事からは人間と同等の精気が得られる」と言っていた。たしかに食べ物からもわずかに精気は得られるのだが、人間の精気とは比較にならない量でしかない。ファウヌスは、悪魔の中でもとびきりの変わり者だった。

 リリムもあまり人間の食事に興味はない。けれど味の善し悪しはわかるので、一応味わって食べる。


「あー、俺も彼女ほしい」


 隣から品性下劣な声が聞こえて、リリムは思わず振り向いてしまった。

 30代前半の容姿をした平凡な顔の黒髪の男が、似合わないタキシードを着ていた。


「サタン……さま」

「俺もマリエッタちゃんみたいなかわいくて素直そうな彼女がほしい……」


 さめざめと涙を流すのは、祝福ではなく己の身の上を考えた虚しさからだろう。喜びに満ちた式場で無粋なことを言う辺り、確かにコイツは悪魔の王だ。最悪。

 サタンの隣にいた悪魔が、さっとハンカチを差し出した。サタンの右腕であるアシュタロスだ。確かふたりとも今は日本にいて、揃って見るのは数十年ぶりだった。


「だからイヴを誘惑した時に妻にしておけば良かったのに……」

「だって俺あの時ヘビだったんだぞ? 初夜でそれはちょっと特殊プレイ過ぎるだろ?!」


 我らが王はどうやら女性との関係に夢を持っているタイプらしい。知りたくなかった。


「悪魔だから家庭を持つ必要なくない? 俺、ファウヌスのことぼっち仲間だと思ってたのに……!」

「ファウヌスじいちゃんが家庭を持たなかったのは、アンタと違ってモテなかったからじゃないぞ」

「うるさい。淫魔の小僧。俺にだって事情があった──ん? お前、栄養不足か? なんか弱ってるな」


 騒いでいたサタンが一瞬、光のない黒い瞳でこちらを見た。やっぱりコイツは一応悪魔の王なのだ。自分の状態がひと目で筒抜けになって居心地が悪い。


「……最近、ちゃんと精気が吸えてないだけだよ」

「貴方、宿主を決めるタイプだったじゃないですか」


 アシュタロスが驚いた様子で口を挟む。


「そうなんですけど。……最近、宿主が亡くなって……二カ月くらい食事できてなくて……」

「二カ月⁈ お前、今日の来賓客から選んで誰でもいいから食っちまえよ!」

「ダメ。みんなファウヌスとマリエッタ義姉ちゃんの知り合いだもん。お行儀よくしたい」


 アシュタロスが気の毒そうにこちらを見る。


「……ファウヌスは子育てが上手ですね。ただ、いくらなんでも我慢し過ぎでしょう。二カ月も精気が吸えないと、そのうち寝たきりになりますよ」


 悪魔は食べなくても消滅したりしない。基本は不老不死なのだ。けれど、あまり食事をしないと動けなくなって、最後には冬眠するみたいに眠ったままになる。時には空腹のあまり理性をなくしてひとを襲うこともあり、そのため悪魔祓いを呼ばれて消滅につながることもあった。


「別に食べるモノがないわけじゃないだろ? 今の世の中、どこもかしこも人間の欲望と罪だらけなんだ」

「うん……でも、やっぱりどうせ頂戴するなら好みの女性がいい……」

「わがままかよ」

「ファウヌスでも偏食は治せなかったんですね」


 王と側近が呆れた顔をするが、こればかりはリリムのポリシーだ。女性は選びたい放題の淫魔だが、だからこそ誠実にお付き合いできるひとを探したいのである。


「──というわけで、好みの女性のところへ行ってくるね!」


 リリムは悪魔のテーブルから立ち上がり、そそくさと別の場所へ移った。

 目当ては一カ所しかない。


「美しいシスター・イザベラ。僕もご一緒していいですか?」


 シャンパンだけ持って、身を屈めて話しかける。白いローブを纏ったままのシスター・イザベラは、静かな瞳でリリムを見た。


「……貴方も変わった悪魔ですね。わざわざシスターと同席したいのですか?」

「ええ。ファウヌスの身内なので」


 できるだけ甘くほほえんで見せたが、イザベラはどうぞ、と静かに返すだけだ。


 つれない。だがそこがいい。


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