29 ゆめのはなし02
少しだけセクシーなシーンがあります。
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リリムはオリーブの丘の下にある町で、ファウヌスとサロメと一緒に暮らすようになった。
サロメは、町の裕福な商人が妾に産ませた子どもらしい。
「お父さんは奥様よりお母さんの方がよかったんだって。でもお母さんは奴隷だから、奥様からわたしたちへの当たりがすごくキツくて。わたしは家の中に居づらくて、よく町の中をふらふら歩いてたの。そうしたらファウヌスがわたしを見つけてくれて、お父さんに話して、ファウヌスの家にいることになったんだ」
町の端にある井戸から水を汲みながら、サロメは身の上を話してくれた。
水場も、食事をつくる場所も共用。町のひとびとはそれぞれ協力し合いながら生活をしているようだった。食事もおかずを交換したり、お互いに子どもの面倒を見合ったりしている。
そんな生活の中で、ファウヌスは異質だった。
「あ、ファウヌスだ!」
リリムと一緒に水を運んでいたサロメが、町の中央にひらけた広場に視線を向けた。
ファウヌスが少年たちになにごとかを語って聴かせている。少年たちは白い砂の上に座って、大きな瞳でじっとファウヌスを見上げていた。
「なにやってるんだ?」
「町の決まりごとを教えてるんだって。律法って言うの」
「サロメも一緒に聴かなくていいのか?」
「女の子にはいらないんだって。お金のこととか、収穫のこととか、取り引きのことを教わるって言ってた」
「ふーん? それは女の子にいらないの?」
「女は子どもを産んで育てるから、なかなか収穫に出られないし、忙しいからそういうのは男のひとに任せるんだって。男のひとは赤ちゃん産めないからね」
「そっか」
言われたら、そんなような気もする。女の方が働き者なのが人間という種なのだろう。
「ファウヌスって、いつからあんなことしてるの?」
サロメに問いかけると、サロメも首を横に振った。
「わかんない。気がついたらこの町にいて、いつの間にかいいひとみたいって噂が流れてたの。奥様もお母さんも、なんだかすてきなひとねって言ってたし」
「ふーん」
明らかに成人している異国人なのに、妻帯していない。積極的に町のひとびとと交流しているようには見えないが、なぜか信頼されていて、子どもたちからは「師匠」と呼ばれている。
さらに保護者からは悩み事や相談事も聞いているようだったが、なぜそんなことをしているのかは、いまだにさっぱりわからない。
リリムはサロメのくるくるとした黒い巻き毛を真上から眺めながら、この娘を引き取っている理由もわからないな、と首を傾げる。
ファウヌスはわからないことばかりの男だった。
「ファウヌスってどいうひと?」
率直にサロメに質問してみると、黒く大きな瞳がリリムを見上げた。
「うーん、わたしにはとっても優しいけれど……それは誰にでも、かな」
「そう? 顔はけっこうむっすりしてない?」
「顔だけだよ。あんまり笑わないし愛想はないけど、困ってたら声をかけてくれるし、『困ってる』って言ったらなんとかしてくれるの。わたしの時もそうだった」
なるほど。それはたしかに、信頼されるかもしれない。
けれど、それをしてファウヌスになんの得があるのだろう。
ファウヌスは悪魔だ。
悪魔は人間やどうぶつの陰の気が集まった邪精霊が受肉した存在で、淫魔はその悪魔の中でも下っ端。人間を性的に惑わせ、その精気を食らって生きるだけの存在だった。
人間を惑わすために、淫魔の容姿は異性を惑わせる姿をしている。美しかったり、凛々しかったり、裕福に見えたり。ファウヌスは美しく、理知的に見えた。
けれど、本来はそれだけだ。それだけで、食事をする程度の人間関係は持てる。あんな風に熱心に人間と関わる必要なんてない。
人生経験がほぼ皆無のリリムからしても、ファウヌスは淫魔にしては少し変わっているな、という印象だった。
どうしてファウヌスはこんなことをしているのだろう。
「どうしてファウヌスは教師をしてるの?」
夜。サロメが寝てしまってから、ファウヌスに訊ねてみた。
ファウヌスは夜になると自室で陶器片の書き付けを眺めていることが多い。時折、どこから持ってきたのか高価な羊皮紙製の本まで読んでいることがあった。
今日もろうそくの火で文字を追いかけていた赤瞳が、ゆっくりとリリムに向けられる。
「……俺は、人間を学んでいる」
「なんで?」
「自分が食べるもののことを知らないのは、なんだか気持ちが悪くないか?」
リリムは首を傾げた。そういうものだろうか。食べなければ生きていけないのに、そんなことを考える余裕なんてあるんだろうか。
「……俺たち淫魔は、人間の女を誘惑する。そういう生き方を定められた存在だ。だが、そもそも『誘惑』とはなんだと思う?」
「えっと。相手を悪いことするように誘導すること?」
リリムの拙い答えに、ファウヌスは少し表情を柔らかくした。そういう顔を見ると、雪解けの春のようなかがやきを感じる。
「そう。俺たちがそそのかすのは『姦淫』──倫理に背いた肉体関係だ。だが、倫理とは、なんだ? 誰が決めて、それを守ることにはどんな意味がある?
それがわかってはじめて、『倫理を乗り越えて罪を犯す』快楽がわかるんじゃないのか」
そこまで語られて、ようやくリリムは思い至った。
「──一番おいしい食事を探してるってコト?」
「まぁ、そうだな」
とんでもない凝り性だ。生きていくために必要な食事を、技法を凝らしておいしくいただこうなんて、まるで人間みたい。
「……前から思ってたけど、ファウヌスって変な悪魔だ」
「……お前のような赤子にまでそう言われるとは……」
意外にも、ファウヌスは整った眉をひそめた。どうやら落ち込んでいるらしい。
「……もしかして、僕をひろったのは自分のことわかってほしかったからなの?」
「…………」
ファウヌスは黙ってしまった。リリムは笑う。なんだ、無表情なだけで、本当は寂しがりやなのか。相当変な悪魔だ。
「……ねえ、ファウヌス」
「──少し静かに」
ファウヌスは唇に指先を押し当てて、裏口に向かう。視線を向けられたので、付いて行っても良さそうだ。
「──ファウヌスさま、いらっしゃる?」
裏口の外から聞こえてきたのは、まだ若い女の声だった。
「……ああ」
「主がお呼びです。どうぞ、いつもの場所へ……」
女はそう言って、そっと離れていく気配がした。この辺りで、奴隷を使っている家は多くはない。
ファウヌスは、黒いローブと火を持って裏口から外へ出る。
「お前も付いて来い」
「え?」
「──ここでの食事の仕方を教えてやる」
そこは小屋というには広さがあった。
しかし、調度品の類はほとんどなく、奇妙な空間に見えた。一番奥に柔らかそうな大きな寝台が置いてあり、壁際にはいくつかのイスが配されている。そうして、それらに女たちが腰掛けて、部屋の中央の催し物を眺めていた。
中央では、男女が数人、敷布の上で睦み合っている。
女の嬌声と、汗と精液のにおいが部屋に充満している。それを消すためなのか、においの強い草が燃やされていた。部屋は煙でけぶっていて、それがこの部屋の光景から現実味をなくしている。
「ファウヌス、来てくださったのね」
一番奥の寝台にいた女が、ファウヌスに微笑みかけた。
「……ああ」
ファウヌスは少しの愛想も見せずに、ただ女に赤い瞳を向ける。女の合図で近寄ってきたのは黒い巻き毛の女で、ファウヌスから明かりを受け取って部屋の隅に下がっていってしまった。
ファウヌスは部屋の主と思しき女の傍へ歩いていく。目の前に立った時、女はファウヌスの後ろに控えるリリムへ濁ったまなざしを向けた。
「そちらの素敵な方は?」
「……俺の親類だ。最近、家で面倒を見ている」
「そう。さすがファウヌスの親類だわ。この部屋を見ても驚かないのね」
女は舌なめずりをするようにリリムを見つめてくる。
とくに嫌悪感はない。むしろ、やけに飢えを感じていた。
「……うん。僕こういうの、とっても興味あるよ」
薄く笑んでそう返すと、女の顔がうっとりと笑んだ。齢は重ねたように見えるが、ほっそりとした知的な印象の美貌の持ち主だ。さぞ、賢明な人生を歩んできたに違いない。
「……なら、あの子とするといいわ。せっかくだし、部屋の真ん中で、ね?」
女が指さしたのは、先ほどファウヌスから明かりを受け取った巻き毛の女だった。質素な身なりからして、彼女の奴隷なのだろう。
「きっと好いわよ? かなり使い込んでいるはずだから」
女の顔は美しく整っているはずなのに、不思議と邪悪に見えた。同族のような気配がする。
身も心も、堕落しきってしまったのだろう。天から地へ堕ちる時は一瞬なのだな、とリリムは思った。
食べごろだ。
女をここまで仕上げたファウヌスを見上げる。
「……食事の仕方は、わかるな?」
「……うん」
飢えの満たし方がわからない生物はこの世にいない。
女主人は黒い巻き毛の奴隷を呼び寄せ、リリムに引き渡した。
奴隷の女は怯えた色を瞳ににじませているのに、自らリリムの手を取った。導かれるまま、部屋の中央へと向かう。そこにはわずかばかりの布切れが敷かれていた。意外なことに清潔そうで、使い古されていてもていねいに洗われているらしいことがわかる。この奴隷のしごとなのか、はたまた別の奴隷か、女主人の差配かはわからなかった。
リリムは周囲の視線を感じながら女を組み敷き、その顔をまじまじと眺める。
浅黒い肌、大きな黒い瞳。つやのある巻き毛。怯えているような、諦めたような、奴隷らしい表情で見上げられて、鼻にかかる甘い声で話しかけられる。
「……どうぞ……旦那さま……」
なるほど。たしかに手慣れているらしい。それが彼女の意思によるものなのかはわからないが、女主人の見る目は確からしい。
ああ、どうしよう。
──ぞくぞく、する。
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