27 二千年前よりも
「え、どうして?」
「歳上のおねえさまなのに、全然鼻の下が伸びてません」
そう言ったら、リリムが呆れたようにため息を吐き出した。
「……あのね、僕は別に歳上なら誰でもいいわけじゃないから」
「でも、いつもだったらおねえさま方には猫なで声出すじゃないですか。なんでシスター・メアリにはそっけないんです?」
リリムは、とくにごまかさずに腕を組んで首をひねった。
「うーん、なんていうか……多分僕、あのひとと相性悪いと思うんだよね」
「えっ、なんでですか?」
「別に理由なんかないよ。強いて言うなら、割と本気で神さまを信仰してそうなところかな。僕、悪魔だし」
「ああー」
ときどき忘れそうになるけれど、リリムは純正の悪魔なのだ。神さまを信じている、ということは悪魔を嫌っていることとほぼイコールなので、そんなひとをわざわざ好きになったりしないのだろう。
「でも、イザベラも敬虔なシスターですよ」
「あの方が信じているのは、神じゃないよ。人間の善性や愛情、絆とかを信じてるんだ。世界が善きもので満たされるべきだと考えていて、そのために努力をしているひとだ。僕はその姿勢が美しいと思う」
わかるような、わからないような。それって神さまを信じているのとなにが違うんだろう?
とりあえず、この話題は大抵マリーにとってつまらないので、そっとしておいた。
「シスター・メアリは、ちょっとだけ私に似てると思ってたんですけど……」
「えっ、全然!」
リリムが即答したので、その勢いに思わず友人の顔をまじまじと見つめてしまう。
「彼女は若く見えたし、上等な教育を受けた女性だっていうのはわかるけど、マリーとは全然似てないよ」
「そこまで言うほどですか?」
「マリーの方が100倍かわいい」
「そういうことじゃなくってぇ」
──まぁ、リリムにとってそう見えるなら、わざわざ否定することもないですけど。
「もうあのひとの話はいいよ。それより早くご飯にしよう」
「えへへ。はい!」
リリムはマリーの手を引いて、近くのヤッフォ門を目指して歩きはじめた。市場に入る直前、なにかをピタパンで挟んだメニューが書かれた看板が目に入る。リリムはそのスタンドでさっとふたり分を購入した。
調理するわずかな待ち時間でも、リリムは現地の言葉で店員になにかを話しかけていた。店員の中年男も楽しそうに笑っている。
リリムは積極的に不特定多数の人間と関わるのが好きではない。そのわりに、ああやってひとの懐に入るのが上手だった。淫魔という、人間なしでは生きられない種族だからなのかもしれないけれど、嫌々やってるようにも見えないから人間のことが嫌いというわけではないのだろう。
しばらくすると、店員からピタパンとジュースを渡された。
「ジュースはサービスだって。ラッキーだったね」
リリムと話し込んでいたおじさんが、器用にウインクしてくれた。リリムもマリーも、目立つ容姿のせいかよくおまけをもらう。ふたりでいれば、きっとお金がなくてもごはんが食べられない、みたいなことにはならないだろう。実にありがたいことだ。
おじさんにとびきりの笑顔でお礼を言って、スタンドのすぐそばでさっそく食事をはじめる。
「路上で立ってごはん食べるなんてはじめてです! なんかワクワクしますね!」
「そう言えば、マリーってファストフードもじめてなんじゃない? そう考えると、マリーって箱入りお嬢様だよね」
「箱入り? どういう意味ですか?」
「うーん。箱に入れておいて誰にも見せたくないくらいかわいい子ってコト」
「なら私は間違いなく箱入りお嬢様です!」
イザベラにもリリムにも、おねえさまにもソフィアおばあちゃまにもとーっても大事にされていますからね!
ご機嫌でピタパンをかじると、揚げ物のさくさくした感触と香辛料の香りが口いっぱいに広がった。
ピタパンの中には、揚げた丸い茶色のなにかと、レタスやブロッコリーなどの野菜に白いソースがかかったものが詰められていた。
揚げ物の中身は豆だろうか。野菜が刻んだものが詰められていて、香辛料やハーブの香りがしっかりする。意外と食べ応えがあった。
「はじめて食べますけど、スパイシーな味付けなんですね! それにソースがなんかクリーミーで、好きですこれ! なんですか、この食べ物?」
「ファラフェルサンドだ。ファラフェルはひよこ豆でつくるコロッケで、イスラエルの家庭料理だよ。マリーはスペイン育ちだから、ひよこ豆料理も馴染みがあって口に合うでしょ」
ちゃんとマリーの好みも考えてくれていたらしい。なにからなにまで気の利く悪魔だ。大好き。
「この料理、リリムがいた時代にもあったんですか?」
「ううん。ネットで調べた」
「なーんだ」
「昔は揚げ物なんかなかったからね。でも、僕が暮らしていた当時からここのひとはあまり肉を食べなかったし、主食はひよこ豆とパンのようなものだった。やっぱり少し懐かしいよ。ほら、ピタパンの奥にフムスも入ってる」
「えっなんですか? あ! なめらかなクリームみたいなのが入ってますね! これもおいしい!」
「ひよこ豆のペーストだよ。ネットで見た時から食べてみたかったんだよね」
笑うリリムが、ちょっといつもとは違う気がした。
──本当に、どこか懐かしそう。
「……ここには、いい思い出があるんですか?」
「……どうかな。複雑だよ」
15歳の姿なのに、今はなんだか子どものころに見た大人の姿に見えた。
リリムの視線の先には、淡いベージュ色をした巨大な門が建っている。
「……昔、ここにまだこのヤッフォ門がなかったころ。それでも、ここは交易の要所として、多くのひとで賑わう場所だったんだ」
「えっと、門が今の形になったのは16世紀ごろ、都市防衛のためにオスマン帝国によってつくられたんでしたっけ」
リリムは炭酸飲料──レモネードみたいだ。ミントの香りもする──をひとくちすすって、少し先に見えるヤッフォ門に向ける瞳を細めた。
淡いベージュの分厚いエルサレム・ストーンによる重厚な城門。装飾のないどっしりとした姿は、門と言うより小さな城塞にも見える。その門が守っていたのは、かつてこの地で暮らしたひとびとの日常のはずだった。
「らしいね。僕は、ここで生まれて……多分、40年だか50年だかしかこの土地にはいなかったから、あとのことはじいちゃんやほかの悪魔、滞在先の人間から聞いた話しか知らないんだ」
まだ15年しか生きていないマリーには十分な時間のような気がしたが、二千年生きる悪魔からすると50年なんてほんの一瞬なのかもしれない。
「僕はそのころ、じいちゃんと……人間の女の子と暮らしてた。じいちゃんが人間の女の子を育ててたんだ」
マリーは思わず、サンドから顔を上げた。リリムの昔話は、はじめて聞いた。
──オリーブの木々に囲まれた丘。赤い目をした悪魔の男。濃い肌色をした女の子。金の髪を持つ美しい青年。
あの夢は、やっぱり。
「……リリムって、その時のほうが毎日楽しかったりしました? 今はつまんないな、とか思ってます?」
「えぇ? なんで?」
「だって……リリムってば、なんか思い出に浸ってるんですもん」
そう言ったら、リリムは目を丸くして、次にいつもより大きく笑った。
「あはは! マリーってば、僕の過去に妬きもち妬いてるの?」
「そんなんじゃないです!」
「昔より、今の方が断然楽しいよ。娯楽の数が違う。食べ物もおいしい」
「……ふーん」
「それに、マリーがいるしね」
リリムがこちらを見て、機嫌良さそうににこにこと笑っている。調子に乗ってるな、この悪魔め。
「…………ふーん。そうですか」
「機嫌治った?」
「別に。リリム、昔からお友だち少なかったんですか? いい加減、ファウヌス離れしたほうがいいですよ」
「うーん、そうじゃないんだよなぁ」
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