21 どうかしてるよ
マリーがバレッタを手渡してきたので、マリーの後ろに回って髪をいじる。
櫛がないので指先で長い黒髪を梳いて、両サイドの髪を後頭部にもってくる。二本の房をくるくるとまとめて、交差した部分でバレッタを留めた。
「はい、できたよ」
「あー! しくじりました! 付けてもらったら、私が見られません!」
「あはは、館に帰ったら鏡で見てみなよ」
「……似合いますか?」
「うん。すごくかわいい。想像以上だ」
マリーは満足そうに何度もうなずいた。うれしそうに鼻まで鳴らしている。
うん、こういうところもひっくるめて、すごくかわいい。子どもらしくてなによりだ。
「バレッタのお花は、なんのお花なんですか?」
「林檎の花だよ。赤い石はジャスパーで、意味は『安全・強さ・安定』……マリーのことを守ってくれるはずだ」
「あっ、護符だったんですね」
「マリーに似合うのは本当だよ」
かわいいよ、と何度も繰り返すと、ようやく少し恥ずかしそうに視線を落とした。マリーが照れるのは珍しい。ちゃんとそういう情緒があったんだな。
「……リリム、ありがとうございます。大事にしますね」
「大げさだな。子どもの駄賃で買えるくらいの値段だよ」
ジャスパーはそこまで高価な石ではないし、バレッタもプラスチックでできた量産品だ。ジャスパーの加工は、おそらくソフィアが自身で手掛けたのだろう。護符の効果があるのはそのせいで、品質を考えるとしっかり上乗せされた料金だった。
お金も、マリーのバイトを手伝った駄賃で購入している。マリーへのプレゼントとして大げさな部分も、恥ずかしい部分もなにひとつない。
マリーはリリムを見て、はにかみながら笑った。
「……プレゼントは、値段じゃないんですよ。気持ちです。私はリリムの気持ちを大事にしたいと思いました」
「……そう? ちなみに、僕の気持ちって?」
「私がすっごく、すっごく! かわいい! という気持ちですよね!」
「うーん。まあ、そうかな?」
本当にこの自己肯定感は放置していていいんだろうか。
あとでイザベラさまに教育方針について話をしておこう。
* *
「あら、リリム。こんなところまで来て、どうしたのですか」
翌日。マリーと朝食を摂り終えてから、リリムはシスター・イザベラの執務室を訪れた。イザベラの執務机には3台のノートパソコンと2枚の小型液晶ディスプレイが並べてあり、その隙間から涼しいイザベラの眼差しがこちらを捉えた。
「……遅くなりましたが、初日の騒動の件で、謝罪を」
リリムは神妙な顔をして、ポケットから小さな小袋を取り出した。イザベラの執務机の上にそっと乗せる。袋には安っぽいリボンシールがくっついていて、いかにも子どもからのプレゼント、といった見た目だ。
「謝罪?」
「……美しい貴女の指先を、傷つけてしまいました……」
素直に頭を下げると、イザベラが、ああ、と思い出したような声を上げて笑う気配がする。
精気不足からマリーを襲い、イザベラの指から血を分けてもらった件だ。
リリムにとっては長い悪魔生でも五指に入る情けない事態だったのだが、イザベラはすっかり忘れていたらしい。
「あの程度でしたら、構いませんよ。これでも生傷の絶えない人生を送ってきましたので」
「でも、本来は不要な傷でした。僕の自己管理能力の低さで、ご迷惑をおかけしました……」
「悪魔の口から自己管理能力という言葉が出てくるのは新鮮ですね」
たしかに、リリムもファウヌス以外の悪魔から聞いたことはない。悪魔は大抵、自己管理能力がザルだ。
「では、こちらの謝罪はありがたく受け取っておきましょう。ソフィアのつくったものですね? 彼女のチョコレートはおいしいですから、私も好きですよ」
「それは良かった」
バレッタと一緒に購入したものだ。予算の関係で少ししか買えなかったけれど、イザベラの口に合うならなによりだ。
ほっと息を吐き出すと、イザベラの視線がいつになく優しいことに気がつく。
「? どうかしましたか」
「……マリーには髪飾りをプレゼントしてくれたんですってね。今朝の訓練の後に自慢していましたよ」
「……そんなによろこんでくれるなんて、贈り甲斐がありますね」
「……マリーにはこれまで同世代の友人がいませんでしたから。はじめての友だちからの贈り物なんですよ」
──友だち。
本当に、いいのかな。僕、悪魔なんだけど。
「ありがとうございます、リリム。あの子と仲良くしてあげてください」
「……僕の提案を受け入れたのは、本当にマリーのためなんですね」
「ええ、もちろん。貴方の提案は『マリーのための家庭教師になること』でしたから」
マリーの教育係として自分を売り込んだのはリリムの方だ。けれど、リリムとしてはダメで元々というつもりだったし、まさかシスターであるイザベラが本気で受け入れてくれるとも思っていなかった。
昨日、ソフィアが言っていた。イザベラはリリムを利用して『処女受胎』を阻むつもりだと。
──リリムがマリーの体を犯せば、その計画を台無しにしてやることができる。
ただ、その方法はマリーの心身を傷つけるものだ。普段のイザベラなら絶対に思いついても実行しない。
イザベラはリリムが渡したチョコレートの小袋を手元で弄びながら、優しい声音で応えた。
「……マリーには、いろいろな世界に触れて欲しいんです。でないと外に出た途端に顔の良い悪魔にころりと参ってしまうことになりますから」
「ファウヌスじいちゃんは人間を含めても稀に見る優良物件だと思いますけど」
「ですから特別に素性には目をつむってあげたんですよ。……こんなに早くお嫁にやるとは思っていなかったので、私も少なからずショックを受けました」
イザベラの視線は遠くを見つめていた。ああ、これは本心なんだろうな。
「……結婚は考えてもいなかったけれど、機関の計画から離すには、悪くない方法だと気がついた?」
小さくリリムが訊ねると、イザベラは静かにほほえむだけだった。リリムは、たまらずため息を吐き出す。
「……相手がマリーではなく貴女なら、その計画に大いに、積極的に、協力したんですけれど」
「あら、それは残念。マリーではダメですか?」
「あと30年後なら喜んで」
「そんなことを言いますが、マリーを誘惑する自信がないのでは?」
「…………は?」
わざとらしすぎるほどの煽りに、思わず間抜けな声を上げてしまった。
イザベラは頭まで支えるワーキングチェアに背中を預けて、にやりと笑ってリリムを見た。
「マリーは自信過剰なところがありますが、それは自分が良いものに囲まれていると知っているからです。頭の良い子ですよ。貴方に攻撃性があれば反射的に反撃するでしょうし、嫌なことをされてもイジメ返します。自分が周囲に大切にされていると知っているから、自分を大事に扱うことにためらいがありません。ですから、あの子が選ぶパートナーは心身ともに『善きもの』でしょう。悪魔の貴方にはなかなか難しいと思いますよ?」
「……僕を挑発しているようですが、そんな見え透いた誘いに乗ると思うんですか? 悪魔を舐めすぎでは?」
「おや、そうですか?」
「マリーは僕の好みではありませんし、あんな子どもを誘惑する理由がない。僕を動かそうとするなら、せめて『マリーを護る代わりにシスター・イザベラが淫魔リリムのものになる』という契約くらいは必要ですよ」
「貴方はそんな契約で私を手に入れて満足ですか?」
言い返されて、リリムの片眉が上がった。
「……言いますね」
淫魔にもいろいろある。とにかく精気さえもらえればなんでも良いと考える者、凌辱を好む者、多数による交わりを好む者、相手を固定する者、そもそも精気を取らないことに血道を上げる者……リリムは多くの場合、相手を固定する。そのつながりは情緒的なものが多い。要は相手を惚れさせて、貢がせる生き方だ。最期まで看取るのは、深く相手の人生に関わった者としての礼儀だと考えている。相手の半生をともに過ごすのだから、リリムも関係性の構築にはこだわっていた。
無理やり相手を自分に従わせるのは、今のリリムの好みではない。
「シスター・イザベラ。僕は悪魔だ。貴女の美しい姿と精神に敬意を評して、常に紳士であることを心がけてはいますが、悪魔に誓約ではなく契約を持ちかけるのなら、もう少しよく考えた方がいい。
──悪魔との契約は、命がけですよ。そして、大抵は人間の側が破滅する」
「ええ。聖職者ですもの。知っていますよ。ですから、契約も約定も結びません。今はね」
イザベラはただ微笑むだけだ。リリムは肩をすくめて、首を左右に振った。
「……マリーはとてもかわいいです。もう僕の友人だ。友だちにはできるだけ協力しますし、困っていれば助けます。でも、それ以上を求めないでください」
「……リリム、貴方に感謝を」
イザベラは静かにそう言って、胸の前で手を組んだ。祈ろうとして、辞めたらしい。リリムは悪魔なので、祈りはまったくうれしくない。
「……マリーを、よろしくお願いしますね」
「……どうかしてますよ、イザベラさま」
それだけ言って、リリムはイザベラの執務室を出た。
廊下を歩きながら、ため息を吐き出す。
──イザベラはきっと、どうにもならなくなった時、リリムと契約してマリーを護る気だ。
その時のために、リリムを手元に置いている。
次回はちょっと成長したふたりからスタートします。
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