20 集中<インテンティオ>
「ええ。マリーの生まれのことは、聞いていますけれど」
「そうかい。小さいマリエッタのあの能力──機関では『集中』と呼んでいるけどね──アレは、聖母マリアさまのこととは関係がないと考えられている。実際、姉の方にはあんな能力がないからね。多分、あの子特有の才能だろう。
もっとも、マリアさまの遺伝子情報は不完全で、外見情報はほぼ欠落していた。ほかにも欠損している部分があって、たまたま小さなマリエッタにだけ発現した可能性もある。まあ、要するになんにもわからんってことさ」
「そうですか……」
超能力だとか神の力だとか、いろいろな言葉で超常現象を表現するのは昔からだ。そして、やはりそういう特別な力を持った人間はいる。
悪魔祓いだって誰でもなれるわけではない。一定の魔術や聖言を扱う素養が必要で、そういった人間は古来から巫女や導師、魔術師と呼ばれてきた。悪魔の存在を知っている、神秘の側に住む人間のことである。
「……聖母マリアの遺伝子情報が残っていたとして、二千年以上前のものです。外見情報が欠損していたというのも納得ですよ。むしろ、よく外見だけで済みましたね。それじゃ、マリーたちのあの姿は誰からのものなんですか?」
「デザインベビーなんだ。途中で散々いじくったんだろうさ。ただ、日本人の遺伝子が選ばれているのは理由がある。あそこはカトリックの影響が強くない島国だ。マリアさまを特定の人種にするのなら、影響が小さい国がいいだろうって政治的判断だよ。その遺伝子提供者が、マリエッタたちをつくった科学解析班のひとりで、今では『マリエッタ計画』の主導者になっている」
つまり──マリーの、外見上の親がいる、ということか。
「……それ、誰なのかマリーたちは知ってるんですか?」
「科学解析班所属マリア・イワサキ。小さなマリエッタは、いずれ彼女から『処女受胎』を強要されることになるだろう」
ソフィアさんがスープ皿の汚れを流す水道音が、陽の光が差し込むキッチンに静かに響く。
リリムは一呼吸の間沈黙して、パエリア鍋を水に浸してから鍋用のスポンジでこすりはじめた。
「……イザベラさまは……」
「もちろん、承知しているさ。あの子も今、そんな未来が来ないように必死に手を尽くしている。その一手がお前さんなんだろうさ」
「……僕が?」
「もし小さなマリエッタが淫魔に汚された娘になれば──『処女受胎』は失敗に終わるだろう?」
あまりに突拍子もない話に、リリムは別の意味で固まってしまった。
つまり、僕が? マリーを?
──ありえない。
「……イザベラさまがそんな下衆なこと考えるわけありません。あんなに可愛がってる娘を淫魔に任せるなんて」
「もう実例があるからね」
──ファウヌスと姉のマリエッタのことだ。
その流れで、妹の方も淫魔に預けようって?
「悪魔と関係した娘は、確かに聖女とは言い難いでしょうけど……そんな大雑把な計画のために、わざわざ修道院へ悪魔を引き込んだんですか?」
「まあ、イザベラが本気かどうかは知らないけれどね。そういう思惑も含まれているってことは、アンタは覚えておきな。なにせ、小さい方のマリエッタはまだてんで子どもだし、放っておいたら世間も知らずに成人して、機関に収容されて孕み袋にされちまう」
マリーがはら……考えるだけでおぞましい。言葉にするのもはばかられる。全身の血の気が引くのを感じた。
「……もしマリーがそんな目にあったら、僕はサタンに頼んで世界戦争をしかける……」
「やめとくれ。というか、アンタもイザベラに毒されてるね? あんまりあの子を可愛がり過ぎないどくれ。調子に乗るタイプなんだから
……さて。質問はそれだけかい?」
ソフィアは手早くスープ皿を片付けてしまって、リリムに視線を向けてくる。そのまなざしは、どこか面白がっているように見えた。
リリムは魔術師があまり好きではない。大抵、性格が悪いからだ。
「せっかくなので、もうひとつ」
「なんだい?」
「……もしかして、この前の強盗も『視えて』いましたか? そして、僕とマリーがどう動くのか、試していました?」
「さて。どうかね?」
ソフィアさんはやはり面白そうに声を上げて笑って、注ぎ終わったスープ皿をリリムに手渡してきた。
「ほら。さっさと片付けな。そろそろマリエッタが店番に飽きちまうよ」
「……はい」
「今日は楽しかったですね、リリム!」
マリーがはしゃいだ声を上げた。
帰り道の日差しはやわらいでいて、白い石畳の道にわずかに影が伸びている。
あれからふたりでしっかり店番をやらされて、でもおやつをいただいて帰された。なんだかんだ言って、ソフィアもマリーには十分甘い。
大通りに向かって手をつないで歩きながら、リリムはマリーの笑顔を覗き込んだ。
「ねえマリー? これ、マリーにあげる」
リリムはポケットに入れていた紙袋を取り出した。さほど大きな包みではないが、マリーはていねいに両手で受け取る。
「えー、なんですか? 開けてみてもいいですか?」
「もちろん」
マリーが紙袋から取り出したのは、バレッタだった。白い花がいくつも集まっていて、雌しべの部分に赤い石がはめられている。
「わあ、かわいい! これどうしたんですか?」
「ソフィアさんのお店で見つけたから、買ったんだ。マリーにあげるね」
マリーは大きな瞳をまたたかせて、首を傾げた。
「なんでですか? 私のお誕生日は結構先なんですよ」
「うん。お誕生日プレゼントじゃなくて、この前の……初日にマリーを泣かせちゃったお詫び」
少し時間が経ってしまったし、仲直りはしたけれど、その後の強盗騒ぎでうやむやになったような気がしていた。そういうのは、リリムにとって少し居心地が悪い。
けれどマリーは困ったような表情を浮かべて、バレッタをリリムに返そうとしてきた。
「リリムはもう謝ってくれましたし、私は許しました。その後は私のことを助けてもくれました。理由もないプレゼントは受け取れません」
おそらく、むやみにひとから物をもらうなとイザベラから言われているのだろう。シスターとしてもそうだろうが、子どもに対して一般的な防犯教育である。さすがイザベラさまだ。
でも、これはそういう、悪い大人が子どもを懐柔するためのものじゃない。いや、悪魔であるリリムは悪い大人なのだけれど、今日はそういうのではないのだ。
「うーん、じゃあこうしよう。これを見た時ね、マリーにすごく似合いそうだと思ったんだ。これを付けたマリーはとってもかわいいだろうなって。だからプレゼントしたくなったんだよ」
「えっ」
マリーは驚いた声を上げたあと、バレッタとリリムを何度も交互に見た。
それから、満面の笑みを浮かべる。
「……んふふー! そうですか? 私にそんなに似合いそうですか? 今もかわいいのにもっとかわいくなりますか?」
「うん。僕が選んだんだから、間違いないよ」
「じゃあ、リリムが付けてください!」
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