19 魔術師の昼食会
ソフィアの食事は、たしかにおいしかった。チキンパエリアは出来立てで、鶏のダシをお米がしっかり吸っていて、カリカリのおこげの食感もたまらない。出涸らしになっているはずの鶏肉も、なぜかしっとりとしていて最後までおいしくいただける。料理のことは門外漢だが、かなり手間がかかっているのではないだろうか?
「ほんっとーにおいしいです! ソフィアおばあちゃまのごはんはサンドウィッチくらいしか食べたことなかったですけど、こんなにお料理上手だったんですね!」
「調理は錬金術の一要素だからね。占いや薬を扱う魔術師は、大抵料理が上手いものさ」
ソフィアはさらりとそう言って、頑健そうな歯でパエリアの鶏肉を噛み切った。かなりご高齢に見えるが、食欲は旺盛なようでなによりだ。
「……なるほど。ソフィアさんは機関に所属していた錬金術師だったんですね」
「そうだよ。錬金術と占星術がアタシの領域さね。今日アンタたちが来ることも、占いでわかっていた」
それでこのおもてなし料理というわけか。ずいぶん腕の良い占い師みたいだ。
「現代は科学の時代で、神秘の界隈でも錬金術なんて古臭いと思われているけど、これは魔術の基礎だからね。疎かにすれば全て自分に跳ね返ってくる。
ぼうや。お前さんは、悪魔だね?」
「はい」
ソフィアは最初からわかっていたような口ぶりで、念を押すように訊ねてきた。
敵対していないのであれば別に隠すようなことでもないので、リリムもパエリアを口に含みながらうなずく。
「僕は悪魔リリム。今はマリーと同じ孤児院でお世話になっています」
「……ここまで完璧な人間の体を持った悪魔は、アタシも会ったことがないね。淫魔かい?」
「ええ。淫魔はみんな、人間に限りなく近い肉体を持ってますよ。なにせ、人間との間に子どもだってつくれますから」
「えー、そうなんですか?」
マリーがびっくりしたように目を丸くしている。そうか、マリーは淫魔のことも正確には知らないのか。まあ、子どもに教えるにはちょっと微妙な悪魔だしな。
「淫魔は異性を淫蕩の罪に誘う悪魔の総称さ。肉欲の快楽を教えて、怠惰な生活に流れるようにそそのかす。ま、性欲に抗おうとする人間の葛藤が産んだ悪魔さね」
ソフィアが説明をしてくれたので、リリムは豆のスープを口に入れながらうなずいた。
あ、これひよこ豆がほくほくしてておいしい。コンソメがよく染みていてクセがない。
「ふーん? どうして淫魔は人間に近い体なんですか? この前の悪魔は象の姿でした」
「象の姿で女が口説けるかい?」
「それもそうですね」
「……そうだよ。僕たち淫魔は、異性を誘惑するために限りなく人間に近い姿をしている。だからほかの悪魔と違って異形もなければ強い腕力も体力もない。普通の人間と大した違いはないんだ」
「ただし、何千年と生きて、姿を自由に変えられると聞くがね」
ソフィアの言葉も本当だ。リリムは二千年生きていて、今は少年の姿をしている。
「正しくは、外見年齢を操作できる、ですね。姿も誰かそっくりに変えられるわけじゃない。姿はその時代の平均値になるように勝手になっているし、完全に外見を操作できるわけじゃないんですよ」
「ほう。なら、今は……」
「イザベラさまの庇護のもと、マリーの教師役をすることになっています」
授業はまだ2回目だけど。
豆のスープを食べ終わると、ソフィアさんがおかわりを注いでくれた。そんなに物欲しそうな顔をしていたのかな、と少し恥ずかしくなる。
でも、久々においしいものを食べた気がした。精気不足もあるし、この食事はちょっと食べ溜めておきたい。ありがたくいただこう。
「ふうん? 修道院で過ごすためのその姿ってわけかい?」
「はい。イザベラさまからの指示です。この姿では女性を誘惑できない、という思惑なんでしょう。ですが、僕は美しい容姿であるだけでなく、機転も利いて会話上手な紳士です。きっとイザベラさまもすぐにその魅力が見た目だけではないとお気づきに」
「リリムはいい子ですけど、頭の中身はちょっと残念ですよね」
「えっどういう意味?」
「そのままの意味ですけど」
マリーが少し不機嫌な視線を向けてくる。なんだよ、妬きもちかな?
「……悪魔リリム。お前さんがどうして修道院にいるのかは、なんとなくわかったよ。でも、どうしてこの前は、アタシやマリエッタを助けるために聖言を使うなんて無茶をしたんだい? 下手したらお前さんが消滅するよ」
「どうしてって……アイツ、マリーを叩きましたから」
今思い返してもムカつく。
マリーは子どもで、女の子なんだぞ。顔を殴る通りがあるか。いくら悪魔でも許せない。
思わず不機嫌に顔を歪めたら、ソフィアが目を丸くした。
「……本当に、それが理由かい?」
「それ以外になにが必要ですか? マリーのほっぺは一晩腫れてたんですよ!」
隣のマリーはうんうん、となぜか満足そうにうなずいている。こら、お前が危ない目に遭った時の話をしてるんだぞ。
「おばあちゃま。リリムはこういうヘンな悪魔なんです。だからイザベラも特別に! 修道院に入れてあげてるんです!」
「……どうやらそのようだね」
ソフィアは、どうもこちらを警戒していたらしい。それもそうか。突然知り合いの子どもが悪魔を連れてきたら、警戒して当然だ。
ソフィアは自分の分の食事を平らげて席を立った。
「それじゃ、悪魔リリム。この家での洗礼だよ。片付け手伝いな」
「え、はい……」
「マリエッタは片付けが終わるまで下で店番してな。終わったらおやつをやろう」
「はい! やります!」
マリーは元気良く返事をして、自分の分の食器をシンクまで下げてからとたとたと階下へ降りて行った。
リリムも食べ終わった皿をシンクまで運ぶ。その間にソフィアはヤカンでお湯を沸かしはじめた。お茶でも淹れるのだろう。
隣同士に立って台所を片付けはじめると、すぐにソフィアから落ち着いた声がかけられた。
「……さて。淫魔リリム。アンタには本当に命を助けられた。だから、アンタが抱いている疑問について、言える範囲で答えてあげよう」
「……それも、占いの結果ですか?」
「ああ、そうさ。それに、アタシもアンタには興味があるんだ。アンタみたいな立派な悪魔を見るのははじめてだからね」
「そうですか。──貴方は、悪魔研究をしていた元シスターですね?」
リリムの問いに、ソフィアは静かに笑った。
「ご明察。アタシは機関のなかでも悪魔がどういう存在かを研究していた魔術師だ」
「錬金術師や魔術師は、基本的に近接戦闘に向いていません。悪魔と敵対したことがある錬金術師なら、棲家や工房に悪魔祓いの結界を用意していて当然です。けど、僕たちが来た時は店の結界が解かれていました。工房を守る結界をわざわざ外す時、それは外さなければ使えない術の研究をする時です。……いくつかありますが、その代表が、悪魔召喚です」
大抵、結界というのは悪魔を筆頭とした邪なる存在を寄せ付けないために設置する。それがあっては喚び出したい存在を正しく喚び出すことができない。だから結界を外す。不思議なことはなにもない。
ただし、聖職者が悪魔を召喚することは禁忌とされているはずだ。
「なに、機関にいたころはそれこそ悪魔を斃すための研究をしてたのさ。ただね、お前さんやファウヌスのような悪魔を見つけちまったら、気になるじゃないか。お前さんたちは、この世界でどういう役回りの存在なのかって」
「それで悪魔を喚び寄せようとして結界を外したら、別の悪魔憑きに襲われたわけですか。かなり残念な結果ですね」
「本当だよ。自分で祓えればよかったけれど、迎撃準備がほとんどできていない年寄りの魔術師じゃ、腕力で押さえつけられて終わりだったね。若い男の腕力の前で、魔術なんて回りくどい方法じゃとうてい太刀打ちできない」
リリムがマリーとはじめて出会った時、暴漢にあっさり殴られそうになっていたのもこの理由からだ。
いくら魔術が使えても、即時性の高い暴力にはほとんど抵抗できないのである。魔術はコミックで扱われるみたいに万能ではなかった。むしろローテクに分類されるとリリムは思う。
「その点、あの子の能力は悪魔祓いという点に関しちゃ、恵まれてるね」
「……マリーの、あの自分の体に電気を流す、というヤツですか」
リリムの問いに、ソフィアは片眉を上げた。
「なんだい。お前さん、アレのことは聞いてないのかい?」
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