18 予言
腕にあった温もりが離れていく気配で、目が覚めた。
「マリー、起きたの?」
マリーはベッドから身を起こしたままぼんやりとしている。
窓の外はまだ暗い。夜明け前だ。
マリーはいつもこの時間に起きて、修道院で悪魔祓いの修行することになっている。
この部屋でマリーと一緒に眠って三日目だ。リリムもそろそろ、この時間に起きることに慣れてきた。とはいえ。
「うーん、やっぱりまだ僕は眠いな……悪魔って基本夜型だし……マリーはえらいなぁ」
目をこすりながらリリムも身を起こすと、マリーはぼうっとしたまま視線を向けてくる。
「……へんな夢をみました……」
「ん? 嫌な夢を見たの?」
「嫌じゃ、なかったですけど、へんな夢です」
「どんな夢?」
「……オリーブの丘に、リリムが立っている夢です」
マリーがうつらうつらとしながら答える内容に、リリムは目を見開いた。
「……そっか。僕と一緒に寝てて、夢がつながっちゃったのかもね」
「あれはリリムの夢なんですか?」
「ううん。夢じゃないよ」
リリムはマリーの頭をなでて、方々に飛び跳ねた髪を整える。
「ほら、起きて支度をしなきゃ。イザベラさまが待ってるよ」
マリーの支度を手伝って、送り出してから二度寝をする。
再び起きると、部屋には陽の光が満ちていた。身支度をしてからリビングへ下りると、鍛錬を終えたマリーがソファでお茶を飲んでいる。すっかり目が覚めたらしく、大きな夜の瞳が朝日を受けてきらめいていた。
リリムがやって来た気配を察したのか、ぱっと視線がこちらを向く。その表情は明るい。
「リリム。おはようございます」
「おはよう、マリー」
マリーは慣れた様子でリリムの分のお茶も入れて、右側に置いてくれた。ありがたくいただきながら、大事なことを伝える。
「マリー、僕の聖言焼け、ずいぶん良くなったよ」
「ほんとですか!?」
「うん。ほら」
長袖のシャツをまくって、左腕を見せてやる。爛れた皮膚もすっかり元通りになって、白くなめらかな少年らしい肌がかがやいていた。
マリーの顔がほろこぶ。
「すごい、たった三日できれいになりましたね! もう大丈夫なんですか?」
「うん。マリーが頑張ってくれたからね。ありがとう」
「んふふー。どういたしまして!」
リリムの感謝の言葉に、マリーは満足そうに胸を張って笑った。
実際、マリーの精気は良質だったし、子どもとしても体力がある方なのか、三食毎の体液に夜の夢と、淫魔としてはかなりぜいたくな食事を提供してもらえた。
それでも、蓄積したマイナスが大きいので全快というわけではないが、聖言焼けの分はすっかり回復できた。
「今日からは、ここで任された本来のしごとに戻るよ」
「あれ? リリムってなんでここにいるんでしたっけ? あ、イザベラを誘惑するんでしたっけ?」
「……それもあるけど、僕はマリーの教師としてここに置いてもらうことになってるんだよ」
そう。着任早々、教え子を襲うなどという大失態の上に怪我など負ってしまってうやむやになりそうだったが、本来リリムがこの修道院にいるのは、マリーの勉強のためなのだ。
それを思い出したのか、マリーは整った顔を嫌そうにしかめた。
「あー……そう言えば、ソフィアおばあちゃまのお店へ行く時に、魔術の授業をしましたっけ」
「ちゃんと覚えてたんだ。じゃあ、今日も外を歩きながら授業をしようか。ここは歴史のある町で、修道院には建物以外にも遺物が多く保管されてる。身近なものの成り立ちから覚えていけばいいよ」
「わぁ! それなら覚えやすそうです! 朝ごはん食べたらすぐ行きましょう! じゃあその前に」
マリーはさっとリリムに頬を近づけてきた。
リリムの『食事』だ。
朝昼晩と食事時にあわせて、頬や額から精気を吸わせてもらっていた。
「ごめんね。ありがと」
リリムは感謝しながら、なめらかな頬に唇を寄せる。
ちゅっちゅ、と軽く音を立てて、すぐに離れた。正直、それだけでは味はよくわからないが、それでもマリーの汗の甘い気配が感じられたし、小分けで毎日三回と考えれば、少なすぎる量ではなかった。少なくとも飢えはしないし、今は夢からも精気をもらっている。長く続ければ、いずれマイナス分も補うことができるだろう。
マリーから離れて、ほっぺをハンカチでふいてあげた。
「別にいいのに」
「キスは本来、こんな風に義務でやるべきものじゃないんだよ。しかも、マリーみたいな女の子が。申し訳ないから、せめてこれくらいはさせてよ」
「ふーん。そんなものですか」
「そんなものなんだよ。もし『そんなことない』って言う大人や男がいたら、容赦なくなぐっていいからね」
「わかりました」
マリーはとても素直にうなずいた。
キスもそうだけれど、殴ることにも躊躇ないな。ちょっと将来が心配だ。
朝食を終えて、孤児院の館から直接町へ向かう。メインストリートから外れた区画はほとんどが住宅で、それぞれの家を指さしながら護符を見つけたり、方位から結界を読み解いたりした。
気がつくとソフィアの雑貨店にたどり着いていて、店の軒先に店主が立っていた。ソフィアの姿を見て、マリーがうれしそうに飛び跳ねる。
「おばあちゃま! もう体は大丈夫なんですか?」
「ああ、アンタたちが早めに助けに来てくれたからね。もう店も開けてるよ。今は昼休憩中だ」
「あれ? もうそんな時間ですか?」
しまった。昼前には修道院へ戻るつもりだったが、いつの間にか陽が高くなっていたらしい。マリーと歩いていると時間を忘れてしまう。
顔をしかめたリリムを見て、ソフィアは大きく笑った。
「せっかく来たんだ。イザベラにはアタシから連絡してやるから、お昼食べて行きな」
「わー! やったー!」
「……でも、修道院の食堂に僕たちの分が用意されてるんじゃないかな? 帰らないと……」
「修道院の飯はうまくないだろう? ま、夜に食べるから残しておけとアタシから言っておいてやるさ」
ソフィアの、いかにも古馴染みな言葉にリリムはマリーを見た。
「ソフィアおばあちゃまは、機関のもと調査員なんですよ。今は還俗して故郷のこの町で商売をしているんです」
「ああ……なるほど……」
納得してうなずくと、ソフィアもにやりと笑って店へ歩く。
「じゃあおいで。修道院の食事なんかよりうまいものを食わせてやろう」
案内されたのは、店の2階だった。
2階が住居になっているようで、階段を上がるとすぐにキッチンとこじんまりとしたリビングダイニングが広がっていた。おそらく、さらに奥にはひとり分の寝室が設けられているのだろう。
リビングは白とエメラルド色の壁紙が貼られていて、大きな窓からたっぷりと陽の光が入ってくる。小さめのダイニングテーブルには、すでに食事の用意がされていた。
──なぜか、3人分。
「わあ! パエリア! ご馳走です!」
「命の恩人が来るから、張り切っちまったよ」
「わーい!」
「……どうして……」
リリムが思わずつぶやくと、ソフィアはにやりと口角を上げた。
「まあ、まずは食事だ。マリエッタは腹をすかせるとうるさいよ。
──話は、食べながらしようじゃないか」
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