02
「……お嬢さん。今なんて?」
「貴方、悪魔ですよね?」
──いや。いやいやいや!
人間に悪魔かどうかなんて見分けられるものではない。大体、悪魔の存在を知っているのは一部の宗教家だけだ。
悪魔は二世紀ほど前から人間社会に溶け込んで生活している。それでも、今に至るまで人間たちに認知はされていない。時折、下級悪魔や精霊が悪さをして教会に追い払われる程度でしか接触はないはずだった。
──いや、この少女の顔。
よく見れば、見覚えがある。
「お前、マリエッタ義姉ちゃんの親戚か?」
指摘すると、少女は気まずそうにうなずく。
「……なにかお人好しの悪魔がいるな、と思ったら、やっぱりファウヌスおにいさまの身内だったんですね。そっくりです」
ファウヌスにそっくりか。ちょっと複雑な気分。尊敬しているのでうれしい気持ちもあれば、あそこまで度の過ぎた人間贔屓でもないぞ、と言いたい。
「とにかく、せっかくマリエッタおねえさまとファウヌスおにいさまの結婚式なんです。殴られた顔で出席するなんて、私が許しません」
言われてみれば、それもそうか。ファウヌスは人間贔屓で、身内を可愛がる悪魔だ。リリムが怪我をしていたら嫌な気分になるだろう。
リリムは素直にうなずいた。
「……わかった。僕は淫魔リリム。お前、名前は?」
「……マリーと呼ばれています」
リリムはマリーの前で膝を地面に着けた。小さな手を取って、その甲に軽く口付ける。
「助けてくれてありがとう、マリー。感謝を」
マリーは褒められたことで、ようやく満足したらしい。第二次性徴前の薄い胸を張った。
ちょっと生意気なところがあるようだが、根は子どもらしい素直な子だ。
「じゃあ、そろそろ会場に行こうか」
「……おねえさまに、なにかお祝いを贈りたかったんですが……」
急にしょぼくれた顔をしたので、マリーがあの場所にいた理由をようやく悟った。
「お前もあそこのショコラを贈ろうとしてたのか」
「はい。ファウヌスおにいさまから、とてもおいしいと聞いていたので……」
ただ、引き返す時間はもうない。殴った男がまだいても嫌だ。
リリムは、目の前にあった露天の花屋を見る。
「代案だが、花にするのはどうだ?」
「でも、ブーケはきっと用意してますよ? フラワーシャワーのお花は私がまくんです」
「それは花嫁のための花だろ? いいから、僕に任せておけって」
リリムは器用にウインクしてみせて、花屋の店員に声をかけた。
「マリー! 来てくれたんですね!」
本日の花嫁であるマリエッタが、マリーを思い切り抱きしめる。
控え室の扉を開けた途端に姉妹の抱擁を見せつけられた。よほど仲の良い姉妹なのだろう。
花嫁であるマリエッタは、レースで首から腕まで覆った伝統的なウェディングドレスを身に着けていて、普段はしない化粧もしていた。まるで天使かなにかに見える。
淫魔と違って理由のない美貌に、彼女のほうが悪魔より人間離れしているな、と感じた。
マリーと、見れば見るほどよく似ている。ほとんど同じ顔と言っていい。
マリエッタに頬擦りされて、マリーもうれしそうに年相応の無邪気な笑みを浮かべている。マリエッタはスペイン出身だが、すでにファウヌスと同棲してリヨンに在住していた。姉妹が会うのは数カ月ぶりのはずだ。
「もちろんです! おねえさまの大事な日をお祝いしないわけがありません!」
「ありがとうございます、マリー。とってもおめかししてくれましたね! いつもマリーはかわいいですが、今日はたくさんお花で飾っていて、なんだか妖精さんみたいです!」
マリーの黒髪は、今はサイドを編み込んでいて、髪の間にフォギーピンクのバラとカスミソウが挟み込まれていた。胸元にも生のバラを飾っていて、ペールピンクのふわふわとしたドレスと相まって妖精めいて見える。
リリムが先程買い求めた花を、マリーの髪に付けてあげたのだ。
「その……マリエッタおねえさまは、私がきれいにしているのを見たらきっと喜ぶからって……」
マリーがはにかみながらリリムを見上げるので、マリエッタと目が合う。大きな夜の瞳が、うれしげに細められた。
「はい! マリーがかわいいとわたしもうれしいです! リリムさんはすごいですね。どうしてわたしが喜ぶものがわかったんですか?」
「そりゃ、淫魔だからね。女性が喜ぶことならなんでもわかるんだよ」
大げさに笑うと、マリエッタも笑った。女性の無邪気な笑みというのは見ていて気分が良くなる。
なぜかマリーが眉をひそめたが、まあ難しい年ごろだ。姉が異性と仲良くしているのを見て面白くないのだろう。
「ところで、じいちゃんは? 僕も式の前にお祝いを言いたいんだけど……」
「ファウヌスなら、花婿の控室にいると思いますよ」
「なんだ。義姉ちゃんと一緒にいると思ってた。じゃあ僕はじいちゃんのところに行くよ。支度の邪魔してごめんね」
「いいえ。マリーを送ってくれて、ありがとうございました」
リリムはマリエッタに軽く手を振って、ドアを開ける。
そこには、白いフロックコートを身に着けたファウヌスと、見知らぬ年嵩の女性が立っていた。
ファウヌスも淫魔なので、リリムと同様に整った容姿をしている。20代中頃で、長身。リリムよりも知的な印象の赤眼の美男子だ。銀色の髪をオールバックにしていて、いつもよりめかしこんでいる。この姿を見て卒倒するお嬢さんだっているだろう。
現に、マリエッタの目が夢心地になっている。
「ああ……ファウヌス、すっごくカッコいいです……」
「マリエッタの様子が気になって来てみたんだけど……こんなにきれいな女の子が俺のお嫁さんになってくれるなんて……夢みたいだ」
お互い一目見て着飾った姿を褒め合い出した。
両者とも頬を上気させて、まるで両想いになったばかりの学生みたいな雰囲気を醸し出している。
自分が誰かに愛をささやくのは別になんとも思わないが、他人──しかも親代わり──が女の子を口説いているのを見るのは、どうにも居心地が悪い。
マリーもそう思っているのか、マリエッタの近くでファウヌスを威嚇している。どうやら姉をファウヌスに取られるのが嫌らしい。
「ふたりとも、そこまでにしておきなさい」
声をかけたのは、ファウヌスの後ろにいた年嵩の女性だ。なぜかカトリック司祭が着るはずの白いローブを身に付けている。
輝くプラチナブロンドの髪、鋭い銀の瞳、皺があってもなおはっきりとわかる美貌。北欧系の血筋だろうか。長身で細身。指先の所作や歩き方まで洗練された美しい動きだ。音を立てない身のこなしから、只者ではないとリリムは直感した。
ファウヌスは彼女と知り合いらしく、ごめんと笑って道を譲る。進み出た女性は皺のある目元をほんのわずかに細めて、マリエッタを見つめた。とても静謐で上品な、やさしいまなざしだった。
「……マリエッタ。今日はおめでとうございます。保護者としてはいささか早いと感じてしまいますが、たとえ還俗して修道院を離れても、私は貴女の幸せを祈っていますよ」
「シスター・イザベラ……ありがとうございます。今まで、本当にお世話になりました」
マリエッタが大きな瞳に涙を浮かべて頭を下げる。ファウヌスも同じように腰を折った。
どうやら、彼女が花嫁の母親らしい。人種が異なるので血の繋がりはないとひと目でわかるが、十分に素敵な母親だと感じる。
──きれいなひとだなぁ。
「じいちゃん、あのひとって……」
こっそりとファウヌスの袖を引くと、赤い瞳がわずかにリリムへ向けられた。
「ああ、お前ははじめてだったか。……マリエッタが孤児院育ちって話はしただろ?」
「うん」
マリエッタと事前に顔合わせをした時に、彼女の素性はいろいろと聞かされた。
彼女は修道院が運営する孤児院で育って、その後悪魔祓いを専門とするシスターとして活動していたところ、悪魔と恋に落ちて還俗したという。もちろんのろけもたっぷり聞かされた。あの時はいたたまれなかった。
「彼女はシスター・イザベラ。マリエッタの育ての母親だ。つまり、俺の義母ってコト」
「ということは、これから僕も親戚付き合いをしていくわけだね。ぜひ紹介して!」
子どもみたいにせがむと、ファウヌスは整った顔をわずかにしかめた。
「……お前、歳上趣味は相変わらずなんだな……」
「子どもみたいな若い女の子口説いたって楽しくないでしょ?」
ファウヌスは笑って軽く肩をすくめた。彼はとても身内に甘い。
イザベラへファウヌスが声をかけると、鋭い銀のまなざしがリリムへ向けられた。
「イザベラ。彼は俺の古い友人のリリム。じいちゃんなんて呼ばれてるけど、血縁でも眷属でもない」
「……彼も悪魔なんですね」
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