01
リリムは悪魔だ。淫魔である。
今日は昔から世話になっている悪魔ファウヌスが、人間の娘と結婚するというのでお祝いにフランス・リヨンまで来ていた。
堅苦しいのは苦手なリリムではあるが、親代わりの記念すべき一日である。黒のタキシードにベスト、リボンタイを身に着けて、長めの前髪をオールバックにして着飾っていた。さらさらの金髪にアイスブルーの瞳、整った顔立ちとくれば、道行くお嬢さん方の視線もこちらへ集まるというもの。
いつもならひとりふたりに声をかけなければ失礼と思うリリムなのだが、今日は生憎時間がなくて急いでいる。
花嫁のマリエッタはおいしいものが好きだと事前の顔合わせの時に言っていた。それで、会場近くにある有名ショコラティエのショコラをプレゼントしたかったのだ。
マリエッタはかわいくて優しそうな女性だった。お人好しのファウヌスにはぴったりだ。ふたりとも幸せになるといいな、と思う。今日は目いっぱいふたりを祝福したい。
リリムは明るい石灰岩でできた石造りの建物が並ぶ通りを足早に進む。
春先の薄い青空が、傾きかけた陽光を受けて温かな色味を帯びはじめている。周囲を見渡せば、二階以上のバルコニーに設置された凝った装飾に街の歴史が垣間見えた。街路樹は新緑が穏やかにきらめいて、カフェのテラス席でくつろぐ観光客の目を楽しませている。リヨンはいつも美しく、リリムも好きな街だ。
そんな街並みに、ちらちらと無機質な鋭い光が乱反射している。ドローンだ。きっとそこらの観光客が撮影用に小型のものを飛ばしているのだろう。
撮影したくなるほど美しいと思う気持ちはわからないでもないが、無粋だ。時代の流れに反発する気持ちは薄い方だが、こればかりは残念な気持ちになる。
そんな風に街並みを眺めつつ歩くこと数分、目当てのショコラティエに着いた。
白と黒で構成された店舗は洒落ていて、入口には数人の列ができている。並んですぐに買えるならいいが、あまり待つと開場に間に合わない可能性があった。
このまま並ぶか悩みながら列を眺めていると、どうも、客同士でもめているらしい。不躾な旅行客が列に割り込んでいるようだ。旅行客はスーツを着ているが大柄で、あまり品の良くない言動をしている。
リリムは迷わず声をかけた。
「おい、ちゃんと並べばいいだろう。そんなに長い列じゃない」
「は? なんだ、アンタ。俺はちゃんと並んでた」
「いやいや、見てたって。後ろのご婦人方が迷惑してるでしょ」
ちょうど後ろに並んでいた上品なマダムにほほえむと、うれしそうにうなずいてくれた。女性は何歳になってもかわいいと思う。リリムにとっては、何歳であろうとも人間は大抵年下だ。
もちろん、目の前で凄んでいる胸筋パツパツなスーツ男だって、リリムより遥か年下である。
……年齢というのは、本当になんの役にも立たないな。
胸筋スーツ迷惑客に凄まれて、ちょっと怖い。
「お前、並んでる客でもねえくせに出しゃばるなよ」
「女性が困っていれば、誰だってそうする」
リリムの言葉と、そして整いすぎた容姿が迷惑客の怒りに触れたのだろう。強く肩を押された。
リリムは悪魔だが、淫魔なんてものは悪魔のなかでも最弱クラスだ。腕力の代わりに容姿にステータスを全振りしている。
衝撃でひょろひょろと体が揺れた。迷惑客の男が優越感に口角を上げる。
「引っ込んでろ、顔だけ男」
「なんだ、僕の顔がうらやましいのか? だが、たとえお前が僕と同じ顔でも、そんな言動じゃモテないぞ」
「てめぇ……!」
「そこまでです」
ふいに、可憐な少女の声が空気を割った。
その瞬間、小さな人影がリリムと迷惑客との間に滑り込む。
影が迷惑客の男の腹を、えぐるように殴りつけた。火花が散ったように目の前がかがやく。
たった一撃で、男は膝から崩折れた。
「こっちです」
声がずいぶん下から聞こえる。落ち着いて声の主を確認する間もなく、手を握られて引きずられるように走った。
さっと露天の花屋の裏に身を潜ませる。立ち止まって改めて見た声の主は、やはり少女だった。
年のころは10歳前後だろうか。
背中まで伸びる黒髪、星を閉じ込めたような黒く大きな瞳。日本人だろうか。東洋人の顔立ちながら恐ろしく整っていた。将来は傾国の美貌を約束されている。
なぜか着飾っていて、ペールピンクのドレスを身に付けていた。オーガンジーを重ねていて、ふんわりと広がった裾が膝まで肌を隠している。裾から伸びる脚はまだ棒切れのようだが、白く、傷ひとつない。大切に育てられていることが一目でわかった。
リリムより体格の良い男を一撃で沈めたとは到底思えない。
少女はきょろきょろと周囲をうかがって、追手がいないことを確認した。
いや、あの男、間違いなく意識が落ちてたぞ。そんなにすぐ回復しないだろう。
「……大丈夫でしたか? 勇気あるひと」
「え?」
「貴方は割り込みを注意しただけでした。それなのに相手が暴力を振るって……なんか見ていてムカついたので、お手伝いさせていただきました」
むちゃくちゃだ。とんだお転婆である。
リリムは天を仰いでため息を吐き出した。
「……かわいいお嬢さん。助けてくれてありがとう。
でも、少しやり過ぎだ。ただ揉めてただけだったんだから、あんなに思い切り殴らなくてよかった」
注意されるとは思っていなかったらしい。少女が夜の瞳をまあるくした。
それから、なぜ自分が叱られるのか、と不満げに目を細める。
「でもあの男、貴方を殴ろうとしていましたよ?」
「それでよかったんだ」
「え?」
「僕が殴られていれば、周囲はさすがに黙っていないし、店も通報しただろう。ここはリヨンの二区、高級ブランド店が並ぶ大通りだ。あの客、二度とこの辺りを歩けなくなっただろうね」
にやりと悪魔的な笑みを浮かべてやると、少女は驚いた顔をした後、小さな唇を引き結んだ。
「……痛い思いをするのは、貴方だけですよ」
「別にいいよ。死ぬわけじゃない」
長いこと生きていると、多少の怪我には寛容になるのだ。それで平穏無事に暮らせるなら、悪くはない。
少女は整った眉を下げて、
「……変な悪魔……」
と言った。
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